ポムダムール冒険記① 2014~2015
音楽は【好き】か【嫌い】ではなく、
【好き】か【今はわからない】の2つしかない。
人生にも通ずる深そうな言葉を言いましたが今回の記事には関係ありません。
そうです、ポムダムールの池田です!
いやぁ、歳とったなぁ。そりゃ10年もやってれば年もとるかぁ。
昨日夢の中にですね8歳くらいの女の子が出てきたんです。
彼女、耳から汁が溢れるらしく小指を耳の穴にズボッと突っ込んでるんです。
くらげにでも刺されたんでしょうか。
そんな彼女が僕にこう言うんです。
「10年を振り返れ〜」
めっんどくせーーー。
ただでさえ面倒臭がりの僕です。
お風呂より面倒臭いです。
でまあ、この耳汁系女子が続けて言ったんですよ。
「1ヶ月1枚だからね」
…意味不明ですよね。
僕が責任持って意訳しますね。
要するに、これまでの10年を月毎1枚の写真付きで振り返れってことです。
1年12枚なので、10年だと120枚ですか。
ッダアアアァァァァァ
たぶん僕が彼女の願いを叶えてあげることによって彼女の耳から飛び出る汁は治るのでしょう。
2014年 7月
さっそく、これはオープン日の撮影ですね。
頑張って作ったんでしょうね。涙ぐましいですね。
この日は大雨でした。
りんご飴に関してもよく覚えています。
当時はりんごの品質が今よりズサンで手に入れるのが大変でした。
けど当時の僕は経験値ゼロでそんなこと知りませんからね、
正解もわからない中でよくがんばりました。
今思えばお店作る前にりんごの仕入れくらいは考えておけよ!
って感じですが、熱意だけが取り柄の僕ですからね…、
この日のりんごはスーパーとコンビニで仕入れました。
携帯にメモしたレシピを見ながらオープン前に焦るように作ったのを覚えています。この頃はミントの葉っぱをつけていました。
プライスカードは妹が作ってくれたやつですね。
兄ちゃんのことを黙って支えてくれました。
若く、職歴がない人間のスタートはこんなもんです。
本当、涙ぐましいスタートです。
2014年 8月
当時はバイクに乗ってました。もう降りましたけど。
本当は日本一周したかったんですよね。
僕のじいちゃんは僕が生まれる前にバイク事故で…
なので親はもちろん反対だったんですが黙って免許取って買ったんです。
反動っていうんですかね。「自由だー!」って。
それで日本一周したくなって、お金貯め始めて、
そのままお店作ったんです。メーターの時間が2:25になってますね。
どんな時間だよ…。
これは夜中の2時半に下北沢にりんご飴を売りに行った時の写真です。
僕はお店のためにお金は借りませんでしたが、買い物のほとんどをカードで支払っていました。たしかこの時点で8月末引き落としの予定額に30万円ほどたりなかったはずです。
当時のポムダムールは12時オープンの0時クローズでしたから、そこから店の片付けを終わらせてりんご飴を新しく作って”さも余ったかのようなフリ”をして夜中までやってる居酒屋などに売りに行っていたんです。
結局行くところはいつも一緒で昔働いていた下北のシーシャ屋さんです。一応ここ日本初のシーシャ屋なので私の師匠でもあります。日本初親子ですね。このシーシャ屋さんに行っては「今日もりんご飴作りすぎちゃって、よかったら食べてください〜」なんて宣伝しに行ってたんです。
ま、バレてたでしょうな。
2014年 9月
これはたしか10個くらいの予約注文じゃなかったかな…。
愛しの妹が手伝ってくれて一個一個メッセージカードをつけました。
ああ、忘れていたな。大切だよね、こういうの。
売るためにやってんじゃねーんだよ!けど売れないとヤバいんだよ!
っていう自己矛盾との葛藤、そういうものを感じます。
売れて終わりじゃない。りんご飴は商材ではない。
この頃は12時から開けても17時頃まで誰も来ないような感じでした。
オープン3ヶ月経って夜は少しずつ賑わってたかな。
お店が終わってからお客さんとご飯に行ったりしてた。
もしかしたら自分が自分らしくて、一番楽しかった時期かもしれない。
2014年 10月
これも僕にとっては結構大事な写真です。
この日も暇だったんです。やっぱり夜しかお客さん来ない。
12時に開けて5時間も6時間も一人で過ごすだけ。
この写真は、夜にかける音楽をシュチュエーション別に選ぶという暇つぶしをしてる時のもの。
この写真をTwitterに「ひま〜〜」みたいな言葉と一緒に投稿したんです。
それを見た父がですね、嘘でも忙しいフリをしろ!と言ってきたんです。
ほんと、その通りだと思います。
2014年 11月
お客さんと一緒に熊手を買いに行った時です。
熊手ってのは縁起物でして、毎年新宿の花園神社にたくさんの熊手屋さんが出店します。
年を重ねて大きくしていくらしいのですが、僕は最初の気持ちを大切にすると言う意味で大きさを変えずに毎年入れ替えています。
この熊手文化を教えてくれたのもお客さんで、「一人で買いに行っちゃダメだよ。お客さんと買いに行って最大のご利益があるんだよ」と教えてくれました。
これ本当ですかね〜?いまでもよくわかってなくて、だってお客さん連れて花園神社にいってるの僕たち以外に見たことないんですよね。どちらにしても独特で面白いお客さんでした。そんなお客さんの提案もあり、ポムダムール熊手ツアーが毎年開催されたのです。
コロナになってお客さんと一緒に行くってことはなくなりました。
僕が新宿店を離れたことも大きいでしょう。
お客さんと友達になるっていうスタイルはもう古いのかもしれません。
2014年熊手ツアーのことはアメブロに書いてます
2014年 12月
12月6日に撮影されたこちらの写真。
これはサンふじですね。とても美味しそう。硬そうで蜜も入ってそうです。当時は初めての旬のりんごに驚いたんでしょう。
時期的にも「え!やば!りんご美味くね?」って思ったに違いない。
この日もいつものようにりんご飴を作り、暇な日中はりんご飴をぼーっと観察してたんだと思います。この日のりんご飴は確かに綺麗ですね!半年して作るのもだんだん上手くなっています。新物で皮が強いので飴の熱に負けてない。だから飴が透き通るように光ってます。
きれいだな〜とか思いながら撮影したこの写真。
この写真がこの後大変なことになるのです…。
2015年 1月
https://twitter.com/pomedamourtokyo/status/561401601722568707
見たことある人もいると思います。
おいしいりんご飴の見分け方です。
いまだに語り継がれるこれ、元ネタはここだったんです。
このりんご飴の気泡に関する新事実を皆に教えたい!
