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劇場版『クレしん』……ってコト!?【『オラと博士の夏休み』感想】

このnoteでは『クレヨンしんちゃん「オラと博士の夏休み」~おわらない七日間の旅~』のネタバレがガッツリございます。未プレイの方はご注意を。

先日、配信で遊んでいた『オラ夏』をクリアしましたので、そのプレイ後感想noteです。(第1回配信はコチラ

ちなみに事前情報→プレイ後での印象の変遷ですが、

『クレヨンしんちゃん』キャラで『ぼく夏』新作……ってコト!?

ん……? いや、これ『ぼく夏』ではないな……?

なるほど「劇場版クレヨンしんちゃん」+「ぼく夏システム」か!

いや、やっぱ「ぼく夏らしさ」もあるかも……?

てな感じでした。印象がコロコロ変わってますね。

え〜〜〜っと、ざっくりまとめると「ぼく夏システムを流用した劇場版クレヨンしんちゃん(読後感は『ぼく夏』寄り)」てな感じでしょうか!

正直なところ『ぼく夏』新作を期待して遊び始めてしまったので、序盤ではどう楽しむべきか、ちと困っていました。プレイ中盤あたりから本作をどう捉えたらいいか見えてきて、プレイ後の今は「良い体験だったな〜」という気持ちでおります。
その辺りの「狸谷的には、このゲームをどう捉えたか」を主軸に、感想を残していきますね。

※ゲームの性質上『ぼくの夏休み』シリーズと比較しがちになってます


『ぼく夏』システムを使ったストーリーゲーム

本作のゲームシステムは、基本的に『ぼく夏』と同じです。

明確な目標はありません。強いて言うなら、「子供目線で夏休みを満喫する」ことでしょうか。
いろいろトラブルが起きるので小さな目標はたくさん発生しますが、「魔王を倒す」「姫を救う」みたいな最終目標っぽいものはないです

ただし夏休みの目標は「美子お姉さんとおデートすること」がある

朝〜夜までの時間を、
・魚を釣り/虫取り
・探検
・お使い
・ご近所の子供と遊ぶ
・おデート

などなどをして過ごす。そんな「子供の夏休みの日常」を擬似体験できます。

ただ実際遊んだ感覚は「劇場版『クレヨンしんちゃん』を楽しみつつ、夏休みミニゲームができる」な感じでした。
大きなストーリーがあって、そのメインストーリーの合間に釣りやら虫取りやらの「ぼく夏っぽい」行動が取れる……みたいな。そしてその「ぼく夏っぽい行動」は、ゲームの主軸ではない印象だったんですよね。

魚釣り・虫取り・水やりなどができる

ちなみにメイン以外に複数のサブストーリーがあります。
こうしたストーリーたちは基本的に強制イベントとして発生してました。なのでゲーム全体を通し、「自分の行動・選択でストーリーを進める」感覚はないかもです。(強いて言うならおデートイベントくらいかな……?)

そんなわけで、あくまで「ストーリーゲーム」として作られてる気がします。
そしてそのストーリーを自分で動かすと言うより、提示される物語を堪能する……的な……?

そんなわけで、

×新作『ぼくの夏休み』
○ゲーム版『劇場版クレヨンしんちゃん』

なのか! てな答えにたどり着いたわけです。そう捉えてからは、ゲームの進み方への戸惑いもなくなりました。
そして荒唐無稽なストーリーがまた“ぽい”んですよね。(といっても『クレヨンしんちゃん』への造詣は深くないんですが……)


ギャグとSF(少し不思議)が同居するストーリー

メインストーリーはざっくりこんな感じです。

みさえの旧友を手伝うため、夏休みのひと時を熊本の“アッソー”で過ごすことになった野原一家。しかしそこで(自称)マッドサイエンティストなあくの博士の野望に巻き込まれ、しんのすけ達はループする1週間に閉じ込められてしまった! しかもあくの博士はタイムマシンを使って、過去から恐竜を召喚し始めて……!? でもそれはそれとして、しんのすけは虫取りや探検やお姉さんとのおデートなど、アッソーでの夏休みを満喫するのです。

