シン仮面ライダーネタバレ感想!!それぞれの幸せを求める者達の話。功利主義を元に怪物(怪人)とヒーローの姿を解釈する

功利主義という考え方がある。ショッカーの理念を説明する中で使われた「最大多数の最大幸福」という言葉の出処だ。人の幸福を功利という単一の尺度で量りそれが最大化するように社会を動かすべきという哲学で、更に哲学の中でも現実社会に役立つべく生み出された実用的な考え方だ。

実用的な考え方なのだが、それの批判には想像上の存在が持ち出されることがある。「功利の怪物」という名前で、他者より生み出す功利の量が大きいという特性を持つ。もしこれが存在するなら多数の人の不幸より怪物の幸福が優先されてしまう。社会全体の幸福の総量ではその方が大きくなってしまうからだ。
ただ現実に即した考えに想像上の存在を持ち出して批判とするのは違和感を覚えないだろうか。その違和感は本作のショッカーの理念と怪人によって解消される。

ショッカーは人類の幸福という命令を受けた実行力を持ったAIが率いる組織だ。これが最大多数の最大幸福をスローガンとしていたならfatezeroの焼き直しだろう。でも本作は違った。最も救われぬ不幸な者にこそ手を差し伸べるという行動をとった。

怪人がどんな存在なのか文章にしてまとめるとこうなると思う。『自身の幸福のために周りの人間を不幸にしていく存在』
それを、人類の幸福を目指すショッカーに選ばれたことを踏まえて言い換えるとこうなる。『多数の人間より幸福を追求していい存在』
今作における怪人とは正に功利の怪物ではないだろうか。怪人は世界征服を目指しているのではない。各々の幸福のあり方が社会と敵対しているだけだ。

怪人が功利の怪物ならば仮面ライダーとは?仮面ライダーとは言うまでもなくヒーローだ。ヒーローとは何か。幸せと辛いが棒一本の差のように本郷猛と怪人の差はとても小さい。同じ改造人間でフィジカルもプラーマも優れている。
これはヒロインの言葉によって表されていた。
「辛いと幸せは近い、あなたが辛さを背負うことで誰かが幸せになる。ヒーローとはそういうものでしょ?」
周りの人間を不幸にしても自分の幸福を追求するものが怪人(功利の怪物)なら、周りの人間の幸せのために自分を犠牲にする者こそヒーローという事だ。
功利主義の世界では自己犠牲は美談ではなく現実だ。最大多数の最大幸福というお題目の裏には、切り捨てられた小さな不幸がたくさん存在するだろう。
ヒロインが本郷の背中から幸せを受け取ったことと、触れた者のプラーマを吸い取る蝶の存在は実に対照的だった。
シン仮面ライダーとは、各々の幸福を求めて戦う者たちの物語だ。

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