引退試合

わいはトロオドン。

今はゲーム配信者をやっとるけど、これでも昔はプロ野球選手やった。

あれは高校時代の甲子園。

部室でとある遊びをしていたことがバレて、それから「ティッシュ王子」のあだ名がついてしもたんや。

ポジションはピッチャー。

当時、時速150kmを超える球を投げられる高校球児は、国内でも数えるくらいしかおらんかった。

わいはその一人やった。

そして、その夏、わいは日本一に輝いたんや。

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わいは昔からヤクルトスワローズのファンやったから、球団からスカウトがきたときは、嬉しくて、夜通しサインの練習をしまくった。

わいの母親も、近所にヤクルトを配りながら「うちの息子を応援してやってください」と自慢しとった。

親父は「みっともないから止めなさい」と言ってたけども、ヤクルトの詰め合わせを職場に持っていくところを、わいは見逃さなかったんや。

ところが、わいが初めて球場に行ったときのことやった。

思ったよりも殺風景やなと思って球場の看板を見て驚いてしもた。

「ヤクキメ シャブローズ」

わいは、てっきりヤクルトスワローズかと思ってたら、全然違う球団やった。

騙されたと思って球団に抗議したんやけども、すでに契約書にサインをもらってるの一点張りで、しまいには弁護士を名乗る屈強な男がやってきて「納得いただけないから法廷で決着をつけますか」と言ってきて、ついに、わいは諦めてしもた。

逆転できん裁判や。

しかし、契約金がヤクルト3本ってどういうことやねん。なんで、気づかなかったんや!わいのアホ、アホ!

それでも、球団自体はちゃんと機能していて、なんでも「チョ・リーグ」というところに所属しているらしい。

なんやねん、チョ・リーグって。

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そんなこんなで、わいのプロ野球人生はスタートした。

元々、プロでも通用する投球レベルやったことと、聞いたこともないリーグやったことから、すぐにリーグ内で結果を出すことができて、どんどん有名になっていったんや。

スポーツ番組のインタビューもちょくちょく来るようになって、とあるレポーターの女子アナとも仲良くなったんや。

そんなある日、その女子アナから「あなたのティッシュになりたい」とプロポーズされて、結婚することになったんや。

どういう意味かは今でも分からん。

マスコミは大騒ぎで、「ティッシュ婚」の見出しがスポーツ新聞を賑わしたんや。

あまりの熱狂ぶりに、トヨタは「ティッシュ」という新車を発表したり、アップルは「iティッシュ」というスマホを発表したり、そのたびにCM出演で莫大な契約金が入ることになったんや。

タマホームが、わいら夫婦のために「ティッシュ御殿」を建ててくれたりと、全てが順調すぎるくらい順調で、わいは本当に幸せやった。

けれど、幸せな日々はそう長くは続かんかったんよ。

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それは、いつものように気に入らんバッターにわざとボールをぶつけて、球界から追い出してやろうと、自慢のストレートを投げたときのことやった。

ボールを投げた瞬間、これまでに味わったことがない激痛が肩に走って、わいは気を失ってしもた。

次に目を開けると、目の前には妻。そして、球団スタッフと、医者がおった。

医者は「もう野球を続けるのは難しいかもしれません」と言っとった。他にもなんか言っとったが、何も覚えとらん。

きっと、バチが当たったんや。

きっと、綺麗な奥さんをもろてしまったからや。きっと、楽なCM出演でたくさんお金をもらってしもたからや。きっと、意図的に死球なんか投げたからや。

わいが調子にのってたから、神様は怒ってしもたんや。

その日の夜、不思議と涙は流れんかった。

現実を受け入れることができず、ギブスで固定された腕をただ見とるだけやった。

それから一週間、わいは置き物のように何も考えずにボーと過ごす日々をおくっとった。

妻やチームメイトは、わいと面会するたびに、野球とは関係のない話しをしてくれた。

妻の目の下にはクマができとったけど、気丈に明るく振る舞っとった。

わいもその気持ちに応えたいとは思っていたけど、それでも何も感情が生まれてくることはなかった。

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ある日、病院の廊下で歩いていると、一人の少年が駆け寄ってきた。

「トロオドンだよね!」

いきなりタメ口かいと思ったが、そうだと応えると、少年は言ってきた。

「僕、トロオドンのファンなんだ!サインしてよ!」

少年は野球の球とマジックを差し出してきた。

失礼なガキやなと思いながらも、ボールを受け取ったんや。

ボールなんか、しばらく持たんかったから、少し重く感じるな。

そう思った瞬間、なぜか涙が出てきた。

それはもう、どうやっても止めることができず、次々と涙がこぼれてきたんや。

10分ほど号泣してしもた。

少年は困惑しながらも、ずっと傍で立っとった。

だから、わいは気持ちが落ち着いてから、少年にこう言ったんや。

「坊主、今のわいにはサインをしてやることはできん。せやけど、必ず復帰してみせる。サインはそのときでええか?」

少年は困惑した表情で言ったんや。

「それはダメだよ。メルカリに出すからサインもらってこいって、父ちゃんに言われてるんだ」と。

わいは「小川博」と書いた野球の球をその少年に返した。

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1年。

それは、わいにとっては長い期間やった。

地獄のリハビリを乗り越えて、わいは今、再びマウンドに立っている。

観客の声援。

見事な150km。

華麗な三振。バッターアウト。

あのときと一緒や。

いや。あのときとは違うことが一つだけある。

あのときのわいは、自分のために投球しとった。けれど、今はわいを支えてくれた人達のために投球しとる。

妻、医者、看護師、監督、チームメイト、メルカリ親子…そして、ファンのみんなのためや。

あのときのわいには分からなかった。

誰かの恩に応えることが、これほどの大きな力になるなんて。

一球一球に込められた想い、そして、それを投げられる喜び。

わいは幸せや。

その日、チームとしては惜しくも負けてしまったけど、わいは地球上の誰よりも心が満たされとった自信がある。

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それから、数年後、わいは再びケガをしてしまい、リハビリをすることになった。

もちろん、全力で復帰を目指して頑張ったけれども、今回ばかりは無理やった。

二度目の復活マウンド。

と言っても、引退を表明してから、球団が用意してくれた最後の晴れ舞台やった。

相変わらず、ファンのみんなは暖かく迎えてくれた。

わいはコントロールしきれないボールを投げながら、現役生活を回想しとった。

今日までに何度も思い返してきた記憶やから、涙は出んかった。

ただ、マウンドの上で思い返す記憶は何よりも美しかった。

最後の一球を投げるまで、ずっと心の中で「ありがとう!」と呟いた。

最後の一球がわいの手から離れると、まるで願いを叶えた流れ星のようにキャッチャーめがけて遠のいていった。

流れ星があのグローブに吸い込まれたとき、わいの野球人生は幕を引く。

綺麗なストレート。

150km。

構えるキャッチャー。

構わず打つバッター。

…ん?

響き渡る打撃音。

唖然とする観衆。

流れ星のようにスタンドの奥に消えるボール。

走り出す村田修一。

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