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処方を止めるとき

こんにちは。ぽんぽこぽんこです。
夫、中学三年生の娘のぴょんこ、猫2匹と暮らしているアラフィフです。
(2024年2月現在)

2023年8月、生きづらさから精神科を受診。
発達検査をうけたところ高IQが発覚。
医師の診察と合わせてカウンセリングを継続中。

診察のほうでADHDの治療薬ストラテラ(後発医薬品のアトモキセチン錠)を処方してもらったが、飲み続けることを断念した。

ストラテラの服薬を勝手に止めてから、初めての診察の日、
私はどうやって医師と対面しようか少し困っていた。

過去の記事にもその思いは綴っているのだが、今回の処方にあたり、私は医師に対して不審感を抱いてしまったからだ。

処方が早すぎないかとか、処方を変える提案がおかしくないかとか、
物申したい気持ちが溢れていた。
けれどもお医者さんが雑に診察をしていると思うのは違うな、とも思っていた。
そうやってすぐに人を悪いように判断して私は周りに敵を作るのだ。
それを止めたくて診察やカウンセリングを受けているのだ。

初めて診察を受けに行った日、
娘の幸せを希うなら唯一の道は私が娘の前から消えることだと思いつめ、
しかしそれは今の娘にとっては不幸なので消えるのも違うのではと考え、
だから、最終的に娘が自己を確立するためは私という存在は害悪だという事に気づき、私を忌み嫌い、私から離れていく選択肢しかないという思いをぽつりぽつりと吐露した時に
先生から感じた柔らかさに嘘はないと思っていた。

先生を責めるのは違う。
きっと不信を感じるような言動にも、私の受け止め方の問題がきっとある。

そう言い聞かせて、診察室に入った。

「その後いかがですか?」
いつもと変わらず柔らかく聞いてくださる先生に
「実は、薬が辛くて飲むのを止めました」
と伝えた。
どのようにつらいかを聞かれ、症状を答えると先生は
「そうですか。辛かったですね。ごめんなさいね合わない薬を出してしまって」
とおっしゃった。

びっくりした。
診断に謝罪の言葉をもらうなんて思ってもみなかった。
多分今まで医師と患者の関係でその言葉を聞いたことなんてなかったんじゃないか?
だって、お医者さんが謝るなんてこと、そうそう無いじゃないか。
ごめんなさいなんて、医療事故と突っつかれる弱みをさらけ出すような言葉じゃないか。
診察において不調の原因を探るためにいろんなことを試すのは当たり前のことで、そこをごめんなさいって言ってしまったら何にもできなくなってしまう。
「この前の〇〇、その後どうですか?」
「いや、あんまり改善しないです」
ときたら、その後来る言葉は
「うーん、そうですか。うーん…。じゃあ次はこれ、やってみましょうか」
がセオリーだと思っていた。

謝ってくれるなんて。

こう言っちゃなんだが、10年位前に歯医者さんで毎週毎週「歯のここがしみるんです甘いものがしみるんです」と訴え続けていたのにそのたびに「うーん知覚過敏ですね。お薬塗っときますね」と診察され続けた結果、暫くしてからぐずっと歯が欠けて神経まで取らなければいけない虫歯だった時も、歯医者さん謝らなかったぞ。恨んでるけど。

寄り添いだったんだな。

私が
「落ち着かないあたまのなかがざわざわするもっと落ち着きたい」と言った時も
「薬がしんどい」と言った時も
先生はきっと、まずは「私の気のすむように」してくれたんだろう。
もしかしたら「合わないかもしれない」と思っていたのかもしれない。
けれども私の様子から、まずは気のすむようにしないと納得しないタイプだろうと判断したのかもしれない。
そしてその判断はあながち間違ってはいない。

きちんと説明してほしい気持ちはあるけれども、
同時に私は自分の考えを頭ごなしに否定される事にとんでもなく弱いところもあって、
メンタルの調子と内容と口調によっては、
意見の否定=私自身の否定=関係性の崩壊
と一気に悪い結論になだれ込むことがある。
薬の処方に関しては、私のほうではきちんと内容を聞きたい間違っていたら正してほしいと思っていたけれども、まだ数回の診察でしか会っていない先生にはそんな匙加減の難しい判断はできなくても仕方がないし、どの時もきっと私の圧は強かったのだろう。
調整したいと思っているのだけれど、私は自分の圧の強さは理解している。

優しさからの寄り添いだったのだろうな。
心療内科って、気持ちの針の振れ方でさくっと死んじゃうかもしれない人が相手だもんな。

「どうしますか?ぽんこさんの辛い所をお聞きするともしかしたらお薬は違うのかもしれませんね」
「はい、もしかしたらそうかなと思いました」
「ではお薬はいったんやめて、カウンセリングで改善を図ってみましょうか」
「はい、そうしたいと思います」
「本当にごめんなさいね。合わないお薬ですみませんでした」

このやりとりでこの日の診察は終わった。

きっと、私が気のすむようにしてくださったんだろうな。

数週間の不信感に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになった診察だった。

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