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【棋譜解説】Carlsen-Nepomniachtchi 2022 Sinquefield Cup R1

こんにちは、ぽんとです。
今回は棋譜解説です。
現在開催中のSinquefield Cup(シンクフィールドカップ)から、現世界王者、カールセンの試合を解説したいと思います。

○Sinquefield Cupとは?

この大会は2013年から開催されている招待制の大会で、アメリカのセントルイスチェスクラブ後援です。セントルイスチェスクラブの創設者がアメリカ最大のチェスパトロンとして知られるレックス・シンクフィールド氏であり、この大会の主催者でもあるので、その名前が大会になっています。この大会で招待される選手はトップグランドマスターばかりで、世界最高レベルの大会の1つです。

大会主催者のレックス・シンクフィールド氏と妻のジャンヌ氏。

白のMagnus Carlsen(以下、カールセン)は現世界チャンピオン(2013年~)。誰もが認める世界最強のチェスプレーヤーです。2023年の世界チャンピオンタイトルマッチへの不参加、王座放棄を宣言したのが記憶に新しいですね。これにより、2023年以降、世界チャンピオンはカールセンではないけれども、世界が認める最強のチェスプレーヤーはカールセンである、という分裂状態が発生することになります。今後のチェス界はどうなっていくのでしょうか。

黒のIan Nepomniachtchi(以下、ネポ)は現在レーティング世界3位で、2回連続でカールセンへの挑戦者を決める大会、Candidates Tournamentを優勝した強豪プレーヤーです。世界チャンピオンタイトルマッチではカールセンに一度も勝利できず、3.5-7.5で完膚なきまでに叩きのめされてしまいましたが、その後のCandidates Tournament 2022では5勝9ドロー無敗という圧倒的パフォーマンスで返り咲き、その実力を世界に示しました。この試合は世界チャンピオンタイトルマッチ以来の衝突ということで、王者カールセンと返り咲いたネポの試合がどうなるか、世界が注目していました。

ラウンド1開始前。左がカールセン、右がネポ。

○棋譜解説

Magnus Carlsen - Iam Nepomniachtchi
Sinquefield Cup 2022 R1
Chessgamesのリンクを張っておきます。ブラウザで棋譜を見たい人向け。

1.d4 Nf6 2.c4 e6 3.Nf3 d5 4.cxd5
ここは4.Nc3、4.g3が大多数なのですが、カールセンはポーンを取ってきました。上記2つは超人気ラインなので、ネポも当然準備しています。

4…exd5 5.Nc3 c6

5…c6後の局面。Carlsbad Structure。

カールセンのcxd5により、ポーン形がカールスバッドストラクチャーとなりました。このポーン形は数あるポーン形の中でも主要なものの1つで、膨大な研究と実戦が積み重ねられています。

Nf3を指しているこの手順だと黒が問題なく…Bf5を入れることができるため、黒が互角を達成するのが比較的容易です。Nf3を保留し、f3-e4と指す選択肢を残しておく指し方が最も白に可能性があるとされています。
例えば、1.d4 d5 2.c4 e6 3.Nc3 Nf6 4.cxd5 exd5 5.Bg5 c6 6.e3 Be7 7.Bd3 0-0 8.Nge2 Nbd7 9.0-0 Re8 10.Qc2 Nf8 11.f3 と進むラインはQueen's Gambit Declined Exchange Vatiation(以下、QGD Exchange)のメインラインで、白はf3-e4を狙っています。

11.f3 後の局面。白はタイミングを見てe4を狙う。

色々書きましたが、カールセンは全く互角の局面からでも相手よりうまく指して勝つ、というスタイルなので、相手に準備されやすい、という観点からも序盤の定跡選択で理論的最善を追い求める傾向は薄く、人間同士でチェスをした時に相手に間違える余地があるか、人間が指しにくい局面を相手に押し付けることができるか、という視点で定跡選択をするタイプです。人間として勝ちに行ける余地があるなら、コンピュータエンジン評価値が0.00でもOK、ということですね。この試合では、上記のアプローチでネポを互角の局面ながらも未知の領域に引きずり込んだことが功を奏しました。

