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葉月恋に残された"繋がり"

こんにちは、ぽまえです

重いよ............................................................................

ということで、今回のnoteはTVアニメ『ラブライブ!スーパースター!!』第7話の感想記事となっております。

前回(#6 夢見ていた)の記事はこちら


重いよ。
重い。
ラブライブ!の重い部分が出ちゃってる。まろび出てる。


ハァ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

つらい.....。




(今回の記事は全体的にこんなテンションで進むかもしれません。許してください。)

ライブ終わりの肉体疲労に追い打ちをかけてくる精神疲労


当感想記事の投稿が7話放送から時間が空いたのには2つ理由がありまして、まず7話の放送日に開催されたDiverDiva FMT 2日目に現地参加しており、2日ほど肉体の疲労回復に努めていたこと。(ジジイなので)
そして、7話の内容があまりにも内臓に重すぎて、1回目を観終わったのちに再度観ることすら辛くとても筆を執る気になれなかったこと...。

なんかもう、「寝て起きたら8話放送されててくれないかな」というメンタルになっていました。
そうこうしている内に次回放送まであと3日、2日...と差し迫ってきたので赤い涙を流しながら筆を執り始めた次第であります。

予想をはるかに上回るシリアス


私がここまで内臓にダメージを負った原因の一つとして、「油断からの不意打ち」があります

というのも、完全にシリアスの程度を見誤っていました。
7話視聴前は、『決戦!生徒会長選』というタイトルから「そろそろ恋ちゃんの掘り下げが始まるんだろうな~」程度の認識しかありませんでした。

キャラクターの掘り下げが始まるということは当然そのキャラの環境や行動原理が明かされるということで、それなりにシリアス展開が挟まれることは予想できます。
ですが、私は事前に「葉月花さん(恋ちゃんの母親・結女創立者)は既に亡くなっている」という予想を立てており、その情報が7話で一番のシリアスポイントになるだろうと高をくくっていたのです。

7話開幕で恋ちゃんの幼少期の回想シーンがはじまり、淡い映像で葉月花さんが映し出された時は「ここのフックが終盤で明かされるであろう「花さんが既に亡くなっている」という情報に掛かってくるのだろうな」と考え、十中八九自分の予想が当たったものだと油断し切っていました。

事実、恋ちゃんとサヤさん(葉月家メイド)の会話にて「亡くなったお母さまに...」というセリフがあったように、「葉月花さんは既に亡くなっている」(ことが終盤で明かされる)という予想は的中しました。


ですが。
問題なのはそれ以外の部分です。
「葉月家が凋落している」「父親の姿も無い」「結女も経営難にある」
この辺りはもう完全に誤算です。 多すぎる、いくらなんでも。

開幕の回想シーンで「家族」を、葉月家訪問シーンで「豪邸」や「使用人」を見せた後に「今はもう家族が居ない 使用人を雇う金もない」という落とし方。
葉月家の温かさや絢爛さを見せてから、それら全てをへし折ってくる綺麗な構成。
人の心がありません いい加減にしてくれ

葉月恋に残された家族との"繋がり"とあまりにも悲痛な境遇


"結"ヶ丘」やグループ名である「Liella!」の意味にもあるように、ラブライブ!スーパースター!!は人と人との「結びつき」、「繋がり」がコンセプトにあるコンテンツです。

そして結ヶ丘女子高等学校の「創立者のあいさつ」からも分かるように、葉月花さんもおそらく人と人との繋がり結びつきといったものを大切にする人だったのだと見受けられます。

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必然的に、花さんをつよく慕う恋ちゃんもそういった理念の影響を少なからず受けているものだと考えられ、結女のためにここまで躍起になるのは単に「母が遺した学校だから」という責任感だけではなく、今は亡き母との繋がりを残す数少ない場所だから、という理由もあるのだろうと感じました

現在アニメ内で確認できる範囲では、葉月花さんと恋ちゃんの繋がりを残す場所は、共に暮らした結ヶ丘女子高等学校しかありません。
金銭的にもひっ迫しており、現状では学生個人であの豪邸を保持し続けるのは困難でしょう
そんな恋ちゃんが結女をなにがなんでも守ろうとするのも必然だと言えます。


