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君は今も綺麗だ。

最近、よく聞いている歌があります。

Shy TaupeさんのRendez-vousという曲が
とても気に入っていて、

どの曲もすてきなのに、この歌詞にある
『 疑いそうになるほどに、君は今も綺麗だ 』
という部分が特に私の心に深くノックするのです。

こころに残る言葉。歌詞、それとリズム。
視覚的な物など・・

皆さまにも たまにどこかであると思うのですが、
こうゆうのは大抵、今の自分の持っているテーマだったりします。

わたしにとってのそれは、 君は今も綺麗だ。 というそのもので、

他の歌の歌詞にも、可愛いあなたを。とか、あるとね。
ふわふわと、幸せになる。

今回は何が書きたいわけではなく、でも押されるものもあり、

あー、このテーマはここで共有して何か残しておこう。とおもったので
思うままの素直を、書いてみます。

テーマというのは、この日記では珍しく物質的なもののことで、
年を重ねていくという肉体としての変化のこと

新しいページへの躊躇みたいなのものと対面していた私が、

年をとってくしゃくしゃになったな。とか、
好きな色が似合わなくなったなあ。
顔つき変わって来たかなあ・・なんていうモゾモゾを感じていたとき。

この歌と出会い、深く感動して
褒められた気持ちもして・・✨

Shy Taupeさんという素敵な創造主を通して
本質から届いた言葉にハートがつーんとしました。

ありのままの自分を見ていたい私は、

年を重ねることを自分自身でちゃんと理解したい。
丁寧に扱いたい。というこだわりの想いがあって、

その奥底には、いつまでも自分を褒めてあげたり、
自分が自分を好きでいたいという純粋な願いがあります。

これができるのは最初から最後までを共に歩く
自分という感覚だけだよね。と思うのと、

周りから見ると何でも揃っているように見えるひとが
不幸を感じていたりする現実では、

世界の中心となる根っこの自分が“無い”と見ていれば
どんなにあっても無いも同等となるこの世界。

何億人の人に綺麗と褒められても、

自分が自分に持たせていないものは、感じることはできないし、
この世界にも現われない
ことを、いまの私は知っています。

そんなときに、この言葉が染み込んで来て、

そうか。

君は今も綺麗なんだ。

じゃあ、それを見せなくさせているものは何だろうと、
自分に問いてみました。

自分の身体とは、生まれた時からいつも一緒で、
物心ついたときから鏡や写真でみたり、毎日会っている存在なので、
誰にとっても、一番近くでみている最も近いものです。

だけどわたしたちには記憶があるので、
ここを意識していなければ、
過去の自分にスポットを当てたままの今を見たり
誰かと比べることも簡単にできてしまう。

記憶の交差するアングルによっては
肉体の変化の中に驚きを感じたり、
しみじみするのも当然のことなので、

あー。記憶が過去の自分の姿を今に重ねて見ているんだ。
記憶の見せる自分に掴まってちっとも今が見えてなかったな。と、
知ったのです。

このことに気づいたら、
どんなに今を生きているつもりでいても、
結局、ほとんどの人が今をみていないということが分かるし、

このことに限らず、記憶の中の今の瞬間に
何かを探し求めるってことがほとんどなのかな、とおもったりします。

これは良い悪いのベースの話では全くないけれど、

いまは今でしかない一ページでという見方をしてみると、
それぞれが今、経験していることがあって、
そこに足を止めなければいつ新しい発見ができるのだろう。

自由を発見するには、

時(思考)という空間に任せきらないで
ただ、純粋に、いまをみてごらん。
新しい発見は、常に今、この場に起こるものだから、
とっても綺麗だと思えるあなたがそこに居るはずなんだ。

Shy Taupeさんのメロディと言葉を借りると、

『 即席の感情で書いてる。

この詩はいつか時を超えて、

限られた未来で生きる君に流れたらいいな。 』

『 疑いそうになるほどに、君は今も綺麗だ。』

私にとっては、今の自分をみてごらん。という
たいせつな気づきになってこぼれ落ちたのですが、

きっかけは年齢のことでも、別のことでも様々ですが
苦しいという気持ちがあることは、
自分自身の由来のものではないことを教えるサインです。

苦しみというのは、自然の中には含まれないからです。

もし限られた世界の中に生きている自分を見つけたのなら、
そこから出るという選択が与えられたということなので
とても幸運なことです。🌟

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