6.Bf4
白はe3と指す前にc1のビショップを外に出しておく必要があります。6.Bg5もアリですが、カールセンはBf4を選択しました。…Bf5は止めない構えです。6.Bg5だとしても、黒は6…Be7 7.Qc2 g6 といった手順で…Bf5を狙っていきます。

6…Bf5

6…Bf5 後の局面。黒はビショップがf5に出せれば満足。

先に述べた通り、黒にとって問題がないとされている局面で、序盤は互角です。ここは6…Bd6でもOKで、Tata Steel 2022のCaruana-Karjakinで指され、ドローになりました。

7.e3 Nbd7 8.h3
この手はf4のビショップを…Nh5などに備えてh2に退避させられるようにするとともに、g4とポーンを進め、f5のビショップに当てて手得しつつキングサイドでスペースを取る狙いがあります。

8…Be7

8…Be7 後の局面。無難な手ですが、他の手の方が便利だったかも。

ここは8…Qb6でb2のポーンを狙いに行く、8…h6で…Bh7を可能にしておく、といった手も有力です。個人的には8…Be7よりかは上記2つの手の方が具体的なメリットがあったのではないかと思います。
8…Qb6 9.Qb3 Qxb3 10.axb3 Bb4!なら、黒は本譜のように2手かけることなく1手でビショップをb4にやることができていたし、白がすぐにf3で…Ne4を防ぐこともできない局面になっていました。

9.g4 Be4
白にNxe4を許しツービショップを与える指し方は怖く見えるかもしれませんが、10.Nxe4 Nxe4の後、黒は次の手でe4のナイトの利きを利用して11…Bd6を指すことができ、白のビショップを1枚消せるので問題ありません。

10.Be2
10.Bg2は過去に前例があり、黒がカールセンでした。カールセンはこの局面を知っていた可能性が高いです。

10…Qb6
b2のポーンを狙いに行く、よくある手です。10…0-0も良い手です。

11.Qb3
b2への狙いに対処する必要がありますが、カールセンはクイーンが消える変化を選択しました。ネポを相手に、
・研究範囲外へ引きずり出すことができている
・互角ながらもドローが明確ではないエンドゲームにできている
これだけ達成できれば、序盤はカールセンにとっての成功と言っていいでしょう。カールセンのチェスの良いところが光るタイプの局面です。

11…Qxb3 12.axb3

12.axb3 後の局面。コンピュータ評価0.00。

序盤研究、プレパレーション、かくあるべし。
カールセンはコンピュータエンジン評価0.00ながらも、リスクフリーで、自身はしっかりと指し方がわかっている局面を手に入れました。ネポが間違えなければドローですが、カールセンはこのような局面で相手に難しい選択を押し付け続けることで少しずつ譲歩、悪手を引き出し、ゆっくりながらも確実に勝ちへと近づいていく指し方が世界一得意です。Ulf Andersson、Anatoly Karpovなど、こういった相手をすり潰すような指し方が得意なプレーヤーは「Grinder」に分類されます。また、カールセンのツイートより、この試合の直前にやったシンクフィールドカップの同時対局イベントで似たような局面を指しており、その経験がこの試合にも活きた、とのこと。強さだけでなくツキまで持っている男、さすが世界王者カールセンですね!

12…Bg6
先に述べた通り白からのNxe4には…Bd6があるので、ここで必ずしもビショップを引く必要はありません。12…h6でもOKです。

13.Nh4
カールセンはツービショップを取りに行きました。一般的に、自分だけがビショップを2枚持っている局面は好ましいとされています。もちろん例外もあり、ツービショップを持っているから優勢、ツービショップを譲り渡してしまったから一巻の終わり、と言えるほど単純ではありませんが、プラスの要素であり、持っておくに越したことはない、という考え方はできます。

13…Bb4?!

