きょうの夜ごはんをツイートしたって、いいじゃないか。
なんだかツイッターのタイムラインが荒れている。
そう考えているのは、きっとわたしだけではないんだろうな。
こんなことを言うと綺麗事だと、それか気にしすぎだと笑われるかもしれないけれど、自分のタイムラインくらいは、平和でやさしい世界にしたいの。
先日、こんなツイートをした。
おいしそうでしょう?(どやっ)
これをみた誰かが、「お腹すいた。はやく家に帰ろ」とか思ってくれたら、いいなって。
なんでもかんでも目に入る情報を、ことばを、まっ正面から受け止めるのは、あまり賢くないのかもしれない。だけど、とがった言葉たちは確実にざくざくと胸をさすんだよ。わたしや、画面の向こうの、誰かの。
たとえば、旅に行くためには、英語はそんなに必要なくてボディランゲージだけでいけるよとか、いやいや英語は話せなきゃだめでしょとか、情報が何もないただの日記ブログは読んでいて残念とか、こう書くべきだとか、こうじゃなきゃダメとか、こうしてないやつはバカだとか。もうこういうやりとりを、見るのに疲れちゃった。頷ける正論だってあるけれど、いったいその言葉は、だれに向けてのものなの?
みんな、自分の正義をふりかざす。だれかの優位にたちたいから。
でもそれってだれを幸せにするのかなあ。
だれかを幸せに、なんてそんな義務はどこにもないけれど、だれかの心をガリガリと傷ませるのは、とても悲しい行為だ。
実はわたしもそういう時期があったんだよなあ。
自分が絶対に正しいとおもって、その正義をふりかざしていたの。今思うと、とてもはずかしい。
有益なことしかつぶやいちゃだめなんて空気がただよういまのツイッタランドだけれど、有益な情報なんてひとつもなくっても、じょうずにできた夜ごはんをツイートして、誰かのこころがほっこりするなら、それだっていいじゃないか、と思ったのです。
今日の夜ごはんは、お鍋です。
読んでくださった方も、あったかくておいしいごはんを食べていますように。
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