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じんせいは自分が動かす。

これまでは、物質世界中心の時代だったので、
自分のやりたいこと、そうしたいことが上手く行かなくても、

一つの地球に、みんなが生きていることを思って、
なんとなく仕方ないかもしれないね。という自由を我慢する生き方、
(地球に起きたことの責任はみんなで背負う。みたいなものです)
外側重心の中で生きて来た人が多かったとおもうのですが、

これからは、その人が見たいように見ている世界に生きれるよ。
自分がメインとなるそれぞれの地球だよ。
となるので、

連帯責任なんてものは無し。
あくまでも、その人がチューニングに合わせているメロディー(波動)が
その人の世界そのものに変わるってことが、起きてきます。

これをシンプルに伝えると、人生は自分が動かす。となるんですが、

実現したいことを願うというよりも、
実現したいことは、自分で創り出します。という形となって

出来ないっていうのは、なにかがおかしい。と分かるし、
上手く行かないっていうのは、仕方ないとか、地球のせい。では
片付けないで良いってことが増々、明白になっています。

つまり、これまでよりもものすごく単純になるので、
じゃあ何をすればいいかっていうと

ただ、変えよう。動かしてみよう。とするだけです。

自分が創造主なのだから、現実はすべて自分の力で変えてみよう、
変えられる。というひかりを持つだけなんですね。

神様などを含めた周りの存在は、その人が必要だとしない限り
動けはしないので、(なんでも自分の内側から、意識を当てることで創造しているので)

神様に頼んだから動くとか、
外側や特定の何かがどうにかしてくれるから動くものではなく、

それ以前に自分が、どう動かしていきたいのか。
どうしたいのか。という部分が一番の真源パワーです。

自分が進むのに必要な道を開きたいから、
外側に力(神様や人、物、ガイドなど)を創造して、
智慧やお力を借りるとか、きっかけを作ったり、もらったりして、
自分自身が動かしているのがこの世界なのです。

赤ちゃんがママのお腹から裸ん坊で生まれて来るのは、
人生で必要なもの全てを内側に揃えているから。
なんてことを、それぞれが思い出す時がやって来ました。

これは一つのたとえ話ですが、

この間とっても大変そうに沢山の荷物を抱えた人を見かけて、
手伝ってあげたい!と思ったのですが、
別の方がささっと近寄って行ったので遠目から眺めていると、
その方は自分一人でできるので手伝いは要りません。と
伝えている様子でした。

それを観ていた私は、
この世界の決まり事で、周りがどんなに助けたくても
本人がそれを望んでいなければ、介入はできない。
ということを思い返しました。

人生は自分が動かす。というのは、
全部ひとりでする!という決まり事があるのではなく、

手伝いが必要なら周りには動いてくれる人や神様が、
必ず、待機してくれている。ということでもあります。

喜んで手伝うよって笑顔で居てくれてるんです。

このことが分かると、頼っていいんだ!とか、
私の為に存在してくれているんだ!というこころ温まる気づきとなります。

-ひとりで全部をするのは無理だから、わたしたちは
この世界で幾つもの分身を持っている。

-ここという唯一の存在をちゃんと分かってくれる個性がどこかにあるから
世界には、なるだけたくさんの物が溢れている。

-道ばたに落ちた空き缶のゴミやたばこの吸い殻でさえ、
余すところなく現象という世界に現れた美しさには変わりない。

そんな風にもとれるってことです。

その後、荷物の手伝いを断った方は、
近寄った方が去った後、持っていた荷物全部を落としてしまい、
ひとりとっても怒り出していた姿をみて私は更にこの様に思いました。

この方は、上手く行かない事に怒っているように見えて
実際は、自分を自由にさせてあげれない自分に
怒りを感じてるんだろうなと。

だから私たちはいつも自由な人に惹かれるし、
そうゆう人を周りに出して、その姿から元気をもらうし。
すべては自分を自分で解放するため。
自由になるため。その為の人生。そんな風に思います。

ひとつ自由になったときに広がる景色ってとっても美しいので、
何かするときには、この行動が自分を自由にできるかな、という基準で
見てみると世界は又更に開けて、
思っているより素晴らしい空間に私たちは存在していることを
再確認できるかと思います。

落ちはないけど、今回はここまで。🌟

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