13…Bb4 後の局面。

私はこの手は意味が薄いと考えます。e7に展開したビショップをもう一度動かすからには有用な意味が欲しいところですが、どの道この後キングが動く(f3-Kf2-Kg2)ことを考えればc3のナイトの動きをピンで制限することにそこまで大きな意味はなく、白にf3があるため、…Ne4もできません。13…Bc2でツービショップを譲り渡すことに抵抗した方が、マシな局面にできていたのではないかと思います。ほんのわずかな差ではありますが、カールセンはこのほんのわずかな差を積み重ねることでいつの間にかどうしようもなくなっている局面を発生させるプレーヤーなので、こういった細かい点を論じることにも意味があると思います。

14.Nxg6 hxg6 15.f3
カールセンはツービショップを手にし、…Ne4も防ぎました。ドローの範囲内ながらも、白が少し優勢、といった局面です。白はまだ展開していない駒の展開をして、陣形を整えていきます。

15…Nf8
黒もまた駒の配置を整えていきます。白からのNe5もない以上、d7にナイトがいる意味が薄いので、f8経由でe6に再展開し、d4とc5、センターの重要なマスに利かせます。

16.Kf2
キングはベストポジションのg2を目指します。次の手でg3に引くビショップを状況に応じてBf2、Be1、と動けるようにしておくためには、f2のキングが邪魔です。

16…Ne6 17.Bg3
当然ツービショップは譲りません。

17…Ke7
ルーク同士を連結させ、動きやすくします。

18.h4
黒からg5のマスを奪い、キングサイドのスペースを取っています。

18…a6?!

18…a6 後の局面。

a8のルークを自由にするための手ですが、カールセンに言わせれば、18,…a5の方が良かった、とのこと。この後、白はb4と指して黒からの…c5ブレイクを完全に潰す指し方を狙っていくのですが、…a5と指していれば、白のb4には…axb4で応じることができます。

19.Kg2 Rad8
白キングがベストポジションに辿り着き、黒ルークはaポーンの問題を解決してセンターに展開されました。黒は…Bd6で白のツービショップを1枚消そうとしています。

20.Bf2 Bd6
白は…Bd6を先に受け、黒は狙い通り…Bd6を指しました。こうしてd6に行くのなら、b4に行った意味が薄いかなと思います。

21.Bd3
白は少しずつ駒の配置を整えています。ビショップはe2よりもd3の方が展望があります。ポーンをぶつける、進めるといった後戻りできないアクションを起こす前に、ピースの配置が最適になるように整えておく。地味ですが、とても大事です。グランドマスターは息をするようにこれをやってのけますが、初級者、中級者はこのステップを怠り、性急なアクションに走る傾向があります。せっかく戦いを始めるなら、最適な陣形を作ってから始めましょう。

21…Bb8
この手を見て、カールセンは「しめしめ」と思ったと述べています。黒の局面の問題点は、アクティブな反撃手段が存在しないことで、それが目に見えた、といったところでしょうか。考えられる反撃手段としては…c5のポーンブレイクですが、不用意に行えばd5のポーンを始めとして自陣を弱めることとなり、当然カールセンも…c5を潰す方針で指し続けています。例えばここで21…c5?なら、22.g5!でd5のポーンが落ちます。

22.Na4
…c5は許さない!

22…Bd6
白がNc3と戻って手を繰り返せばドローですが、カールセンはそんなことしません。ここで白が次に何を指したのか、少し考えてみても面白いと思います。

22…Bd6 後の局面。次の白の手は?

エンドゲームの達人、カールセンになりきって次の手を考えてみてください。




答え。
23.Be1!

23.Be1! 後の局面。b4を可能にするこの手が正解。

好手です。結果から見れば、この手がカールセンに勝利を運んだ、と言っても過言ではありません。白は次にb4を指すぞ、永遠に…c5を許さないぞ、と脅しています。もっとも、…c5を完全に潰したところで、白としても局面の打開は容易ではないのですが、b4の後、白にはゆっくりと駒の配置を整えつつe4を狙ったりキングサイドのポーンを進めていったりというプランがあるのに対し、黒は自分からはほぼ何もできず、ただ白のアクションを待つだけの状況となります。自分が攻めたいアタッカー気質のネポとしては、エンジン評価が互角に近かったとしても苦しい局面です。ここは上記のように白のアクションをただ待つだけの状況を甘んじて受け入れるのがベストの指し方だったのですが、ネポはアクティブな反撃を目指そうとしたが故に、自陣を損ねる悪手を放ってしまいます。

