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すずめの戸締り |ω・)و ̑̑

すずめの戸締りを観てきました。

実は先月までこの映画の事を知らず、ハッシュタグなどで目にしたことはあったのですが「日本昔話風のキャラみたいなのが流行ってるのかな。」と思っていたら、映画だったのですね(^^;;

しかし新海監督の映画と知ると途端に内容が氣になってしまいますね~、まずタイトルからして引っ掛かります。「戸締り」とくればもしかして岩戸の事なのだろうか….

という事で久しぶりに映画館へ(∩´∀`∩)♡



⚠️注)以下ネタバレ&個人的妄想となりますのでまだ観ていない方やご自身が観たままの感覚を大切にしたい方はここでストップしてくださいね~。



よい映画でしたね~。日本人には潜在的に刺さるのではないでしょうか。
日本に御座す神々の物語でしたね。


私は先入観を持たずに観たかったため、あらすじや読み解き的なものを避けていたので基本的な情報をあまり知らなかったのですが、震災の記憶と向き合う物語でもあったのですね。

すずめの「現在」がある宮崎から「過去」である東北への癒しの旅の中で交差するそれぞれの想い。人の想いと記憶、その時のあなた、その時の私、あの時日本中に渦巻いた想い。全てが大きく共振するかのように涙が溢れました。



そしてこの映画は示唆に満ちてもいるようにも感じました(以下、個人的雑記メモとなります)。

戸締りと聞いた時点でピンときたのですが、すずめの苗字が「岩戸」で閉じ師の草太の苗字は「宗像」と、思った以上にダイレクトだったので出だしから少々驚きましたΣ( ̄。 ̄ノ)ノ

地下で地震を起こす神がミミズとして登場しましたが、日本列島の下に御座すのは龍なのですよね。
蛇に形が近いからミミズなのでしょうかね。龍は蛇が空を飛んだ姿です。


物語では要石がキーになっていましたが、要石といえば真っ先に浮かぶのが東国三社のうちの一つ、武甕槌大神 タケミカヅチノカミの鹿島神宮です。

武甕槌大神は同じく東国三社の香取神宮の御祭神である経津主大神フツヌシノオオカミ と共に出雲に降り立ち国譲りを迫った神です。

鹿島神宮と香取神宮の要石は地震を抑えているとされていますが、要石はペアになっており、鹿島神宮の要石は凹型で香取神宮は凸型をしています。

昔は大鯰が地震を起こすと考えられていたので、よく見られるこういった絵では武甕槌大神が地震を起こす大鯰を剣で押さえつけて地震を抑えているのですが、、

鯰は出雲の建御名方神の眷属ともされているため、なんだか大和が出雲を抑えつけている図に見えてしまうʕʘ‿ʘʔ
実際、建御名方神は武甕槌大神に負けて出雲は平定されていますもんね。

宗像一族は出雲族の士族ですし(諸説あり)、出雲は土蜘蛛が土から出てきたのが出雲。建御名方神のいる諏訪は言わずと知れた縄文王国です。


この要石には不思議な力があるとされていて、徳川光圀が要石の周囲を7日7晩掘り起こしても底が見えず翌日には穴は元通りになってしまったという記録が残されています。面白いですよね。

こうした要石が今もその役割を担っているどうかは分かりませんが、そうした隠された場所というのはあるのかも知れませんね。特に日本は雛形ですから、世界の要石ということでもあるのでしょうね。




物語ではことごとく扉を閉じていくストーリーが展開され(閉じ師なので当たり前ですが)、神々は再び封印されます。

封印される神様も本来はよいも悪いもないのでしょうが、人の世での善悪であったりその時代の必要性によって様々な理由でそうしたことが行われてきたのでしょうね。

アマテラスが岩戸からお出ましになった途端、布刀玉命 フトダマノミコトは二度と洞窟へ戻らないようにと岩戸にしめ縄をかけますが、しめ縄は封印の印でもあるのですよね。神社というのはそうした役割のものも中にはあるのだと思います。


