松原ユリヤさんと私

お風呂に入りながら見ていたAbemaオーデで、松原ユリヤちゃんが一度は断った研修生入りを決めたことを知り野太い声でヨッシャ!!と叫んだ約6年半前。

真顔でダンソンを披露する彼女に一目惚れした。
尊敬する芸能人を聞かれて小藪一豊と回答したことが特にツボで爆笑した。(しかも好きなところ、ギャグとかじゃなくて顔らしい)とにかく可愛くて、面白かった。全身に電流が走った。

どうしても彼女に会いたくて、ステージが見たくて、初めて入った研修生実力診断テスト。
春恋歌のイントロで、フーーー!!!と歌いながらピョーンとステージからジャンプした松原ユリヤちゃんの姿を見た瞬間、なんだかよく分からない涙が流れた。

産まれたての動物の赤ちゃんが懸命に立ち上がる瞬間を見た時のような、そんな、愛おしさと生命力に圧倒されて私は彼女のファンになったのだった。

そこからはもう、ずっと彼女に夢中だった。

面白いからと好きになった女の子は、本当に才能に満ち溢れていて、私が思っていたよりずっと早いスピードで成長していく。
安定したピッチとスコーンと伸びるマイク乗りの良い歌声、天性のリズム感で見るたびにかっこよくなっていくダンスを見るのがもう楽しくて楽しくて、こんな子に出会えて応援できている自分はなんて幸せ者なんだろうと思った。

そうして何年かが経ち、中学生になったばかりのユリヤちゃんのコレクション生写真のコメントにこんなものがあった。

「こどもはラクです。」

そう、子供というものは、子供であるだけで無条件に可愛がられるものだ。彼女にとってその期間は決して長くはなかったように思う。
特に29期の小野田華凜ちゃんの存在は大きかっただろう。同い年で、圧倒的とも言えるスキル、加入後すぐにめきめきと増えていくファンの数。
彼女の存在が刺激になって、負けていられないと思ったとインタビューでも答えていた。

そこからは、あまり言いたくはない表現だが、彼女にとって冬の時代だったと思う。
30期が入り、先輩や同期、後輩までもが大量にデビューし、最年少でありながらどんどん上の立場になっていった彼女は自分の立ち位置を探るのにとても苦労していたように思えた。
難なくサラリと歌って踊ってしまえる彼女のパフォーマンスが評価を受ける機会は少なく、注目もどんどん新しい研修生に集まっていく。歌割りや出番も減り、立ち位置も隅や後ろの位置が増えた。発表会に入る度に、水色のペンライトを振る時間が短くなっていき悔しい思いを抱えながら参加していた。

そんな私の中で大きな転機になった公演が研修生発表会 2020 12月 〜光〜だ。

この時、彼女の出番は確か冒頭の全体曲、ラストの全体曲を除くとたったの一曲だった。私は次こそは次こそはとペンライトをカチカチ水色に合わせて、来ない、来ない、来ない、次も来ない…の連続が起こりすっかり意気消沈していた。こんなに露骨に干されてしまうことってあるんだと、その場にいることが辛くもう正直帰りたいとさえも思っていた。

そして終盤になってようやく彼女がモーニング娘。の「みかん」のイントロと共にステージに現れた。ようやく来たか…とほぼ半泣き状態の私だったが、その時の彼女のパフォーマンスが(私にとって)誰よりエネルギッシュで情熱的だったので、自分のことを強く悔いた。
瞳はギラギラと燃え、誰より小さく細い体で、誰より大きく踊っていた。真っ直ぐ届く歌声と、まだ13歳の彼女から放たれる全力のパフォーマンスの圧に打ちのめされた。

オタクが弱気になってめそめそしている間でも彼女は絶え間なく努力を続けていたし、その証をステージで示してくれた。私は自分が情けなくなり、帰り道に1人ボロボロ泣きながら帰った。

↑ここからその「みかん」のパフォーマンスが見られます

この時、何があってもこの人に付いていこう。松原ユリヤさんを好きになった人生は間違いなかったと、確信した。(呼び方もだんだんちゃん付けからさん付けになってきた、尊敬の気持ちが強くなったため)

そしてもう一つの大きな転機となる出来事が2022年の実力診断テストである。

この頃の松原さんの様子を見ていて、私は今回結果を出せなかった場合研修活動終了もあり得ると感じていた。

相変わらずパフォーマンスは全力だったし表現力もぐんぐん伸びていたが、しんどいんだろうな…となんとなく感じ取れてしまう瞬間が少なくなかった。リハーサル日記の数も減っていたし、他の研修生との写真も少なかったように思う。