うん、この概要だけでお腹いっぱい感あるな。しかも他にもやばい事実・やばい大人・やばい恋模様など、要素マシマシなんですよね。

マッドサイエンティスト、あくの博士

なんというか、この怒涛のツッコミどころパレードに、狸谷は“しんちゃんぽさ”をすげー感じたんですよね。
しかもプレイヤーはしんちゃんと共に行動するので、ずっとツッコミを入れる状況になると言いますか……本来ツッコミを入れる側であってほしい大人たちに、ヤベェ奴がそこそこいるんですよね……。(確か原作しんちゃんも、ヤベェ大人がいっぱいいますよね)

“銀河流忍者の末裔”もいる

そこに加えてのSF(少し不思議、の方っぽい)要素ですよ。この辺に劇場版みがありますよね。
夏休み、知らない田舎、日常から少し離れた場所。そんな場所で起きる、一夏の不思議な経験……。


………………。


いやあれ、「一夏の不思議な経験」でまとめていい展開でもない気がするな。

「ループする都度、新たに並行世界が生み出されてる」
「並行世界の住人は元の世界から連れてきて、その世界のキャラに当てはめられてる」
「加えてループに関わる人間の想像・記憶から召喚される存在もある」
「ループしてることを理解してるのはしんちゃんとあくの博士のみ」

並行世界は軽率に作らないでほしい

うん……これ結構ブラックな設定……ですよね……。

狸谷はFGOをプレイしてるのもあり、並行世界だの・そこに生きる人間の何某だの、その辺の話を重く捉えてしまうので……。当時は、同時に遊んでたホラーゲーム(Visage)より恐怖した記憶です……。

まぁでも言うて子供向け作品でありゲームなので、並行世界云々の整合性を突き詰めたり、がっつり考察したり、そんなゲームではないのです。たぶん。
ストーリー上で、この辺はきっちり解決しません。博士が召喚した恐竜を過去に送って、タイムマシンぶっ壊すことでループを止めて、ハッピーエンド! てなストーリーでした。

すっごい壊れちゃったタイムマシン(ノートパソコンの姿)

深く考えすぎないで、「夏休みに超常現象に巻き込まれて、冒険と日常を両方満喫して、最後には解決ハッピーエンド」な物語を楽しむ。そういうお話なんだと思います。
「なんか大変なことが起きてるっぽい」ことを感じさせつつも、深刻にはさせない、そういう配慮なのかなーなんて感じてました。
あれですね、『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』の「ガノンドルフの復活でハイラルがやばいけど、住人の皆がそんなに危機感持ってないから、後ろめたさを感じず寄り道ができる」的な、あの配慮。

てなわけで、日常系ギャグとSFを軽い口当たりで楽しめる、そんなストーリーでございました。
恐らく原作しんちゃん(劇場版)リスペクトの結果、こういったストーリーになったんでしょうね。ちゃんと子供が楽しいやつだこれ。


子供の目線で見える範囲の世界・物語=『ぼく夏』の物語

で、「並行世界設定の整合性」「全てを解決しきらない展開」「最後までちゃんと明かされない設定」などなど、プレイヤーに全てを説明しない点について、もうひとつ思ったことがあるんです。

(ちょいとここで自分語り挟みます、すみません。)

狸谷が体験した『ぼく夏』は、2と3です。2は自分で遊んで、3は恥ずかしながら実況プレイで見ました。(その実況めちゃ素晴らしかったので悔いはないのですが。ちなみにコチラです )

両方素晴らしかったんですが、特に2がすごい印象に残ってるんですよね。

(ぼく夏シリーズは基本そうですが)2は登場人物みんなに人生があって、夏休みという短期間の中で各々ドラマが起きてるんです。
で、プレイヤーたる主人公「ぼく君」は、そんなドラマの一端しか見ることができません。

“あの時”の詳細は、ぼく君では知り得ない

夏休み前に何があったかは、話を聞くことしかできない。
子供が理解できない範疇のことは、理解できない。
登場人物がその土地を去ってしまうと、その後どうなったかわからない。
登場人物たちは「ぼく君に言えないこと」は、教えてくれない。