そう思った僕は12月に撮影したとっておきの写真を使ったのです。
正直、ふじじゃなくても気泡は立つんですが鮮度の目安になるのはどのりんごでも同じですね。この投稿がバズってフォロワーが100人くらいだったのが3000人くらいになりました。
当時のフォロワーさんからのリアクションは「りんご飴の専門店?なんか馬鹿げてるけど面白そうなやつがいるな」みたいな雰囲気でした。
2015年 2月
この頃は完全に調子に乗っている頃です。
お店をつくり、ある程度の苦労もし、お店にきてくれる友達(お客さん)も増え、ツイートがバズったこともあって「ほら俺の言った通りじゃん!」と勘違いしている時期ですね。
今の僕から言わせればですね…
一つのこと10年やってから言え。
この写真はバレンタインデーの時の写真です。
これは僕が作ってないんです。当時の彼女が作ったんです。
経緯を説明しますね…。
僕がバレンタインデーにあっと驚くりんご飴を作りたいと思案していた時、彼女が「粉糖でハート書いたら?」って提案してくれたんです。
それを僕はですね、言ったやつが責任持ってやれ、ってことで全部やらせたんです。これが従業員ならまだわかるんですけど、無償で献身的に手伝ってくれてた彼女ですからね。せめて俺も一緒にやるくらいしろよって思います。
これは10年も前のことだから時効だとかそういうことじゃないです。
誰もが調子に乗るとこういう考えを持ってしまうということです。
逆もありますよね。親とか上司とか取引先から「こうしたらいいじゃん」とか言われて、つい「じゃあお前がやれや」みたいに思ってしまう時。感謝とか敬意とか、そういうのはいつの時代も失ってはいけないと思うのです。
2015年 3月
りんご飴のチョコレートフォンデュが始まりました!
これ美味しいんだよなー。冷たくてカリッとしたりんご飴にあったかくて甘いチョコレート。
そういえばどうしてやらなくなったんだろう…。
この頃は新しいりんご飴の可能性を探してる時でした。
実は今主流のりんご飴にパウダーをコーティングするのはもっと後のことです。
2015年 4月
人生初のテレビ出演!
テレビ東京の午後のニュース番組でした。
スタジオには雛形あきこさんがいて、りんご飴を「おいし〜!」と言ってくれたのがとても嬉しかったです。
2015年 5月
ぶらり途中下車の旅、出演
放送当日から行列が絶えず、昼間は暇だったはずの大繁盛店になったのです。
とうとう秘密基地がバレた!
嬉しいはずなのに素直に喜べない僕の心。
【売れたい】と【売りたくない】という自己矛盾が複雑に共存していました。
当時のこれは完全に余計なプライドですね。
笑わせたいけど笑われたくない、みたいな。
とはいえ、ちょっと可哀想だと思う節もあるので今の僕が少しだけフォローすると、
食べ物屋は二つに分かれます。
・コレを作りたいから作った店
・商売のネタとして食べ物を提供する店
僕は前者ですのでキャパを超えて繁盛すると辛くなるんです。
コレを作れなくなるので。
商売のネタとして消費されていくのも見てられません。
だったらテレビなんか出なきゃいいじゃん!ってことなんですけどね。
それとこれは両立してしまうというか、
来たものは受けたくなっちゃうんですよ、性格上。
来るもの拒まず、去るもの追わず。
2015年 6月
トイレの洗面所に紫陽花の花。
平日のお昼にくる常連さん、毎回必ず一輪の花を持ってきてくれました。
この日は紫陽花だったのでしょう。僕は彼の心遣いが好きでした。
ここからあと一ヶ月で1周年を迎えます。
自分の心は変わってしまったんじゃないか、
本当にこの道で合っているのか。
そんな不安を抱えながら過ごした6月だったことをよく覚えています。
これが最初の1年ですが…
これ10年分やるのおおお?!!
ポムダムール冒険記② 2015~2016
https://note.com/pommedamourtokyo/n/n97bc632e517e?sub_rt=share_sb
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