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【第6回ポリガレ『飛ぶ教室』】助けてほしい人と助ける人のすれ違う心 ” 相手の気持ちをわかったつもり” な私たち

助けて!ってなぜ言わないの?


はじめまして。PolicyGarageで共に学ばせてもらっているT.Yです。

皆さん、こんなことを思うことありませんか?

「どうして、あの人は助けて!手伝って!って言わないのだろう?」
「どうして支援サービスがあるのに、市民はもっと利用しないのだろう?」
「わざわざオフィスアワーを作ったのに、どうしてうちの部下・学生は質問に来ないのだろう?」

行政、民間、そして私たちの日々の生活の中でも、人がどうして助けを求めないのだろう?せっかくの機会を利用しないのだろう?と思うこと、ないでしょうか。

しかし、反対の立場になって自分を振り返ってみると、、、

私は学校で授業中に先生やアシスタントティーチャーに助けを求めることがとても苦手でした。会社でも、上司や同僚に何かお願いをする時はとても勇気を必要としました。そして、今は子育てをしながら生活していますが、小さな子供を連れて買い物や外出中に、ちょっと助けてーとお願いすることや、子育て関連の行政サービス等に支援を求められない自分がいます。

自分は助けて!とお願いするのが苦手で勇気を必要とするのに、他の人には”どうして助けてって言わないのだろう?”と思ってしまうのでしょうか?それを説明してくれる研究があります。


助けて欲しい人の気持ちをわかったつもり


コーネル大学のBohns教授らによる実験(注1)では、『助けを求める人』と『助けを求められる人』、そして『どちらの立場でもない中立の人』という3つの立場になって、グループ設定をし、それぞれのグループにいくつかの状況を想像してもらいました。例えば、都会の道端で急に電話をかける必要があり、誰かに携帯を貸してくださいとお願いする状況。大学生で車を所有していないものの、大切な家族を空港に迎えに行かなくてはならず、友人に車を貸して欲しいという状況。満員電車に乗った時に、気分が悪くなってしまい、席を譲って欲しい状況など。

そして『助けを求める立場』、『助けを求められる立場』、『中立の立場』の人たちに、それぞれ「助けを求める人はその状況においてどれくらいの確率で助けを求めるか」、「助けを求める人は、助けを求める行為にどのくらい不快や不安を感じるか」と質問しました。

立場が違うことで、どのように受け取り方は変わるでしょうか?みなさんも想像してみてください。

<Helper(助けを求められる人)、Natural Observer (中立の人)、Help-seeker(助けを求める人)にそれぞれ、 Likely to ask (助けを求める確率)と、Discomfort (助けを求める時に感じる不快感。高いほど不快)を聞いた研究結果>

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                                                                (Bohns and Flynn, 2010  Table 1)

この実験の結果、それぞれの状況において、『助けを求める人』は、それ以外のグループの人よりも助けを求める確率を低く予想し、助けを求めることの不安や不快を高く予想。反対に、『助けを求められる人』は、『助けを求める人』の助けを求める確率を高く予想、不快や不安感を低く予想することがわかりました。 

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助けを求める人が感じる不快感。助けを断る不快感。


他にも、Bohns 教授らの数々の研究によると(注2) 、私たちは助けを求める時、相手に断られるかもしれない、不快な思いをするかもしれない、恥ずかしい思いをするかもしれないと状況を予測する場合、助けを求める行動に強い不快感や不安を感じる傾向があること。しかし、助けを求められる側は、助けを求める人が感じるそのような感情を、低く見積もることを研究結果から説明しています。

さらに興味深いことにBohns 教授らは別の研究で、助けを求める人が予測する実際に助けてもらえる確率、そして、助けを求められた人が直接頼まれた時に”できません”と断ることに感じる不快感を、低く予想するということも指摘しています。(注3)

つまり、私たちは、助けを求めている人、助けを求められた人、立場が変わると、それぞれ相手の心の中を、独りよがりに判断しているのだそうです。


独りよがりな私たち。他者視点取得の落とし穴。


社会心理学の研究によって、私たちは、相手の気持ちをわかったつもりになる、”egocentric(独りよがり)”に物事を推測し” perspective taking(他者の視点取得)”を行う傾向がある、ということがわかっています(注4)。

助けて欲しい立場の人は、「こんなことお願いしたら迷惑だと思われてしまうかもしれない。」「断られたらどうしよう、恥ずかしい。」と思い、助けを求める行動を取ることができない。

反対に、助ける立場の人は、「声をかけて欲しくないのかもしれない。」「手伝いは必要ないのかもしれない。」と、助ける行動を取らない。それぞれの立場で、私たちは相手が考えていることを、自分本位に解釈してしまい、すれ違っているのかもしれません。

さらに、自分が急いでいたり、疲れていたりするなどの心理的・身体的状態が状況判断に影響を及ぼすこともわかっています(注5)。自分が疲れている時などは、誰か困っている人を見かけた時、「きっと大丈夫に違いない」と、疲れていない時よりも勝手に相手を判断してしまうことありませんか? 相手のことをわかったつもり、さらに自分の置かれている状況によってもその理解や解釈は変わってきます。


わかったつもりにならない!”おせっかい大作戦”!

シカゴ大学のEpley 教授たちは、”egocentric" =独りよがりに相手を理解してしまうのを防ぐために、相手をわかったつもりになる=相手の気持ちを想像する(perspective taking)だけでなく、相手の気持ちを直接聞きに行く(perspective getting)必要があると述べています(注6)。この考え方は、行動変容やナッジ理論を考える時、相手の行動障壁や動機を把握する際にも必要な考え方ではないでしょうか?

もし、どうして助けを求めないのだろう?と、思うことがあったら、相手の人が感じている不快感や恥ずかしさ、断られるかもしれない不安を持っているかもしれない、と想象してみませんか?そして、誰かが、あなたに助けやアドバイスを求めて来た時は、実は、とても勇気を出してあなたに声をかけてくれたのかもしれない、と思ってみませんか? 

そして、おせっかいになって、助けを申し出る。何が必要か聞きに行ってみる。助けが必要だと思う人がいる所に行く。そうすることで、もしかしたら、本来提供できる支援やサービス、お手伝いを、そして、あなたの助けたいと思う気持ちが、困っている相手に届くようになるかもしれません。


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『飛ぶ教室』は、ドイツの作家エーリッヒ・ケストナーの、知恵と勇気を題材にした児童文学小説です。
タイトルの『飛ぶ教室』は、小説内の戯曲の題名で、世界中を飛び回って現場から学ぶ、未来の理想の学校を描いています。
知恵と勇気を持って社会を変えようとする方のために、最先端で現場主義の学びの場を提供したいという想いを込めて、ポリガレの『飛ぶ教室』を開講します。
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