右大臣と左大臣(だったかな)が善なのか悪なのか観ていて混乱した方もいるのではないかと思いますが、宇宙にはに善悪のような二元的なものはなく、どの存在も宇宙進化には必要な存在であるということが示されていましたね。

宇宙的に強いて言うならば、進化の方向性を止めるものが人間でいう悪のイメージに近いと言えるのかもしれません。

いかにもといった感じの閉じ師のおじいさんが黒い猫型大臣にお願いするシーンにはそういった人と神との関係性のようなものが集約されているように思いました。


一枚の扉によって常世である潜象世界と現世の現世が裏表のように繋がり合う。満月の夜に扉が開くのも印象的でした。

扉はいつも廃墟にありますが、祀られず、人々に名を知られることもなく自らが要石となり人々を災いから守り続けてくれている存在達の悲しみを廃墟とダイジンの台詞が象徴しているようにも思えました。

そうした存在達へ心から感謝の気持ちを送るというのはとても大切なことですね。


すずめが草太と神戸から新幹線で東京に向かう途中で富士山を見逃すシーンも象徴的に思えてしまったのですが、
富士山に祀られているのは木花咲弥姫命です。木花咲弥姫命は阿多隼人の祖の女神であり、縄文の神を信仰していた一族の姫君なんですよね。それをスルーした。

古事記には日本で古来からこれほどまでに特異的な存在感を放ち続けている富士山が何故か出てきませんが、これは関東~東北の縄文王国を隠すためだとも言われています。

私にはこのストーリーが隠された縄文の神々の物語のように思えました。


天孫降臨の地、宮崎から四国へ渡り、淡路島を通って神戸、そして東北へと旅するルートも神話に満ちていましたね。

神戸はその名の通り神の戸がある場所であり、六甲にはとある縄文の神が鎮座すると言われています。六甲はカタカムナの聖地でもあります。


それにしても観る前からずっとタイトルが引っ掛かっていたのですが、今まさに岩戸が開かんとしている時に、扉を「閉じる」、というのにやはり何か違和感を感じてしまいまして、映画を観たらその違和感も解消されるのかなと思いましたが、その点は最後までモヤモヤが残ったのですよね。

本来は閉じ込めるのではなく封印された龍のエネルギーを開放しなくてはならない時では?、、と思ったので、主人公達の数霊をみてみたところ、

イワトスズメ  3+9=12=3  光

ムナカタソウタ 153=9 飽和する光  発信放射

ムナカタソウタイワトスズメ  192=3
  生まれ出る振動 光


すずめの数霊3は「光」でドンピシャですね!光のエネルギーです。
閉じ師の宗像草太は飽和する光を発信放射するエネルギー。本来は溢れる光を放出するエネルギーを持っていることが分かります。閉じ師というよりも、むしろ開け師ですねw。

そして物語ではすずめと草太は協力し合いながらペアで扉を閉じていきますが、数霊から二人は光の振動を生み出す役割を持っている関係であることが分かります。こちらもドンピシャで面白いですね。やっぱり本当は扉を開ける物語なのではないかと思いました(153というのがまた凄い数字なのですがここでは書ききれないので省略)。


それにしてもこのタイミングでこの映画が上映された重要性を考えると、


個人的には地震の恐怖から扉が「閉じる」という集合意識へ向かってしまうのはちょっとマズイと思ったので、閉じるのではなく、隠された神々の光が世界に放たれる開かれた扉のイメージを全開にして上書きしておきましたw。





すずめは扉の中で過去の自分自身と向き合います。世界は自分の内面にあり、アマテラスの岩戸が外からは開けなかったように、岩戸は外からは決して開けられない。




自分の内面宇宙と向き合い、自らの意思で内側から扉を開いた時に初めて、私たちはプラトンの洞窟の影の世界からからイデアの世界へと抜け出します。






<伝言>メモ的な走り書きのためしばらくしたら削除予定です(っ'ω'c)''