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自然の恐怖を灯りに変えるために

「怖がり」

わたしの性格のひとつは「怖がり」であることだ。
例えば、小さい頃からお化け屋敷や暗いところ、サスペンス、アクション映画を見るのが苦手だ。
(映画が苦手な話はまたいつか)

ほとんどのことは自ら【避ける】ことができた。
しかし、避けることのできないものもある。

それは「災害」だ。

私は大阪出身で両親から阪神・淡路大震災の話は昔から聞いていたが、中学生の時、社会の先生からこんなことを言われて恐怖に包まれたことを覚えている。

「南海トラフはいつか必ず起きる」

ちょうど教科書に南海トラフという言葉が出てきた時、先生がそんなことを言っていた。

東日本大震災にも劣らない、めちゃめちゃ大きな地震らしい。

怖がりな私はその日家に帰った後、家に自分ひとり(犬はいたけど)であることが急に不安になったことを覚えている。

とはいえ、被災した事の無い私は「起こりませんように」と願うことしか出来なかった。

突然の恐怖

しかし、実際に地震を経験するのはそう遠い話ではなかった。

2018年6月18日。両親はすでに会社に向かっており、私は家で学校にいく準備をしていた。(妹はたまたま小学校がお休みの日だった)

今でも忘れない。学校でつける名札を探すために階段を降りようとした時、家が大きく揺れたのだ。

後から聞くところによると
「大阪府北部地震」
が起きたらしい。私の住んでいる地域は震度5強だった。

パジャマでテレビを見ていた妹がパジャマで外に出るのは嫌というのを遮り、鍵を開けたまま、ひとまずご近所さんのお家に妹と駆け込んだ。

妹を預けて母親に連絡した後、私は家に戻り犬の無事を確認し、念の為ゲージの鍵を開けて私も妹に合流した。

「私の夢」

私の夢は「人々が住みたいと思う街をつくること」。
そのひとつの条件に

「災害に強く安全」(当時)「自然と共存しつつも安全」(今)が加わった。

大学2年生の今、日本建築学会が主催する「学生ワークショップ実行委員」として来月行われるイベントに向けて活動している。

今年のテーマは「能登半島地震」。

建築関係だったのも実行委員になった大きなきっかけの一つだが、
「怖がりだけど、日本の特徴である自然災害から私はもう目を向けない」と決意したのも理由の一つだ。

いつか必ず南海トラフは起きる

という言葉で昔の私は体が固まってしまった。

これからは「どうやったら災害の恐怖と向き合えるのか、どうやったら自然と共存できる街になるのか」を考えていこうと思う。

能登半島地震が発生してから9ヶ月。またも、能登で自然災害が起きてしまった。

私にできることはとても少ないけれど、せめて事実から目を背けず、しっかり向き合おうと思う。いつか自分自身で夢を叶えるために✨️

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