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行雲流水

煙管を火鉢の縁にカンと軽く叩きつけて灰を出す…なんて姿は想像に易いが、あれは煙管が痛むから勧められない。まめまめしく手入れするほど生真面目な性質ではないけれど、仕事柄、物を乱暴に扱うことを嫌う。
煙管での喫煙は通常の紙たばこと違い、約3服で終わる。火皿の大きさに比例してタバコ葉を入れられる量も変わるわけだが、彼が使っている煙管は装飾の施された長く細いもので、そう多くのタバコ葉は入らないのだった。
煙を肺にたっぷりと吸い込むと小さく丸められた葉はあっという間に燃え尽きてしまうので、口の中で煙を味わうようにして喫している。たばこの吸い方など誰に教わったわけでもない。煙管も別にこだわりがあるわけじゃなく、店に何本かあるものを拝借して自分のものにしただけだった。もしかしたら値打ち物かもしれないが、彼はそのようなことに興味はない。
店の奥、人をダメにするクッションに寄りかかりながら吸った煙を吐く。紫煙が霞のように燻り、天井に広がって消える。
高校をギリギリの出席日数で卒業して以降、空に雲が、川に水が流れていくような気ままさで、山奥に暮らす隠者のような生活を送っている。
流行なんてのにも興味がないから服も適当なインナーに家にあった羽織を合わせるだけだし、身内に五月蠅いのがひとりいるのでなるべく気をつけてはいるが、食事は日に2回が限界だ。買うのも作るのも、食べるのだって面倒なのだ。
消えゆく紫煙を眺めながら、皿やら壺やら掛け軸やらの古めかしい骨董品が並ぶ薄暗い店内で、しとしと降る雨の音を聞く。
外の音を聞きながらぼうっとするのが好きだ。雨風など自然の音はもちろん、道行く人の話し声や、車の音…何であっても騒がしすぎない日常の音が好きだ。
人との関わりは面倒で、生活さえどうとでもなるなら客なんて来なくていいと本気で思っている程だ。それでも、小さく黴臭い城の中、誰にも侵されない安全な立ち位置からヒトの生活の営みを垣間見るのは、彼にとっては十分に娯楽なのだった。

「ごめんください」

すっかり煙が消えた天井を何の感情もなく眺めていると、表の方から声がした。
客か、と仕事用の文机に向かう座布団に座り直すだけで、出迎えることはしない。本当に用がある客ならば、恐る恐るでも店の者を探すだろう。
再び吸い口を咥え、ゆったりと煙を吸う。口の中で煙を溜めて味わいながら、横に置いた脇息にだらしなく肘をついた。

「何か御用で」

薄い唇から紫煙と共に吐き出した素っ気ない声で客を出迎える。
骨董屋『黄昏堂』、主の名は李 思远。
濡羽色の髪と、気怠げに煙る黄金の瞳、不健康な生白い肌。生来、おおよそ客商売には向かない性質であった。

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