ヒーローにはなれなかった話①

お久しぶりです。今日は仕事終わりでもちょっぴり余力があったので、久々に記事を綴ってみようかなと思います。

ぽっきりと心が折れて、うつ病になったきっかけと思える最近の出来事のひとつに、“親友との絶縁”がありました。


今日は、そんな私が彼女にとっての「ヒーローにはなれなかった話」をしようと思います。

この話題は少し長くなるので、何回かに分けてお話しようと思います。

まず、私が「誰かのヒーローになりたかった・なれると思っていた話」をします。

私は元々オタクなのもあって、クラスの陽キャな子より似た者同士で集まって細々とオタ活するような学生でした。
おかげで陰気に見えたんだと思うんだけど、オタ友の中でも派閥が生まれていじめられたり、分かり合えない陽キャの子に心ない言葉を吐かれて勝手に傷ついたり、そんなことがいくつもありました。

我が家は不登校を許さない体質でしたので、「学校に行きたくない」という理由では休ませてもらえませんでした。
家にこもっていても嫌なことと向き合ってるとは言わないでしょう。両親の方針でした。多分、サボり癖逃げ癖の多かった私に「嫌なことから逃げずに立ち向かう強さ」を持ってほしくて、そういう言い方、やり方をとってたのかなって、今ではそう思えます。

そんな私が嫌々学校に通う中、保健室登校する友人、精神病を患ってしまった友人、家庭の複雑な事情で一般的な両親の愛情を受けられなかった友人、様々な子がいました。
私はそのうちの何人かと馬が合って、中学時代をよく一緒に過ごしました。多感な中学時代、その仲間内でいじめられたこともあったけど、仲直りできた子とは卒業後も連絡を取り合ったりしてました。

「ぽん仔。私ね、いま線路沿いを歩いてるの」

そんな電話が、一人の友人からかかってきました。今にも線路に飛び込みそうな、虚ろな声で。

私は電話越しに泣きながら自殺しないようにと一生懸命説得しました。
二人で彼処に遊びに行こうって約束したじゃん、まだ行ってないよ。お金貯めたら一緒に旅行行くんでしょ、そうだ、今度一緒にご飯食べに行こう。美味しいお店、これから探すけど。

その子はぐずぐずの声で喋る私に、「ごめんね、止めてくれてありがとう」と言ってくれました。

その子はその後、解離性障害を患って、何人かの人格を持ちながら、なんとか日常をやり過ごしていました。
別人格の子と電話で「はじめまして」と挨拶したり、二人で遊んでいるときに不意に人格が変わって、「こんにちは」と言われたりしたけど、私にとってその子は「別人格を持ってること」も「傷つきやすい繊細な心を持ってること」もその子の一部だと思って全部受け止められたので、普通の友人として付き合っていました。

他の子には言えずにいた病状を打ち明けてくれて、リストカットしてしまったと笑って話してくれました。一人暮らしを始めたと聞いて会いに行ったら、リストカットをしていて、慌てて手当てをしてあげたこともあります。

「自傷したくなったらとりあえず私に連絡してね」
「授業中でもバイト中でも飛んで行って会いに行くからね」
「大丈夫だよ、私がいるからね」

そう言って、何度か彼女の唐突な電話を受けてはとりとめもない近況報告をして、少しずつ大人になっていく彼女を支えていました。

彼女のご両親の仕事や家庭環境の都合で離れて過ごすようになって、趣味も変わって、今ではSNSでお互いに生存確認する程度になってしまいましたが、彼女は今、それなりに元気になって、一児の母となって見違えるように強く生きています。

(多分たくましくなったねって言ったら怒られるんですけど)
(子持ちになったら強くならざるをえなかったよって真顔で話してくれました笑)

多分彼女は、自分の子がいるうちは、もう私がいなくても大丈夫だろう。
そう思えるようになりました。孫ができたことで、彼女の家庭環境にも変化が出たみたいです。

彼女の人生の一つの節目を繋ぐことができた。

それが、私というちっぽけな人間でも「誰かの助けに、ヒーローになれるのかもしれない」そう思わされる出来事になったのです。

この続きは、また余力のあるときに。

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