2016 東京学芸大学 E類教育支援専攻 表現教育コース 小論文 模範解答

オープンチャット「大学入試 小論文 対策相談室」


問1

「自由に描きなさい」、「自由に表現しなさい」という「自己表現」を求める教師の指示がかえって、子供たちを不自由にさせる。なぜなら、子供たちの身体は「対応」する身体、あるいは「呼応」する身体を失った「不自由な身体」でしかないからだ。そうならば、表現者の教育は、「対応」や「呼応」から導入するほうが自然である。「呼応」し「対応」する身体の動きを通して、表現者の「気持ち」は、流動する身体とともに生成され表現されてゆくからだ。また、表現することが困難になってしまう場合には、制約のある表現を追求してみるべきである。というのも、制約のなかで生み出された作品ほど、個性がおのずからにじみでてくるからである。制約を課した作業において、身の所作の「自由」が獲得され、表現が表出として成立することにもっと教育は目を向けるべきである。(357字)

問2

課題文では、表現者の教育として「対応」や「呼応」から入ること、あるいは、制約を課した作業において表現することを提案している。

私も筆者のこうした提案に同意する。表現とは、他者とのかかわりの中から、自らの気持ちや考え方が表れてくると考えるからだ。私たちは何かとのかかわり合いのなかで初めて、表現するべきものが自分のなかに生み出される。あるいは、他者に対して応答可能であることがわかる。たとえば、音楽の流れにのって身体表現を行うにしても、まずはその音楽と自分とのかかわりを十分に意識させることが重要だと考える。その音楽が自身に何を喚起するのか、それに対して自分はどのように応答し、どのように身体を動かすのか、こうした試行錯誤が表現の第一歩だと考えるからだ。したがって、表現教育とは、他者とのかかわり合いのなかから、自分に生み出されるものをどのようにとらえ、それをまた他者に対して、新たに生み出された自身の表現としていかに差し出していくかというプロセスを体験、体得させるものだと考える。

以上のようなプロセスを子どもたちに体験、体得させるために、周りの人、物、場所はどのようなものであるべきだろうか。まず、子どもたちにとって他者から何かを得て、さらにそれを他者に表現していくことが楽しいもの、おもしろいものであることを理解してもらう必要がある。それゆえ、表現教育の現場では、テーマとなる対象(物)や表現をする場所(音楽が流れる空間など)を子どもたちが肯定し、受け止められることが望ましいと考える。さらに、指導者は物や場所とのかかわり方や、「今・ここ」における自分と様々な対象から生まれる応答可能性が、多様であってよいことを子どもたちに伝えられるとよいだろう。子どもたちが世界のあり方を肯定し、受け止めるとき、そこからおのずと子どもたち自身の表現が始まると考えるからだ。(779字)


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