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༄༅古史古伝の世界༄༅ 竹内文書⑨ 不合朝 天変地異の世(後半)

古史古伝の世界へようこそ(∩´∀`∩)。前回に引き続き古代の天変地異についてです。

前回お話したように竹内文書には多くの天変地異の記録がみられますがそこには大地変を予告するかのような興味深い記述があります。


天変地異の記録には「木に餅が生る」という記録が多く書き添えられているのです。


「地球万国全部土の海となること二度に及び。土海になる前後に必ず大木小木に餅がなる。

「大変動土の海となる。必ず木に餅ができる。

「万国土の海と大変動かゆらかす。木に餅がなる。

「日の国に登り、地球万国土の海とかえらくす。木に餅がなる。万国人全部死す。」

「天下万国土海とかゆらくす。木に餅がなる。五色人全滅し、神帰り。」

「五色人全滅す。地球万国大変動土の海とかゆらくす。人三尺となり前後木に餅がなる。


木に餅がなるとは一体どういう事なのでしょうか。この記述が何を意味しているかについては謎のままなのですが、今のような餅が木になった訳ではなく、餅のようなものが生えたためにそれを当時の人々がモチと呼び、後世でつくられた餅がその形状に似ていたことから現在の餅をモチと呼ぶようになったのではないかと推測されています。

また竹内文書研究者の高坂氏によると木に餅がなるというのは天変地異後の荒れ果てた土地で人類が生きていくために神が与えた恵みであり、その名残として正月に餅を木に飾りつけて食べ物に感謝する風習が残っているといいます。

これは「餅花」と呼ばれるものですが目にした事がある方も多いのではないでしょうか。

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  写真はnoterさん"3villagesさん"の作品です♪


荒れ果てた土地で神から人間に与えられた食物といえば聖書でイスラエルの民が出エジプトの際にシナイ砂漠の荒野を四十年間さまよった時に神から与えられた「マナ」が浮かびますね。

マナは壺に入れられており、このマナのお陰でイスラエルの民は飢えから救われ生き延びることができたと伝えられています。マナはパンとも言われますが細かくは「荒野の面に現れるうろこ状の薄い霜のようなもの」であり「コエンドロ(コリアンダー)の種のようで白く、それを臼で挽いてパンにした」という旨の記述があります。


日本でも天の恵みである魚(真魚)や植物(真菜)のことをマナと呼び、それらを切るのがマナ板として現在でも名残りが残っていますが大切な娘の事を「愛娘」と呼んだり「学び」というのも本来は天から授かる大切なものといった意味が含まれているのかも知れませんね。

ハワイ語でもマナは超自然的な聖なる力という意味を持ち、生花や貝で彩られたレイはそれを身につけることで神聖なる力である「マナ」を得られると信じられていました。天の神聖な力というのが共通していますね。


また日本でマナと言えば有名なのが京都にある元伊勢籠神社ですが、籠神社では真名之壺(マナの壺)と呼ばれる金の壺を重要な儀式のときに用いていたと言われています。聖書のヘブル書にもマナは金の壺に入れられていると記されているため共通していますね。

籠神社の奥宮は眞名井(マナイ)神社ですが、眞名井神社のご祭神は御饌都神みけつかみである豊受大神です。御饌都神というのは食物の神様です。

籠神社は"コノ"神社と読みますが眞名井神社のご神紋にも籠目紋(六芒星)が裏紋として使われていたようです(現在では境内の石碑などもともとは籠目紋だったものが左三つ巴紋に変更されています)。こういった事から何かしらイスラエルとの繋がりがあるのではないかと言われています。

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                                                               Wikipediaより引用

豊受大神は第二十一代天皇雄略天皇の夢に現れた天照大御神が「丹波の真名井におられる御饌都神の豊受大神をお迎えしたい。」と告げられたことから籠神社から伊勢へお遷りになっています。

その雄略天皇が"金の壺を開けたところ白い煙が出てきたので慌てて閉めた"という記録が『日本書紀通釈』に書かれているようです。

(これについては実際に日本書紀通釈に書かれた箇所を確認してみたかったので国立国会図書館のデータベースでざっと探してみたのですが残念ながら該当箇所を見つけられませんでした(›´ω`‹ )。精読していないのと漢文は読み飛ばしたため実際にはあったのかも知れません......しかし日本書紀通釈にその内容があるというのは飛鳥昭雄氏の著書に書かれているようですね!)。

もしご興味のある方はこちらのデータベースから日本書紀通釈を閲覧する事ができますので探してみてくださいね(*´▽︎`*)。もし見つけたらコメントお待ちしています|ω・)و ̑̑༉↓

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/933888



こうして様々なものを連想させるマナですが、竹内文書に何度も「五色人全滅す」とあるように、天変地異がある度にそれを生き延びた人々というのはごく僅かだったのかも知れません。なんとか生き延びたとしてもその後の人類の生活というのは想像を絶するものであったでしょう。竹内文書にある木になる餅がマナのようなものだったとしたら、それはまさに天からの恵みであり生かされている事に深い感謝の念を感じたのではないでしょうか。

人類の精神が堕落し与えられている有り難さを見失う度に大洪水により世界が一掃されてきた古代の歴史を想うと現代の私たちの暖衣飽食の時代というのは色々と考えさせられますね。


地球全体を覆いつくすほどの大洪水というのは文明の終焉を意味します。もしそうした大洪水が古代に何度も起こっていたとすれば文明はこれまでに幾度も滅びてきた可能性があり、現在の私たちの文明が地球歴史上唯一の文明ではないのかも知れませんね。



ではまた次記事でお会いしましょう( *ˊᵕˋ)✩︎‧₊