23…c5?
悪手です。白が次にb4を指してくるため、…c5をやるなら今しかないのですが、ダメなタイミングでした。カールセンが反撃潰しのb4をちらつかせ、ネポから性急なアクション、悪手を引き出すことに成功した、という構図です。この手から強制手順が続きますが、落ち着くところは白優勢です。
23…Kd7あたりで守りに徹するべきでした。

24.Nxc5 Nxc5 25.dxc5 Bxc5 26.Bd2
e3のポーンをカバーする必要があります。

26…Rhe8
ルークを白陣の弱点であるe3に向けました。

27.b4

27.b4 後の局面。白はノリノリ。

白はb4-b5でイケイケです。ポーン交換になれば、ダブルポーンが解消され、ツービショップが躍動する局面となります。

27…Bb6 28.b5 a5
黒はこうしてポーンを捨てざるを得ません。28…axb5 29.Bxb5は白のツービショップの利きが開いてしまい、d5のポーンとセンターに残ったキングが標的にされ、棺桶ルートです。

28…axb5 29.Bxb5 Rh8 30.Bb4+ Ke6 31.Rae1 後の局面。マジでメイトされる5秒前。

29.Bxa5 Bxa5 30.Rxa5 Kd6 31.Kf2

31…Kf2 後の局面。白はd5のポーンを狙います。


キングでe3をカバーします。白の1ポーンアップがダブルポーンなので1ポーンアップの効果が薄く見えますが、bファイルのポーンがカバーしているマスの重要性が高く、この1ポーンアップは明確に白の支配領域の拡大に働いています。

31…Re7
31…Ra8の方が良かったようですが、32.b4とされると依然白のペースです。

32.Rd1
白の次なるターゲットはd5のポーンです。

32…Rh8
浮いた白ポーンを狙っていますが、白には対抗手段があります。

33.g5 Nd7 34.Ra4
これでh4のポーンをカバーできました。

34…Nc5
白はナイトとビショップの交換を恐れる必要はありません。純粋なルークエンディングなら、1ポーンアップでd5という明確なターゲットを持つ白が遥かにやりやすい局面です。白はRd4を狙っていましたが、黒はRd4に…Ne6の返しを用意することでこれを防いでいます。

35.Rg4 Kc7?

35…Kc7 後の局面。白のとどめの一手は?

白に強力な手の準備があったので、黒は35…Nxd3としておくべきでした。劣勢のルークエンディングですが、本譜よりはマシです。試合を終わらせるカールセンの次の一手を、考えてみてください。





答え。
36.Bb1!

36…Bb1! 後の局面。ビショップを1段目に引く好手、2回目。

決めの一手です。次にBa2でd5のポーンが助かりません。2ポーンダウン、実質の試合終了です。

36…Re5 37.Ba2 f6
絶望的な局面の指し方の1つに、とにかく駒同士の接点を作っておき、相手のミスを期待する、というものがあります。カールセンには通用しませんが・・・

38.gxf6 gxf6 39.Rxd5 Rxd5 40.Bxd5 Nd3+ 41.Kg3 Ne5 42.Rf4 Rd8 43.b6+ 1-0

43.b6+ 後の黒投了図。43…Kb8 44.Rxf6の後、メイトのため44…Rxd5ができない。

黒のポーンがさらに落ちるため、ここでリザイン。
白のSmoothな勝利。たいへん美しい指し回しでしたね。

並べてみるとわかりますが、白のカールセンは特に派手なタクティクスを決めたわけではありません。序盤の形は互角ながらも、少しずつ陣形を改善する手を指し、相手のやりたいことを潰す手を指し、相手からミスを引き出して、それを正確な手で咎めて勝利しています。黒が決定的なブランダーをしたわけではなく、徐々に徐々に悪くなり、気が付けばどうしようもなくなっている・・・という勝ち方。これが、現世界王者、カールセンが最も得意とするタイプのチェスなのです。駒の配置の最適化。相手の反撃を予期して、先に潰しておく指し方。ゆっくりと、しかし確実な前進。アマチュアプレーヤーでも、勉強になる部分は大いにあると思います。

現世界王者、マグヌス・カールセン

今回は以上になります。お読みいただきありがとうございます。
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