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ものの履歴


ものには履歴がある。

寒い冬の朝

うっすらと雪化粧した外の氣配を
視界の隅に感じながら、

手のひらの中にあるおむすびを
まじまじと眺める。

冬の空氣に溶けながら
窓辺から柔らかく差し込む光が

ちりめん山椒のじゃこ達の
透き通った亜麻色を映し出す。

無数の米粒とともに
そのひとつひとつが
キラキラと輝いてみえた朝



ちりめんじゃこ達のストーリーに想いを馳せる。

彼らのひとつひとつがこの世界のどこかのメスとオスから生を享け、かたちを持って世界へと送り出される。
彼らにとって最初の世界とは海の中だ。

広大な海原の中で
たまたまその時間
そのポイントで
その深度で泳いでいたものたちが網にかかる。


それを捕る漁師のほうも
たまたまその日の天候や潮の流れ
船の状態、或いはプライベートな理由によって
その日のその時間、その場所へと来ている。



捕獲され、調理されたじゃこ達は、
工場でそれぞれパッキングされ、
全国へと出荷されてゆく。


そしてたまたまその日に届くよう
それを注文していた私の元へ
膨大な数あるパックのうちから
あるひとつのパックに入ったじゃこ達が届くのだ。

注文日が一日違っていれば別のパックが届いていただろうし、仕分けする作業員の詰める順番が違えばまた別のパックが届いていただろう。


じゃこ達の履歴には終わりがなくそれは永遠へと繋がっている。


それを囲む米粒たちもまた、ひと粒ひと粒が田んぼの別の場所で風に揺られていたのだろう。


それらが奇跡のように寄り集まって私の元に集まり、私の中でエネルギーとなって一体化する。



一体この世に偶然などというものが
あるのだろうか。



全ては結果だ



今、目の前にある景色が結果であり全て



人はついあの時ああしておけばよかった、こうしなければよかったと後悔してしまうものだが、そもそも失敗というものははじめから存在しないのだ。



あらゆるストーリーの全てが折り畳まれた
記憶の世界

それは精神の世界であり終わりのない履歴の世界




それらを分断するものとはなんだろうか。




それはおそらく言葉だ。




「ちりめんじゃこ」


そう言った瞬間にじゃこ達一匹一匹のストーリーは消え去ってしまう。



「ちりめんじゃこのおにぎり」


そう言った途端、目の前には全てのちりめんじゃこのおにぎりが同列で存在し、米ひと粒ひと粒の履歴はじゃこ達の履歴と共にたちまちかき消される。


言葉は履歴を消し
全てを同じものとして存在させる。


言葉とはおそらくそういったものなのだ。


言葉はそういった意味で存在を時空に留めておくための錨のようなものとも言えるのかも知れない。




私たちは本来はみな名もなきものなのだ。



それを想いだす


私たちは今そんな時代を
生きているのかも知れない






*・゚゚・*・゚゚・*:.。.to be continued