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AIくりえいたあ観察記 -おしゃれでかわいい-

AIくりえいたあ観察記

初のエッセイスタイルでお届けします。
最近、SNSを眺めていて気づいたことがある。AIを駆使したクリエイターの作品いっぱいある。確かにクオリティは驚異的で、素人目にも「すげぇー」と思わせるものばかり。イラストは綺麗で可愛いし、動画もブワーって動くしな、映画みたいに。でもなあ、なんだかなあ。

おしゃれ至上主義すぎんか?

「おしゃれ」「かわいい」「かっこいい」

競うように「かっこいい」「おしゃれ」な作品が量産されている。 ここ最近登場した動画生成AIの影響もあってか、映画のような予告編、超絶美麗なミュージックビデオ..。技術的には確かにすごいんだろうけど、息苦しい。

一般視聴者との乖離

さらに疑問が湧く。これらの作品、確かにクリエイター同士では褒め称えあっているけど、一般の人たちはどう思ってんだろう?

正直、大半の人にとってはむしろ「ちょっと雑な動画」みたいな印象なんじゃないか。本物に近づけば近づくほど、違いが目立つ。AI界隈で「すごい」と言われているが、一般の人々の心に刺さるかというと、かなり怪しい。とにかくおしゃれ押しがきつい。自分が見てるところだけだろうけど。

村社会化する危険性

一種の村社会を形成しつつあるように見える。

お互いに褒め合い、「すごい」と言い合っている。でも、その外の世界、一般の視聴者の反応はあまり気にしていない。これって、ある意味閉鎖的な世界を作り上げているんじゃないか?趣味ってそういうもんだろうって話だけど。

創造性とは?

創造性って、こういうものなのか?確かにAIを使えば、誰でも「きれい」で「おしゃれ」な作品が作れる。もちろんそれが仕事になってお金になる。そのためにやってんだ!そうだそうだ。

で、それが創りたかったの?

人々の記憶に残るものって、必ずしも「おしゃれ」じゃないしむしろ、ちょっとダサかったり、不完全だったりする方が、心に残ることもあるんじゃないかなーあくまで自分はですが。

これからのくりえいたあに求められるもの

AIの時代だからこそ、もしかしたら「AIらしい」や「そんなことやってんの」ってのが重要になってくるのかも。技術的な完璧さの追求はもちろんいいんだけど、それ、本物でいいんじゃない?作者の個性や思いが伝わる作品。そういうものが、逆に貴重になっていくんじゃないかな。

内なる声に耳を傾け、一般の人々の目線を忘れない。そんなクリエイターが、これからのAI時代には必要とされるんじゃないだろうか。

結局のところ、創作って誰のためにやるんだろう?自己満足?仲間内での評価?それとも、広く一般の人々に何かを伝えること?その答えは人それぞれ。

AIクリエイターたちよ、たまには「おしゃれ」から離れて、等身大の自分を表現してみてはどうだろう?みんながみんな、そんなにオシャレなんかい?だっせー作品、見てみたいもんです。最近ハマっている投稿者さん。

と、新しく使えるようになった賢い賢いclaude3 sonnetくんで綺麗めな文章を作成いたしました。良い週末を🐾

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