京都楽しかったな

この記事はTokyo City University Advent Calendar 2021の1日目の記事です
https://adventar.org/calendars/6738

アドカレ初日を飾る、健気で麗しい可憐な少女は誰でしょうか?
そう、私です!

4年間ずっと他人の記事を読むだけでいいかなーーと思っていたのですが、自分の用の備忘録としても、もしかしたらいるかもしれない私のような境遇の後輩達のなにか助けになればと思い筆をとりました。

私は18年度入学の現在2年生です。
2回留年して3回目の2年生です。
留年のタイミングとコロナが被って大学いかないで済んで楽だなーーと去年は思っていたのですが、ずっと家に居ると怠け癖が加速するなと体感しています。

そもそも、去年は授業を受けたのは前期のみで後期は休学をし京都の方へ移り住み働いていました。
正社員としてではなく、派遣社員としてとあるスポーツ用品店のショップ店員をしていたのですが、私が勤めていたお店は2021年2月末に閉店が決まっていた店舗でした。そこに私は11月から2月迄の期間限定で雇ってもらい、3月から新しく別のところで働こうと考えていたのです。
一人暮らし自体は順調で、人は環境に慣れるのものだと改めて実感しました。
仕事も、「二度とBtoCなんてやるか」とは思いましたが、期間が決まっていたので、多少のストレスがあっても我慢が出来ました。

このまま私はここに住むんだろうな、と当時は思っていました。
年が明け、閉店が目の前に迫ってようやく私は転職活動を開始しました。
かなり遅いスタートだと思います。私は大学を中退予定(休学という形で後期は席だけ置いていました)で社会人経験も無いに等しく、これといったスキルや資格を持っている訳では無い。
みんながやりたがる仕事は出来る人がどんどん持っていき、私に届いたのは大量のお祈りメールでした。
今年の3月頃1度東京に戻り退学手続きを進めようと実家に帰った時もハローワークに行き幾つか書類を送りましたが、結果は変わらず。
さて、このままでは貯金も尽きて自己破産かなと呑気に考えていたら母が「大学に戻る?」と甘い言葉を掛けてくれました。
進む道が全部塞がって、途方に暮れていた私からしてみたら菩薩の手か、蜘蛛の糸のようでした。
勿論、悩むこと無く大学復学を選びました。
3Qまで授業受けて、諦めたいお気持ちが若干あるんですけど頑張るしかないかなって。

だって本当に死ぬところだったんだもん。

と、まあこんな感じで私の怒涛の1年間をかいつまんでお話させて頂きました。

親が諦めずに私に投資してくれているのに、何も返せなくて正直辛いですし、本当に微積線形等の数学系科目分からなくて憂鬱になりますが、まあ、精一杯生きようと思います。

よく、「なんで京都に行ったの?」と聞かれるのですが、都心のまわりより大阪のまわりの方が家賃が安そうだったのと、単身赴任している父と父方の親戚が大阪にいるので、何かあった時(災害等)に頼れるなと思ったからです。
私がいる間災害は無かったですが、滅多に会いに行けない父方の親戚に気軽に会いに行けたのはラッキーだったなぁと。

親元を離れたのもわけがあり、我が家の方針で「学生の身分じゃないなら家から出て行って」という空気があったので家から出ました。ただそれだけです。

以上で私の面白い1年の備忘録を終わりにさせていただきます。
ご精読ありがとうございました。

みんなこんな先輩になるなよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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