肉親もおらず、家族に準ずる存在は幼少期から共に暮らす愛犬チビと使用人サヤのみ。
しかも使用人は雇用を続けることが難しく、チビもグレートピレニーズ(犬種)の寿命(10~12歳)を考えるとそう遠くない未来に恋ちゃんの元からいなくなってしまうことが考えられる。

このような到底耐えがたき辛苦に耐え、肉薄した状況下で「母が遺した学校を続けるには、私が頑張るしかないのです。」と気を張り続けている恋ちゃんがひどく痛ましく見えます
学校の為に公約違反まで犯して本意でない選択を採り、そして生徒から糾弾される彼女の気苦労は、16歳の少女に抱えさせていいソレではない
他人の前では気丈に振る舞っている姿もかえって心に刺さり苦しい.....。


入学生徒数を増やす為に結女の格を高め、もっといえば音楽科というシンボルの威厳を強めようとする彼女の意思の強さがかえって在校生や現Liella!メンバー、そして彼女自身をも苛んでしまっている現状。

だがしかし、スクールアイドルへの怨嗟の理由が明かされ、解消されたのち彼女自身がスクールアイドルという学校のシンボルとして打ち込める健全な状態になれば、彼女の意思の強さはこれ以上ない武器になります。

この世は諸行無常、時が経てば大切な存在や居場所がなくなってしまうことはある程度仕方のないことです。
ですが、変化を続けるということは、大切な存在や居場所を新たに見つけ出すこともできます。
だからこそ、時に頼り、支え合える新たな仲間」や、彼女の存在を受け入れてくれる新たな居場所」が彼女には必要なのです。

Liella!は彼女にどう手を差し伸べるのか、彼女はどう受け入れるのか。
学校の為にいがみ合い対立する相手と別れ、抱える重荷を共に背負ってくれる仲間と出会う瞬間をただ、ただ待ち望んでいます。

今回の隠喩に対する解釈諸々


第7話でストーリー以外に印象に残ったことで、「隠喩(メタファー)」に対する解釈が難しかった、というものがありました。

アニメに於ける"隠喩"とは、台詞や事象に婉曲的な意味を持たせたり、例えば「道路標識」や「光の射す方向」などを使ってキャラクターが置かれている状況やキャラクターの心理などを表す手法です
前回第6話で例えると、千砂都の心の壁や心情を表していた窓枠天気などは映像表現を使った隠喩に当たります。

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「解釈が難しかった」というのは、「この演出は何を意味してるのか全く見えてこない...!」ということではなく、むしろ「この演出はこういう意味かな、いやしかし、あぁこれも...」と、一つの演出に対して複数の解釈が浮かんできてしまい、それらの中で「これだ!」と他より納得できる要素を持つ解釈を見つけ出せないまま解釈の海に溺れていってしまう状態です。

まず前提として、「どの描写がどういった意味を持つ隠喩なのか」というのはアニメの制作者にしか分からず、視聴者の隠喩に対する解釈は言ってしまえば全て仮定と推測に過ぎませんし、そもそも本当に何かの隠喩として描かれたものなのかすら分かりません。

そんな前提のうえ、「これは何らかの隠喩として描かれたものだろう」という描写に対する解釈が今回特に難しかった。

時系列順に並べていくと、


①母の方から射し込む光、回想をぶつ切りにするように刺された画鋲
開幕、回想からOPにかけてのシーン。 これが今回唯一自分の中で答えを出せたものでした。

射し込む光は恋の過去の想い出や母に対する想いの強さを、そして画鋲はそういった想いに画鋲を刺されたように縛られていることを表している。
そして画鋲を刺しているものが生徒会発足&生徒会長選の開催報告のプリントであることから、過去の想い出や母に対する想いから「学校を守る為に生徒会長になる(=自ら結女の舵を取る)必要がある」という観念に迫られていることも表しているのだと感じました。


②かのんから恋に提示されたアップルティーといちごみるく
ここ。 これですよこれ 
今回の最難関だと思ってます。

かのんが恋に接触した際に手にしていたアップルティーといちごみるく。
前提知識として、「アップル(りんご)」はかのんの好物で、「いちご」は恋の好物です。
しかし、場面転換したのち恋の手に握られていたのは「アップルティー」でした。

