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村勇者の転落と不戦敗の時代

インターネットが大衆化する以前の時代、彼らはまだ世の中に存在していた。そう村勇者である。

彼らは特定の分野で秀でた才能を持ち、地元で尊敬されるものたちだ。学校、部活、学習塾、学生社会人サークル、職場、習い事教室、道場、ジム、ゲームセンター、カラオケ店、ビリヤード場。様々な場所にそこの勇者がいてまわりから尊敬を集めていた。

今からは想像もできないだろうが、ネットが発達する以前の時代の情報源といえば雑誌や新聞、テレビなどしかなく、今の100分の1程度の二次情報しか手に入れることができなかった。そのため地元や地域で圧倒的にトップであれば日本、いや世界でもやれるんじゃないか?と周りの人間誰しもが勘違いして持ち上げてくれる時代が数十年前まで存在したのである。

しかし第二の知恵の実であるスマートフォンが登場し、インターネットが一般庶民に幅広く開放された結果、村の勇者たちは次々とその地位を追われることになった。

今や誰しもが手に持つスマートフォンで検索すれば、それまで尊敬されていた地元の勇者よりも何倍も凄い強者たちの姿が画面に映し出される。それまで凄い凄いと崇め奉られていた俺たちの勇者は、実は世界的に見ればパンピーよりもちょっとだけ素質があるに過ぎない凡百の人間であったことが露わにされてしまったのだ。

その結果、村の勇者はその地域の老若男女から尊敬される存在から『界隈では有名だが一般人から見ると誰それ?』なミクロなプチ有名人程度の存在に堕とされてしまった。

井の中の蛙大海を知らず、という諺はもはや死語である。井の中の蛙でいようとしても、SNSやYoutubeが聞いてもいないのに検索結果からトラッキングして『大海にはサメやシャチがこんなにもいるぞ!!』とお勧めしてくる。小さな井戸の中で得た蛙の自信は即へし折られる。

令和日本はネタバレの時代である。何かにトライする前にネットで少し検索すれば、その界隈のトップがどの程度の実力なのか、なるのがどれだけ大変なのか、彼らが得ているお金や名誉がどの程度なのか、失敗するリスクはどの程度あるのか……などの答え合わせが数分でできてしまう。男子が男のロマンを抱いたり、女子が白馬の王子様に期待することが本当に難しくなってしまった。令和日本で自分の未来に夢を見ることは本当に難しい。

夢を見られなくなった結果、「どうせ失敗する確率の方が高いし、成功しても大したものは得られないのだから何もしないでおこう」という不戦敗思想に走る若者が増えている。一見コスパが良く賢そうな不戦敗思想であるが、これには大きな落とし穴が待っている。それは何なのであろうか?

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