見出し画像

༄༅古史古伝の世界༄༅ 竹内文書⑩ 神倭朝 おわりに

古史古伝の世界へようこそ‹‹\(´ω` )/››。今回はいよいよ四つの時代最後の神倭 かんやまと朝です。


神倭朝は不合朝最後の天皇である第七十三代狭野尊天日嗣天皇さのみことあめひつぎすめらみことの時に開かれました。聞き馴染みのない時代だと思いますが竹内文書の時代区分でいくと神倭朝はこの時から今生天皇まで繋がっていることになっているため現代の私達は神倭朝時代に属している事になります。神倭朝に生きていると思うと何だか古代が身近に感じられますね。


神倭朝では天皇の在り方に大きな転換がありました。それまで長い時代世界天皇であり続けたスメラミコトが世界天皇としての地位を失い日本のみを統治する存在へと変化したためです。

前時代からの度重なる世界的な天変地異により当然ながら日本も大きなダメージを受けます。皇祖皇大神宮も大きな被害を受けて失われてしまいますが、当時スメラミコトはそれを再建することもままならなかったと言います。このことから天変地異による破壊がいかに壊滅的なものであったのかと世界の中心地として栄えた宮を建て直すことすら難しいほど天皇の力が弱まっていたことが伺えます。


世界が混沌とする中でまずは世界の臍である日本からこの世を建て直さなくてはという想いから神倭朝は立ち上げられます。


狭野尊天日嗣天皇さのみことあめひつぎすめらみことはそれにあたり御名を「神日本磐余彦尊かみやまといわれひこのみこと」と改め、神倭朝第一代天皇となります。この天皇こそが現在日本で初代天皇とされている神武天皇です。

古事記でも中つ巻は神武天皇から始まりますがこの時は大きな日本の転換期でありまた世界の転換期であったのかも知れません。

神武天皇から始まる歴史だけをみても歴史の重みを十分に感じる長さなのですが竹内文書では神武天皇以前の歴史のほうが遥かに長く、宇宙開闢から始まり数多くの天皇が世界天皇として連綿と続いてきているので凄いスケールですね。なんだか神倭朝以降の歴史というのがつい最近のように思えてきます。


なお神武天皇以降の天皇の系譜については竹内文書においても細かな違いはあるものの古事記や日本書記で語られている記録とほぼ同じものものとなります*・゚゚・*:.。..。.:*




これまで駆け足で四つの時代をみてきましたが如何でしたでしょうか。「はじめに」の記事で紹介したように竹内文書はその多くが失われており、またその性質上現在私達が知る事ができるのはその一部でありここに紹介させていただいたものもよく知られている面をかいつまんだものに過ぎません。


竹内文書に書かれている内容が本当であるかは分かりません。歴史は権力者によって書き換えられるのが世の常ですし、竹内文書自体も何かしらの意図を持って書かれたという可能性も否定はできないでしょう。

しかしこれまで教えられてきた歴史が本当に正しいのかどうかというのもまた分かりません。資料などから分かる事も多くあるものの教科書に太字で記載されているものですら実際にはまだ様々な議論がなされているのが現状であり今後新たな発見があれば覆される可能性もあります。


これまでの歴史観のみならず世界観をも根底から覆すような竹内文書の内容は既存の学術界には到底受け入れられるものではないでしょうし、専門家達が地道に検証を重ねることで積み上げられてきた歴史を疑うというのは最初から意味のない事のように思えるかもしれません。


しかしこれまであたりまえに目の前にあり続けてきた世界というものの形が大きく崩れようとしている今、あらゆる可能性を排除せず、そして先入観を持たずに竹内文書のような大きなスケールで物事を捉える視座を持ち続けるというのは大切になってくるのかも知れません。

私達の知らない、でも確実に流れていた古代の時間を今に伝えてくれるこの文書は偽書とされながらも今も多くの人を惹きつける魅力を持っています。


〜終わりに〜

竹内文書シリーズを読んでいただきありがとうございました(о´∀`о)。こんなマニアックな記事を読む方はあまりいないだろうと思いつつ書き始めたのですが思いがけず多くの方にマガジン登録をしていただきました。こんなマニアックな記事を読んで下さったマニアックな皆さま(笑)、氣ままな投稿にも関わらずシリーズにお付き合い下さりありがとうございました。

束の間の古代の旅でしたがもし皆さまの興味や知識を深める一助となれましたら幸いです。


おわり (ノ・∀︎・)ノ*・゚゚・*:.。..。.:*