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議題:「友達と政治の話はするな」というタブー まずは廃止派の立論です。

どーもはじめまして。Pompadourのジョージです。ロゴのデザインとか担当しました。

政治と宗教と野球の話

 挨拶はささっと済ませまして・・・みなさんは「政治と宗教と野球の話はするな」というフレーズを聞いたことはありますか? 
 誰が言ったのかは知りませんが、一般的に商売相手や友人と政治・宗教・野球の話をすると喧嘩になりかねないためにタブー視されていることを表した言葉です。確かに正解のない個人の信仰や趣向で議論したところで平行線なので、どちらが正しいかを決定することを目的として話し合えば仲良くはなりそうにないですね。

 しかし私は、政治というのは他の2つと異なるものだと思うのです。ということでまずはその違いを見ていきましょう。


落とし所がない議論

 フレーズの中の野球というのはNPB、日本のプロ野球のチームのことでしょう。野球ファンにはそれぞれ好きなチームがありますよね。しかしどちらのチームが優れているかなんて議論は結論がありませんから、結果として罵り合いになりかねません。気の知れた間柄でもなければ関係性が険悪になってもおかしくはないでしょう。といってもいち野球ファンとしてはその罵り合いも楽しいものだとは思いますが。

 そして宗教。これも野球と似ています。信仰している宗教を絶対的だと捉えていれば、他宗教の信者は間違っており、過激的に捉えれば敵となります。宗教にも野球と同じように正解も絶対的な正しさもなくそれを証明することもできないので、やはり議論は平行線となります。
 (少し逸れますが、無宗教だと答える方が多い日本ではそもそも言われなくとも宗教の話をしないかもしれません。また日本では過去にカルト宗教による事件などもあり、カルトとその信者はちょっと・・・と考えている方は多いように感じます。そういったことから宗教全体に対して嫌悪感を抱く方は少なくはなく、だから宗教の話はしないに越したことはない、ということも考えられます。)

 とどのつまり、野球と宗教は「落とし所がない議論」になるわけです。タブーになるのも頷けます。

 では政治はどうなのでしょうか。


白か黒かではなく、灰色の明暗

 ところで先日、我らPompadourのメンバーの提案により意見交換会を開催しました。その議題が「AI・ロボット技術が単純労働・サービス業務等を代替するに足りうるレベルまでに発展した近未来日本における義務教育の必要性」というちょっとややこしくて長い議題なのですが、短くまとめると軸となったのは「個人の教育の自由」で義務教育の「廃止派」「継続派」に分かれて議論をしました。まあともかくこれがなかなか盛り上がりまして、時間も忘れて約1時間ほど話し合っていました。
 しかし議論の後に仲が悪くなったのかといえばそんなことはなく、むしろお互いのことをより知られて仲良くなったくらいです。なぜでしょう。

 私たちはこの議論で「どちらが正しいのか」ということは求めていません。「最も折り合いのつく答え」を探り合っていたのです。個人の自由や才能を尊重しながらも格差を広げない方法を話し合っていたため、喧嘩になるようなことはありませんでした。白か黒かではなく、白と黒をどの分量で混ぜ合わせるのか、それが民主主義における政治の議論です。
 お互いがお互いの主張をぶつけ合えば野球や宗教と同じように「落とし所がない議論」になってしまいます。実際よくSNS上でどちらが正しいのか延々と喧嘩平行線の議論が繰り広げられているのを目にします。嫌いだとか好きだとか、盲信的な主張では二者択一の議論どころか言い合いにしかなりません。

 「政治の話はするな」の本来の意味は「政治の話は白黒はっきりつけようとするな」なんでしょうかね。


政治はみんなで話さなきゃダメなこと

 さて、長くなりましたがここからが本題です。

 政治が野球・宗教と最も異なるのは、本来政治は話さなければならないことである、ということです。
 日本はご存知の通り民主主義国家です。前述したように民主主義における政治議論とは皆で「最も折り合いのつく答え」を探り合うことです。なぜ探り合うのか。それは皆ができるだけ幸せに、満足できる国にするためです。そんなこと言われなくとも皆さんわかってらっしゃるでしょう。しかし政治に関心がない方が多すぎるのもまた事実なのです。

 国政選挙の投票率は、平成29年10月に行われた第48回衆議院議員総選挙では、53.68%、令和元年7月に行われた第25回参議院議員通常選挙では48.80%となっています。

 総務省『国政選挙における投票率の推移』 2019、
 https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/index.html

 投票権を有する国民のうちおよそ半数が選挙に参加していません。政治の話がタブー視されていることと投票率の因果関係ははっきりしませんが、少なくとも普段から政治の話をしていなければ政治に対して興味を持てないのも仕方がないことでしょう。

 SNSという素晴らしいコミュニケーションツールがある今、政治の話はいつでもどこでもだれとでもできます。しかし、だからこそ皆さんの身の回りの方々と議論していただきたい。議論相手のバックグラウンドを知っていればその主張や考えに至った理由が見えてきて、たとえそれが自分と異なるものであってもなんとか折り合いをつけたいと考えるようになります。素性を知る相手との議論は自然に「最も折り合いのつく答え」を求めるようになるわけですね。(論破しようとでも考えなければ。)
 また政治の話をするのには知識が足らないなんてことはないと個人的には思います。政治に関する知識を網羅している人間なんてそういませんし、知識不足なら議論を通して蓄えていけばよいのですから。

 

さいごに

 政治というものはいつの時代でも議題が尽きることはありません。また私たち全員が関わり続けるものです。だから政治の話をタブー視せずにもっと身近なものとして捉えて、気軽に話し合える空気感を作るべきではないでしょうか?

 廃止派立論は以上です。

2020.06.09

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