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(怨恨Get No)SATISFACTION / オーバナンモン

text by オーバナンモン
posted on 2021.2.24


父が死んで30年近く経ちます。もう今さら何か言うほど哀しみのようなものはないのでそれは置いておいて。でもその時に生まれてしまったトラウマを今回書きたいと思います。副題としては「ごめんよキティちゃん」とでもしておきます。

父が倒れて搬送された先の病院で問診や案内などを担当してくれた看護師さんが天然ぶりっ子キャラみたいな若い女性でした。態度や言葉使いもあざとく子供っぽく見えましたが、緊迫してるのにそんなキャラの方に対応されるのは心配ではあるけどちょっと何故かホッとするような感覚も覚えたんです。暗い気持ちになってしまいそうなところを救われるような思いがありました。
しかし診てもらった結果その病院では手術は無理と判断され別の病院へと緊急搬送されることになりました。そこでまたその看護師さんの登場です。救急車には看護師が付き添わなければいけない決まりらしいのですが、なかなかその救急車に乗ってくれないのです。「えーん、怖いよー怖いよー」と言っています。これ冗談ではなく本当に言ってました。それを若い男性医師たちに「大丈夫、大丈夫」と笑って背中を押されて渋々乗り込んだのです。でも私はこの時点でも怒りよりもこんなコントみたいなことをしてられるくらいなので父は大丈夫なんだなという安心感の方が上回っていました。
結局、倒れてから何時間も経ってからの手術はうまくいかず父はそのまま天国へ行きました。もちろんこれは運命だったのだ、皆さん尽くしてくれたから誰も恨んではいけないと思いました。でもいけないことではあるけど一つだけ何か恨みを持つとしたらやはりあの看護師さんだと思ってしまいました。彼女が問診のときに使っていたボールペンや名札の横に付けていたクリップがすべてHELLO KITTY キティちゃんでした。おそらく部屋の中まで全部キティちゃんグッズだらけなのだろうと推測されます。私は彼女を恨むのではなくキティちゃんを恨むようになってしまいました。それからもうダメなんです。キティちゃんグッズを見ると救急車乗車拒否のあの光景がメラメラと思い浮かんでくるのです。キティちゃんには何も罪はありません。個人的な恨みをすべて担わせてしまっただけのことなのですから。でも一度植え付けられたトラウマはなかなか払拭することは出来ません。

さて先日、今ではフェスやキャンプに行くオシャレさんにも人気というワークマンに行きました。通勤路にあるのでたまに寄る店なのですが、ふと見るとトレーナーのコーナーにキティちゃんがいます。さらによく見るとキティちゃんしっかり肉体労働しています。何だか笑ってしまいました。当然ながら例の乗車拒否シーンを思い出しますが、それよりも無言でこちらをつぶらな瞳で見つめながら働くキティちゃんに癒やされている私がいます。ふと心が楽になった瞬間でした。

私は父にちゃんとお別れ出来なかったことや親孝行出来なかったこと、そういう後悔をキティちゃんに押し付けていたのかもしれません。あの看護師さんもおそらく今は50歳ぐらいでしょう。あれから救急車に乗ることなど屁とも思わない看護師という立派な仕事を務め続けているかもしれない。早い人ならお孫さんもいるかもしれない。ひょっとしたら今もキティちゃんが大好きでお孫さんとグッズを集めたりしているかもしれない。そう思うと今まで自分の器の小ささを棚に上げてキティちゃんを恨み続けてきたことが急に恥ずかしくなってきました。

ようやく今なら言えそうです。

ごめんよキティちゃん。 



オーバナンモン_profile
屁理屈とウクレレと時々ギターと歌と愛。 最近は一人で弾き語りや作曲依頼を受けています。

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