脚の骨を折る覚悟を完了した


脚の骨を折る。

そう覚  悟  完  了した。昨日。


知り合いが沖縄にやってきたので北部のやんばるへ行った。目当ての生き物は沢にいるもんだから、林道を車でテロテロ走りつつ時折斜面の水場に降りて探していたのだ。その中で通称マングースロードと呼ばれる、マングーストラップを仕掛けるためにある程度切り開かれた獣道を見つけた。やんばるにはマングースロードがいっぱいあって、いっぱいあるから景気がいい。

そのマングースロードを下っていくとどうやら大きめの川に通じているらしい。等高線を確認すると、直下はやや急だが川自体はかなり緩やか。その前までどこに入っても今ひとつ手応えが無かったのもあり、一発降りてみっか!とスタートしたのが21:30頃。

序盤は順調だが、次第に足元が悪くなってくる。どうやら急峻な枯れ沢になっているらしく、足場が悪い。それでも水の流れる音を指針に降り続けた。すると、思っていたより大きく、かつ岩の大きい川に辿り着いた。

目的地はこの川を遡上した場所で、どこかに上からはわからない道が繋がっているハズだった。ある程度の目星をつけつつ登っていく。

カエルが多い川だった。今朝方梅雨明け宣言がなされた沖縄の川は溜まった雨水でなかなかに勢いが強い。ハブやヒメハブに気をつけながら岩に脚をかけて遡る。

30分ほど経った頃か、雲行きが怪しくなってきた。天候のことではない。どうも川が荒くなってきているのだ。地図を確認するとなんとなく目的の川とズレている気がする。蛇行しながら降りてきたため感覚がズレていたが、どうやら目的の川の1つ尾根を越えた隣に位置する沢にアタックしているようだ。どうりで川幅が狭いわけだ。

しかし、既にそこそこの無茶をして登ってきている。滝や滝つぼの脇を無理によじ登り、特に自分の我武者羅なクライムで土壁は所所崩壊している。今更下って合流地点へ戻るのは難しいだろう。だがもうこれ以上登っても現実的ではない。ここからは滝が連鎖し、崖の登攀を幾度求められるかわからない。

となると選択肢はもうひとつしかない。林道に向かって真横から登るのだ。林道は等高線に従いながら緩やかに登っている。自分たちもそれに並行するように沢を登ったのだから、理論上は右に見えている斜面を登ればガードレールとアスファルトが見えてくるはずだ。

南無三。足踏みしていても仕方がない。同行していた三人と話し合い、林道へ上がることに同意する。マングースロードを降り、そこから沢を登ろうと言った自分が露払いとして先んずることとなった。

ここで1つ失敗があった。ヘッドライトのバッテリーが消耗していたにも関わらず電池を交換せずに登り始めてしまったのだ。これによって後に覚悟を決める顛末となる。

手探りで登攀する。場所によっては安定しているものの、矢張り谷は脆い。土は砂が多く、岩は風化して体重を預けるには心もとない。迂闊に勢いで登れば下で待つ彼らには大きな石の礫が降るだろう。ゆっくり、四肢で確かめるように進む。

暫く進むと石壁に当たった。高さは3mも無いくらいだが上が見えないのは怖い。何より彼らが進む道を探さないといけないのに、自分が無理に上がったところで立ち往生するだけだ。下に見える3つの光に向かって実況しながら左右に道を探す。

土壁や石壁にあたる度に横へ避けながら登ると斜面に木が生えている場所に辿り着いた。上は茂って見えないが、ここなら体を支えるものも多いだろう。足元も土に変わって踏ん張れるようになってきた。少し安堵して進む。

生きている木だけ掴んでゆっくりよじ登っていくと、茂る木木の隙間から白く反射するものが覗いた。ガードレールだ。あそこまで辿り着けば帰れるだろう。ゴールが見えると安心感が凄い。集中力を切らさずに登りきった。

道に出ると、なんてことはない普段見なれた林道だ。下を見るとライトが見える。下から見上げるほど大した高さは無かった。不安の効果を知る。取り敢えず下に登りきったことを伝え、もう1人に自分のライトに向かって登ってきてもらう。

その時、車が通りかかった。見れば知り合いの車。梅雨明けだからと皆皆、矢張りフィールドへ出てきている。かなり焦っていたが、相手を心配させても仕方が無いので落ち着き払ったフリをして、しかし心細かったのでちょっとここで待機してくれないかと頼んだ。そんなこんなしている内に1人、登りきってくる。