このシーンを難関たらしめている原因に、"場面転換があったせいで恋がアップルティーを手にするまでの経緯が吹っ飛ばされていること"があります
そのせいで、そもそもかのんが恋にアップルティーを手渡したのか、恋が自主的にアップルティーを選んだのか...ということすら分かりません。

仮にかのんが恋に手渡したのだとすれば、「良かれと思って自分の好きなことを相手に押し付け、良くない結果になってしまう」という暗示やかのんと恋の相互不理解を表しているのように思えます。
ですが、それであれば最初からアップルティーといちごみるくの2択を用意せずアップルティーを2本買ってくる方が自然に思えるので、「恋がアップルティーを選んだ」という風に考えた方が幾分か自然に見えます。
故に自分の中では現状そちらに仮定して考えています。

ですが、「恋がアップルティーを選んだ」という仮定のもと考えても、まだ要素が多い...


単に「自分の素、本心を隠している」ということだったり、

"いちご"の可愛らしい印象を嫌い、厳格な生徒会長像で在るためにアップルティーを選んだ」という恋視点の意思表示や、

恋は自分の好きなもの(いちご)を投げうってまで違う道を進んでいる」という俯瞰的・メタ的な暗示、

先程「かのんが恋に手渡した」という仮定でもありましたが「良かれと思って自分が"良い"と思う行動を相手に押し付けた結果、かえって悪い結果を招いてしまう」というものなど...

考え始めると幾つも可能性が浮かんできます。

良かれと思って~」に関しては、恋が生徒会長就任スピーチにて「音楽科をメインに行う」という宣誓をした際に唇を嚙んでいたことから「自分の行動が相手(この場合は普通科生徒)にとって良い行動でないことは理解している」と考えられるので、自分の中でこの解釈は少し納得度が低いです。

このように、解釈を考えては納得できないポイントを見つけ、それに対する解答を探して...としている間にもう第8話放送まであと18分です(衝撃の事実)

↓執筆現在の時刻

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もうダメだ。どう考えてもこれ以上考えたところで答えが出ないので急ぎ足で次の段落に進みます。ここから先まだ白紙です。
こんなライブ感のある感想記事なかなか無いですよ(あってたまるか)

あと、結果的にはお互いの好物を取り違えてしまう結果になりましたが、「いちご」という恋の好物をおそらくノーヒントの状態からドンピシャで持ってくるかのんの人を見る眼にも驚きますね。

平安名すみれの扱い


今回、「平安名すみれに対するいじりが過剰だ」という意見がそれなりに見られました。

クゥクゥは相変わらずですが、千砂都からも「あれ、す、す...」と"名前を覚えていない"という旨のいじりをされていたり。
その他も、キャラ→すみれの"くだり"としてのいじりだけではなく、生徒会長選で-20票という大敗を喫してしまう"展開"でのいじりも過剰だ、と言及されていました。

まず千砂都に関しては過去回で名前を呼んでおりそもそもタスキにデカデカと名前が書いているので冗談であることは明白であり、生徒会長選で-20票という記録を付けたことも言ってしまえば当然であると言えます。
音楽科生徒からの得票は勿論、投票時点では「普通科と手を取り合う」という旨の発言をしており普通科生徒からしても恋を選ぶメリットの方が大きい。
「スクールアイドル活動が難しくなる」というデメリットはあくまでスクールアイドル同好会メンバーにしかデメリットではありません。
あきらかに利己欲求から出馬しているすみれより、学校の為を思いまともなマニュフェストを掲げている恋を選ぶのは至極当然であり、同好会メンバーであるかのんも「恋ちゃんで良かったような気がする」と発言しています。

行き過ぎた冗談やいじりが本人にとっていじめになってしまうことはありますが、あくまでこれはアニメであり仲間内での発言。
視聴者が過剰に反応するような問題ではないと思いました。

ですがすみれちゃんが皆から認められる展開もはやく観たいのも事実です。すみれ推しなので。


すみれセンター回待ってます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


最後に


あ、もう第8話放送まであと1分を切りました。
何も書けません。
誤字脱字がないことを祈るのみ。
推敲せずに投稿してごめんなさい

さよなら!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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