そういう意味でも、私はこれが最後かもという気持ちで吐きそうなほど緊張しながら当日を迎えた。(後から聞くと、やはり研修生を辞めたいという相談を窪田七海ちゃんにしていたそうだ)

私は知っている、まだ幼いあなたがひたむきな努力を続けて、人知れず素晴らしい実力を身につけていること。見せつけて欲しかった、あなたという素晴らしいアイドルを。その誇らしい姿を。どうか、どうかあなたの努力が報われますように。願いながら会場に入った。

そしてとうとう、彼女は実際に見せてくれた。私の見たかった姿を。足掻いて足掻いて、結果を出した。
この時の彼女のパフォーマンスは素晴らしかった。私は彼女の悔しさ、やるせなさ、プライドが全て詰まっていると感じた。
特にインパクトを残した自由曲のTeenage Solutionを選んだ理由を聞かれた時、彼女は「今の私の気持ちそのものだと思ったから」と答えている。
無邪気にダンソンを披露していた9歳の彼女が「誰にも気付かせたりはしないわ冷めた感情 一人でいるの何も怖くないし」という歌詞ではじまる曲に己を重ねていることからも分かるように、本当に追い詰められていたのだと思う。

課題曲ではおでこを出し、自由曲では前髪を解禁するというサプライズも含め、本当に彼女の工夫や努力が全てが詰まった、そんなステージだった。

私はこの日一年分くらいの量の涙を流したと思う。(嗚咽を漏らしながらわんわん泣いていたので、多分周りの人たちは大迷惑だっただろう)
メイクがすっかり落ちたボロボロの顔でフラフラしながら中野サンプラザを出た瞬間、見知った研修生オタクに「おめでとう!」と声をかけてもらった。その時の私が無意識に返した言葉は「長かった…」だった。これで長かった研修生オタク人生も終わりだ、そう思いながら、ユリヤちゃんが白いワンピースを着て華々しいステージに立っている姿を想像しながら新幹線に乗って帰宅した。

その後の結末は知っての通りだ。当時開かれていたモーニング娘。とJuice=Juiceのオーディションに彼女は選ばれなかった。そして投げやりにも思えるようなハロプロ研修生ユニットの結成のお知らせ。まさか、まさかの結果。

前回の発表会で研修生オタクの友達にこれが最後かもだけどたまには遊びにくるねーなんて伝えていたのに。昇格を疑っていたなかったのでしばらく立ち直れなかった。

ユニット結成がショックというより、OCHA NORMAの前身である研修生ユニットのデビューまでの長い道のりを知っていたので、あんなに努力を重ねてようやく掴んだ結果を持ってもデビューが決まらなかったことに対してのショックが大きかったように思う。またここから待たされるのか、と。(実際しっかり2年待たされましたね)

ただ、結局どんなに悩んだところで私の答えは〝松原ユリヤさんについて行く〟ほかなかったのである。

それから、数多の対バンイベントやフェスに参加してきた。

一年経った頃、さらにメンバーも追加され研修生ユニットは7名に。気付くと年号も22から24に増えていた。(年号は結成年だったはずなのにいつの間にかその設定は無かったことになっていた。何だったんだ)

密度の高い2年だったが、その間にも松原さんの表情はどんどん明るくなっていったように思う。最初はぎこちなかったMCも板についてきた。デビューしたらさらにはっちゃけてる姿も見られるのかな?楽しみ。

そんな感じで以前はオタクとして卑屈になりがちだった私も、同じ研修生ユニットのおまいつ同士連帯して応援を続けるうちに前向きな気持ちで楽しくオタク活動できるようになった。いつもありがとうございます。研ユニオタク、本当に大好き。

ここまでつらつらとまとまらない文章を書いてきたが、これが公開される頃には松原ユリヤさんのデビュー日やグループ名が発表されているのだろうか。そうだといいな。

彼女の研修生歴は既に6年半。米村さんを超えて最長だ。ここに書ききれないこともたくさんあったが、悔しさ悲しさ喜び幸せ、私にとっては全部ひっくるめて愛おしい月日だった。

私事だけど会社を辞めてフリーランスになる決意をできたのも彼女のおかげだし、どれだけしんどいことがあっても、松原ユリヤちゃんはあんなに頑張ってるんだ!と思うことで乗り切れた。彼女の存在は私にとっての光であり誇りです。

ここが本当のスタートだね。時間はかかったけど、これはあなたが絶え間ない努力の先に掴み取った道だと思います。

松原ユリヤちゃん、心からおめでとう。

そして、これからもよろしくお願いします。

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