2015 東京学芸大学 E類教育支援専攻 表現教育コース 小論文 模範解答

オープンチャット「大学入試 小論文 対策相談室」


問1

ウジェーヌ・アッジェは、食べていくために写真機を購入した。そして、アッジェは画家に写真を売るために、パリの町を撮り続けた。特に、ユトリロの母親がアッジェの写真の買い手の得意先であった。なぜなら、母親は、ユトリロがアル中でも絵の天才であることをわかっていたからである。その結果、ユトリロは、アッジェの写真を絵にして、大芸術にしてしまう。ヴラマンクもアッジェの写真を購入した。彼も写真を横において絵を描いたかもしれない。ヴラマンクの絵は、パリの壁が生の感じで、生きものとして訴えかけてくる。たしかに、アッジェの写真はすばらしい。しかし、写真は光と影からできているに過ぎない。それゆえ、写真は、おもしろいアングルやシャッター・チャンスをとらえる世界であり、絵とは異なり、画面そのものでは容易に人の心をとらえないのである。(357字)

問2

課題文において、司馬氏はアッジェの写真のすばらしさを認めながらも、写真は絵とは異なり、画面そのものでは容易に人の心をとらえないと述べる。以上の司馬氏の考えに反対する。その理由は大きく二つある。

第一に、写真はわれわれにとって未知の世界をとらえるものだからだ。たしかに、司馬氏の言うとおり、写真にはユトリロの絵画のような独特な色彩や精神が反映された生々しさはないかもしれない。しかし、写真は撮影対象の一瞬をとらえる。つまり、多様な事物の運動のなかで生きるわれわれがその流れの中に生きるゆえに見過ごし、日常においてとらえ損ねている世界を、写真は鮮明に提示する。したがって、よく見知った対象であっても、われわれが生きる運動の世界ではとらえることができなかった未知の世界を見せてくれる点で、写真の画面がわれわれの心をとらえうると考えるからである。

第二に、写真はアングルや構図の取り方に、撮影者による対象把握についての考え方や世界把握の方法が反映されると考えるからだ。たしかに、絵画には画家の精神や、画家のとらえる世界の生々しさが反映される。しかし、写真においても、構図やアングルの取り方によって、撮影者の意図や精神を反映させることが可能だと考える。というのも、アングルや構図は、端的におもしろいということに還元されるものではなく、撮影者の世界把握の方法の一端が映し出されていると考えるからだ。なぜなら、アングルや構図は、撮影者に任意のものであって、写真によってどのようにして世界を切り取るかは、撮影者の考え方、世界のとらえ方次第であるからだ。したがって、撮影者のとらえた世界把握の方法に独創的なものがあれば、写真の画面によって鑑賞者の心をとらえることがあると考える。

以上の二つの理由から、写真は絵画と同様にその画面そのものによって人の心をとらえうると考える。(774字)


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