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サークルへ

私はこの春大学を卒業して大学院に進学したのだが、いい区切りなのでサークルについて振り返ろうと思う。

サークルの活動をはっきり書くつもりはないので、メインの活動を本業と呼ぶ(遊びと区別するために)

一つのサークル(A)を卒業し、別のサークル(B)は続けている。

まず私は割と昔からやっていたことがあり、そのサークルの本業が同じ分野だったため入会した。
まずコロナ禍だったので1年生の時は新歓もほぼなく活動すらままならなかった。
最初に入会し、活動が始まったのはBだったが正直コロナを警戒しすぎていてあまり思ったような活動ができないのが不満だった。(今思えばその先輩たちの判断が正常なのだが)
そこで新歓を一年遅れで再開したAに体験に行き、ほぼ迷わず入会した。そちらは本業も飲みもAよりも本格的で、他大生も多く陽キャな雰囲気だった。
コロナ禍でも非公開でAは色々な活動をして、飲み会もあったので大学生っぽい飲みやサークルの雰囲気を知ったのはAだったしそれに憧れていたので嬉しかった。本業でもレベルが高い先輩、大学よりもサークルに熱を上げている人が多かったので刺激的だった。大手のサークルであり、歴史もあったので私が好きだったことをできる環境が整っているのがAだった。
そうこうしているうちに代替わりの時期が来て、その時は参加頻度も高かったからかBの方で自分がサークルの幹部に選ばれることになった。Bは雰囲気がとても良く自分に合っていたし、コロナ禍とはいえ先輩方にお世話になっていたので引き受けることにした。
しかしその時期ちょうど自分の進路の関係でサークル一本ではなく勉強も忙しくなっていた。
幹部になり仕事はしていたものの、本業に力を入れられず、しかもBで仕事をしているのでAに積極的に参加できなかった。
一番サークルを楽しめる時期に本業にコミットできなかったのは後悔していることではある。
ただ幹部はイベントフル参加当たり前、しかも準備から何までずっと行なっているのでなかなか大変だった。
自分たちがコロナで経験していないことが多すぎて、先輩との引き継ぎ時期がうまくいかず先輩にかなり負担がかかっていたこともあった。
コロナ禍以降初めての大きいイベントを開催した時は最初意見が割れすぎて本当に悩みが尽きなくて、終わって体調不良者が出ないだけでほっとしていた。

Bの仕事をしつつAにたまに行くと、やはりいつも来ている人と比べて引け目を感じてしまい居心地が少し悪かった。大学のテストも忙しい学部だったので尚更。
Bの幹部時期を無事に終え、就活をかじってみたり大学が忙しくなる中で両方とも行きたい時に行くというスタイルになっていった。
Aでは大会に出たりでガチな練習期間を経験したりもした。
4年生はとにかく院試勉強が忙しくてその期間はサークルに行かず、終わってからも卒論で忙しかったのでBだけ行ってAは諦め、最後に同期と絡まないとと思い無理やりイベントに行ったりした。

まとまりがないけれど
Aは、役職もないどころか同期や後輩にも与えてもらってばかりでギブアンドテイクのテイクだけだった。でも私の憧れを叶えてくれたすごいところ。自分がそこに絞ってコミットしていたらまた違った大学生活になっていたと思う。距離は感じるがサークルを作ってくれていた人たちへの申し訳なさと感謝の気持ちしかない。
Bは、自分も幹部を経験できた。やはり何かをすることは何かを犠牲にすること。最中は余裕がなく幹部なんてやるもんじゃないと思っていたが終わると寂しいし、後悔はない。とてもいいサークルで自分が新歓した後輩たちもとてもいい子達でなんだかそれが誇らしい(誰)これからはもう少し参加したい。

結局何も与えられないまま、ただ受け取るだけ受け取ってAを卒業してしまった。幽霊にしては関わりすぎたし思い出もある。
ありがとうA

サークルって、部活ではないし熱量も違えば拘束力もなく、幹部と平社員を両方しているとわかるがありえなく貢献する人もいれば受け取るだけの人もいる。
それは個人の自由だ。
こうして振り返ると少し変わった関わり方かもしれないが充実していたサークル活動4(3)年間だった。

不器用で仕事も下手くそだったしうまく立ち回りもできていたか怪しい。
Aでたまにしか現れなくてもいつも通り接してくれたり貢献してくれていた優しい人たちやBで仕事で頼りすぎてしまった人たちに直接感謝の気持ちを伝えることができていないが
本当に感謝の気持ちでいっぱいである。


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