2017 東京学芸大学 E類教育支援専攻 表現教育コース 小論文 模範解答

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問1

演奏家が必要以上に批評を気にするのは、批評家との意識の違いや批評の相対性を理解していなからである。さらに、演奏家は偉い批評家の言うことを「絶対」だと思い込む。なぜなら、スポーツのように明確な結果の出ない演奏について、演奏家は無意識のうちに絶対的な評価を求めるからだ。ところが、批評家の意見と一般聴衆の感想とは、必ずしも一致しない。たしかに、専門家である批評家は、演奏家の解釈や技術についてジェネラルな立場で判断を下すことができる。しかし、一般聴衆のほうが先入観をもたずに現象に素直に反応出来ることもある。その結果、聴く立場によって二種類の評価が出てくる。ところが、演奏家は批評を気にし、無駄に意気消沈する。それは、演奏家が相対的思考をできない上に、権威に弱いからである。(335字)

問2

課題文では、演奏家が批評家の意見を絶対的なものとしてとらえるため、批評を相対的な評価として受け止めることができない点について指摘されている。演奏家が批評をこのようにとらえてしまうと、彼らの演奏は批評家の意見に適うものが目指され、自由な表現や作品の解釈が成立しなくなってしまうと考える。その結果、演奏や作品から新規性や豊饒さが失われてしまうだろう。

それでは、批評の意義とは何だろうか。批評は、演奏や作品に対して価値判断の可能性を提示し、一定の観点から芸術を評価することによって、一般の人間や専門外の人間に対して、ものの見方を示す役割を持つと考える。なぜなら、専門家である批評家がいなければ、作品や演奏などの対象をどのようにとらえるべきかという観点が生まれないからだ。つまり、批評がなければ、一般の人間や専門外の人間に価値判断が委ねられ、ある対象を芸術だと言う人もいれば、そうではないと言う人も出てくることになる。そうなれば、芸術そのものが成立しなくなると考えるからだ。したがって、専門的知識や理解を備えた批評家が存在することによって、一定の評価軸が成立すると考える。

しかし、こうした評価軸は絶対的なものではない。というのも、新たな批評の可能性、つまり、ものの見方が提示されれば、新たな評価軸が成立する余地があるからだ。それゆえ、批評とは新たなものの見方を提示する創造的な営みだとも言えるだろう。さらに、課題文では、グローバルな見地から芸の質を見抜く姿勢をくずさない批評家が肯定されている。私もこの批評家の姿勢に賛同する。なぜなら、批評家が、対象の価値評価をするためには、審美眼を養い、多様な観点から本質をとらえる姿勢や努力が必要だと考えるからだ。以上より、批評とは、対象に対する新たなものの見方を提示するとともに、本質をとらえようとする不断の営みだと言えると考える。(782字)


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