そう、「夏休みに遊びに来た他所のちびっこ」が見える・聞ける情報しか提示されないんですよね。
そんな「子供の目線で見える世界の物語」を体験できたのが、すごい印象深かったんです。もちろん、こちとら大人なのでいろいろ察することはできるんですが……その上で「夏休み・あの一瞬だけ出会った人たちとの物語」こそが『ぼく夏』なんだなぁ……。そう理解したわけです。
で、そこがめちゃくちゃ、もうめちゃくちゃ、グッときたわけです。

ゲームとか本とか、「物語」の形式にすると第三者目線を入れられるので、全部説明できちゃうじゃないですか。で、特に昨今は「答えは明示しません!」系は避けられがちなのもあり(狸谷の偏見かもですが)、全部説明する物語がスタンダードじゃないですか。
そんな中で「子供の頃に出会ったあの人、結局なんだったんだろ」を疑似体験できたのにびっくりしたんですよね。

谷口のおやっさん、「もっと何かできたのでは」と当時ショックでした

「ゲーム」として捉えるとモヤモヤ要素になるかもですが、「子供の夏休み疑似体験」として捉えると最高なんですよね。大人になってからふらっと富海に遊びに行って、「あれ、結局何だったの?」な話に花咲かせてくれ〜〜〜ぼく君〜〜〜!!!

謎のヒッピーお姉さんの話とか、してほしいね

……横道の話がめちゃ長くなってしまった……。
まぁつまり、『オラ夏』の全部が説明されない感じも、その『ぼく夏』イズムなんじゃなかろうか、と捉えたわけなんです。

並行世界とかいう難しい話、そら幼稚園児にはわかんないですよね。実際、しんちゃんが「オラ、わかんないゾ!」と言っていたので、わかんないんです。
プレイヤーは、しんちゃんと同じその景色を通して、アッソーでの出来事を体験します。だから全ては説明されないし、全ては解決されない。「わかんなかったけど、不思議なことが起きてた」くらいの理解で、正しいんだと思っております。

それでええんや

ただこのポイントはちょっと難しいところがあるんですよね……。
『ぼく夏』だと主人公は「ぼく君」なので、主人公=プレイヤーの認識で遊びやすい。ただ『オラ夏』だとそこが「しんちゃん」になっちゃうので、主人公≠プレイヤーな認識になっちゃうと思うんです。(狸谷はその認識で遊んでました)

その場合、大人が遊んじゃうと「子供の夏休み疑似体験」になりづらく……。結果「全て説明されない」に理由付けがなくなって、ただの不親切に感じてしまう……みたいな構図になっちゃうと思うんです。
だから話の展開にびっくりしたり、モヤモヤしたりしちゃう……的な……。

その辺を狸谷は
・劇場版しんちゃんの新作を、ゲームというメディアで楽しんだ
・しんちゃんを通して、主観的な夏休みの擬似体験をした

という2種類に、目線を分けて捉えることにしました。おいしいとこ取りってやつですな。


そんなわけで、狸谷の『オラ夏』感想は
「『クレヨンしんちゃん』ってこんなお話なんや〜」
「良い“夏休みの不思議体験”やったな〜」
です!
うん、これを言いたかっただけなんですけど、えらい長くなっちゃいました。

恐らく、挑戦的なゲーム化だったんだろうな〜と思います。ファミ通さんのインタビューでも、その大変さの一端をお話してはりました。
主人公が確立されたキャラクターの場合、プレイヤーと主人公の関係をどう構築して、物語やゲームシステムを作るのか……今後ゲームを遊ぶときに、その辺の目線も交えて遊ぶと面白そうだな、など思いました。

ここまでごちゃごちゃ言ってきましたが、「夏の屋外」が大っっっ嫌いだけど「夏という概念」が大好きな狸谷みたいな奴にとっては、この手のゲームは大変ありがたいのです。
今後もバンバン出して欲しい。ゲーム制作者の皆様、何卒よろしくお願いいたします。



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