坂の下に停めた車を回収し、リュックを背負う。下に残った2人は道具を持っていて、しかしバッグの類を持っていないものだからあのままでは登れないのだ。なので自分がリュックを背負ってもう一度降り、道具を詰めて登る。

もう一度ガードレールを乗り越えて斜面へ降りた。ある程度道程が分かっているので、登ってきた時ほどは辛さはない。崩れる斜面に気をつけながら時折現れる天然記念物の生き物を脇目に降りていく。ふと下を見ると脇の石壁の下2mほどに安定してそうな場所が見える。そこれ一旦姿勢を直そうと飛び降りた。しかしこれが間違いだった。

先程登ってきた時にぶち当たった石壁だろう。登攀しながら左へ左へとズレていったので、下で待機している2人も左へ左へとズレていっている。つまり自分が登り始めたポイントはほぼ真下であるのに、2人が待つポイントはより左へと移動しているのだ。そのまま沢まで降りて沢沿いに合流すればいいものを迂闊にもそこから修正しようとしてしまった。

斜面に足をかけながら左へ左へと向かう。沢はもう直下5mほどだ。次第に斜面が土から砂、砂から岩に変わってきている。岩は水の流れに伴って薄くなり、片手に体重を掛けすぎると丸ごと割れる。

アレ?

気がついたら四肢全てが岩の上に乗っていた。それぞれ力をかけると動き、ズレる。おまけに壁は70°以上で、体を斜面に密着させなければひっくり返ってしまう。

万事休すだ。下を見ても暗く、少なくとも2mまでは地面がない。手の届く範囲に大きな岩だったり木だったりも見当たらない。つまり、もう体を動かしたら崩壊する岩と共に落ちるしかない状況になってしまった。

ヤバい!ヤバい! 恥ずかしいことに焦って叫んでしまう。声に出しても状況は好転しなかった。

頭の中で最悪のイメージがぐるぐる回る。このまま滝つぼの方に落ちて岩に体を打ち付けたら──、重症という表現で済んだらラッキーかもしれない。高速でネガティヴが進む。

覚悟を決めて落ちるしか無かった。ただ崩れるに任せて落下するより、脚を折る前提で姿勢を180°回し、手で頭などを守れるようにした方がまだマシだ。下は依然見えない。2人はまだ少し遠い。

脚を折る覚悟を決め、体を正面を向きなおらせた。ズザザザザ!!と脚から腰、背中が斜面に擦れる。その時、右に張り出した細い木が見えた。

手を伸ばしてなんとか掴む。一緒に落ちた岩などはそのまま沢まで落ちたのだろう。ボチャ、ドプンと水に沈む音が響いた。

細い木だったが根は確りと張られていた。脚や腕を軽く打ったものの骨や腱に支障も無かった。止めていた息を吐いた。

その後、2人の道具を回収してまた登り直した。ライトの電池を交換すると驚く程に視界が開ける。あんなに暗い中で動いていたのかとそこで気が付く。上で待機する友人たちのライトを頼りに登ると、台風で折れたのか頑丈な木が5mほど斜面に沿って倒れていた。それを手がかりにしていくと拍子抜けするほど簡単に登れてしまった。ガードレールを目の前にして初めて自分の状態を確認してみると左手は切り傷で血まみれになっていて、そこで初めて明確な痛みが襲ってきた。

ゆっくり、アスファルトに手をかけて上がる。すると目の前で細く赤い縞がたなびいた。

ハイだ。コブラの仲間の蛇で、沖縄の蛇の中では珍品であろう。痛みを忘れて大急ぎで引っ掴み、林道へ放ってそのまま自分も飛び上がった。

そのままアスファルトに倒れ込み、荒い息を整えた。脇では友人らがハイの写真を撮ったり尾部のトゲで刺されてみたりとはしゃいでいる。すぐに下の2人も登ってハイを見ていた。

脇の草や湧き水で手を擦ると血は止まっていた。アドレナリンが出まくっていたのか痛みも鈍く、興奮で捲し立てるも周りはハイに夢中。スマホを見ると23:00。沢に降りて90分しか経っていなかった。深呼吸して煙草に火をつける。

紫煙を吸い込みながら、二本の足でしゃんと立ち、歩けることをしきりに何度も確認した。クローブの香りで口の中の泥の臭いが際立った。






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