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谷津田の民俗考察vol.1

●はじまり
民俗学が好きだ。20代で離島に出会い、時空をトリップしたかのような、自然と共生して暮らす人々の知恵のあることを知った。それまで東京しか知らなかった私の、エポックメイキングだった。

埼玉で暮らすようになって、グリーンインフラとグレーインフラのはざまを、行ったり来たりしながら、ゆれている。川は護岸工事をするのだが、大雨が降って洪水で壊れ、にもかかわらず、また工事される。我が家が隣接する元高校の跡地は、桜の木が切られてから、毎年土砂崩れになり、とうとうコンクリートの擁壁を作る工事が始まった。

私は、もぐらやみみず、微生物のように、自浄作用を促進する者になりたい。この地の民俗を知ることは、産業化以前の、自然の叡智を想像し、自然と人が共生していくための未来を創造することにつながっている。

●考察
埼玉の民俗は、離島に比べると、淡白、薄いと言いますか。私は長いこと離島のフィールドワークをしていたので、まずは、そこと比較してみます。
港がある漁村と違って、農村は外からの刺激も少ないわけで、文化のるつぼたる漁村とは、対照的に感じる。漁村では、いつ何が獲れるかわからない、何が、あるいは誰が流れ着いてくるかわからない、突発性というか、その日その日の変化に富んでいる。農村は、閉鎖性があり、年毎の繰り返しであり、安定していることが望まれる。
漁村では海からの恵みは皆のもの。農村では土地が個人所有だし、耕して種を撒いた人がいるから、作物は勝手に食べたら泥棒になる。ウチとソトの線がある。里山はかつては入会地だったわけだが、山の幸も、皆のものというわけにはいかないのだろう。
全てを洗い流す台風が来るわけではない。船で波に飲まれるわけではない。農村は、雨風と太陽の安定しためぐりのなかで、計画的に食糧を生産し、安心して生きられる。
田畑は広いので、家々が密集しているわけではなく、各家が独立してシステマチックにできている。コミュニティの共有スペースは、かつては神社だったろう。稲作儀礼に、文化が凝縮されている。そして、同システムの類似した文化が多数存在する。

民俗学者の山内明美さんは、「こどもパンセ」の中で、幼少期、自分の田んぼを与えられ、重労働の上、冷害に見舞われたり、苦痛を味わったと書いている。
それにも重なるが、稲作は、大和朝廷による、定住政策、人口増大の政策でもある。滑川の谷津田で会った老男性は、米を作れば作るほど、経済的には損になる、と嘆く。この土地を継いだ自分は縛られている、と。今の世も、政策によって苦しめられている。なんというか、農村では、被抑圧者の、悲しみや、あきらめを、感じてしまう時がある。
そんな中で、移住して有機農業をしている皆は、本当にたくましい。それは、彼らが力を合わせて、知恵を合わせて、戦っているからなのだろう。

自分の立脚点としては、繰り返しになるが「この地の民俗を知ることは、産業化以前の、人の叡智を想像し、自然と人が共生していくための未来を創造することにつながっている」。
空間的な探究を手始めにしたい。
・歩いて、神社をまわる。
・山から田にいたる、水の道。誰のものでもない、むしろ神のものである領域から、里という人の世界にいたる。野生から、人の手の入った世界へ。その境界。ウチとソト。

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