༄༅古史古伝の世界༄༅ 竹内文書 ① 四つの時代
古史古伝の世界へようこそ。今回から竹内文書シリーズとなりますが、早速概要から入っていきましょう\(´ω` )/♡︎。
竹内文書が記されたのは五世紀の後半です。古事記が完成したのが712年ですから、竹内文書は日本最古の歴史書とされている古事記の二百年以上も前に書かれていた事になります。時代でいえば古墳時代です。
これだけでも十分古いのですが、竹内文書の原典は神代文字で書かれており、この原典を竹内宿禰の孫である平群真鳥が漢字カナ混じりに書き改めて現在の竹内文書と呼ばれる文書にしたのが五世紀の後半なので、基となった原典は更に古く、いつ書かれたものであるかについては分かっていません。いずれにしてもとんでもなく古いものである事は確かですね。
竹内文書は偽書とされていますがその大きな理由の一つとして原典が神代文字で書かれていることが挙げられます。なぜなら神代文字の存在は史学の世界では認められていないからです。
神代文字というのは日本固有の古代文字の事ですが、伊勢神宮の神宮文庫には神代文字で書かれた九十九葉の奉納文が秘蔵されています。
ご存じの通り、あまたある日本の神社の中でも別格である伊勢神宮で正式に神様に献上されているのですから、普通に考えても出鱈目なものが奉納されるはずもなく、きちんとした文字であった可能性は高いのではないでしょうか。
しかもそこに秘蔵されている神代文字を書いた人物はというと、藤原鎌足、太安万侶、稗田阿礼、菅原道真、平将門、平忠盛、源頼朝、源義経、後醍醐天皇........と、ちょっと驚くようなそうそうたるメンツがずらりと並んでいます(;・ω・)。
因みにかつては誰でも神宮文庫に行けばこの神代文字を見れたそうなのですが、現在では資料保存のため一切公開されなくなってしまったようです。私も実際に見てみたかったので残念です(›´ω`‹ )。
神代文字はアカデミズムの世界では否定されていますが、その一方で伊勢神宮をはじめ全国の神社でこうした痕跡がみられているのも事実です。
神代文字については過去記事 "神代文字って?"をご参照ください(´ω` )
もし仮に神代文字の存在が認められれば歴史は大きく書き換わる事になりますが、そもそも歴史というのはこれまで教えられてきたものが正しいとは限りません。
たとえ教科書で確固たる事実であるかのように記載されている事柄であっても、裏では今もなお論争が続いているものも多く、何か一つ大きな発見があれば覆されるのが常です。そしてそれが古代になればなるほど大幅にひっくりかえる可能性が高いのです。
竹内文書を読むにあたってはまずこうした既成の歴史の概念をちゃぶ台ごとひっくり返し、真っ新な心で読み進んでいっていただけたらと思いますポイッ (/・ω・)/ ⌒︎ ○︎┼︎<。
では次に竹内文書の時代区分をみていきましょう(´ω` )/
日本の初代天皇は神武天皇とされていますが、竹内文書には神武天皇以前の宇宙開闢にまで遡る歴史が記されています。もはや日本史ではなく世界史、いえ宇宙史です。
主な時代区分としては「天神」、「上古」、「不合朝」、「神倭朝」という四つの時代が存在します。この「天神」という時代区分は竹内文書独特の時代区分となります。
天神は宇宙開闢からスメラミコトが地球に降臨するまでの時代です。因みにこのスメラミコトというのは神であり神皇である古代天皇の呼び名です。
続く上古は超古代文明の黄金期であり、スメラミコトが世界神皇として世界を統治し、天空浮船と呼ばれる航空機を使って万国巡幸を行い民を導いた平和な時代です。しかし後半になると様々な天変地異が起き始めます。
不合朝では度重なる天変地異に世界は分断され、高度な文明は失われてしまいます。そして神倭朝は初代天皇を神武天皇とする現在に至るまでの天皇の時代です。この神武天皇以降、世界を治めていたスメラミコトは日本だけを統治するようになってしまいます。
それにしても竹内文書によると宇宙開闢から現在に至るまで天皇の系譜が連綿と続いている事になります。凄まじい歴史ですね。
では次記事でまたお会いしましょう♪︎♪︎(*´▽︎`*)ノ゙⏩