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【第5回ポリガレ『飛ぶ教室』】2021年ノーベル経済学賞

ポリガレの津田です。

去る10月11日、2021年のノーベル経済学賞が発表されました。
今回の受賞者の功績を一言でいうと、EBPMの発展に貢献したことです。一体どのような貢献をしたのでしょうか?
今回の飛ぶ教室では、受賞者の功績を紹介します(※)。

EBPMで最も大切なのは、政策と効果の因果関係の分析です。

その一番厳密な手法は、ランダム化比較対照試験(RCT)と呼ばれています。対象者を、介入をするグループとしないグループにランダムに振り分けて、結果を比較することで、その介入の効果を測定するものです。

新薬の開発で、新薬を飲むグループと偽薬を飲むグループの結果を比較するなど、医薬品の臨床試験ではよく用いられる手法です。最近では社会政策の効果検証でも使われる機会が増えてきましたが、実社会で実験するのは簡単ではありません

そこで、今回の受賞者たちは、自然実験と呼ばれる手法の活用方法を確立しました。

給付や税制の所得基準、学校の入学基準などのように、現実社会には様々な境目があります。自然実験は、こうした境目をうまく利用することで、あたかもランダムに振り分けたかのように対象者をグループ分けし、因果関係に迫る検証手法です。

今回の受賞者は、自然実験により、最低賃金と雇用の関係、教育水準と所得の関係などのように、従来は政策と効果との因果関係が分からなかった社会施策について、信頼性の高い科学的エビデンスを示しました。

自然実験について、具体的なイメージを見てみましょう。

(1)自然実験の具体例

教育と所得の関係は、誰もが気になるトピックです。
この関係を図にすると以下のようになります。

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例えば、12年学んだ場合は、11年学んだ場合と比較して、所得は12%高くなっています。また、16年学んだ場合は、16年学んだ場合と比較して、所得は65%高くなっています。平均すると1年多く教育を受けると7%所得が高くなります。

この12%や65%、7%といった違いは、教育期間の違いだけによるものでしょうか?

答えはもちろんNOです。そもそも教育をより長期間受ける人は、そうでない人と異なる傾向を持つからです。
例えば、より長い教育を受ける人は、そもそも仕事にも意欲が高く、教育に関係なく高い所得を得ているかもしれません。

そこで自然実験の出番です。

アメリカの教育制度では、同じ年に生まれた子どもたちは同じタイミングで就学します。一方で、日本とは異なり、16歳〜18歳になったタイミングで中退することが認められています(※3)。そのため、図2のように、1〜3月に生まれた子どもたちは、10〜12月生まれよりも、平均的な教育期間が短くなっています。

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1年のどの時期に生まれるかは偶然決まるものなので、生まれた時期による教育期間の違いも偶然の結果と言えます。すなわち、ランダムに決まるものです。こうした偶然(=ランダム)の教育期間の違いが所得に及ぼす影響を調べれば、教育期間と所得の因果関係が分かります。

図2の右側の表は、生まれた時期と所得の違いです。確かに1〜3月生まれは、10〜12月生まれと比較して所得が低いのがわかります。具体的には、中退制度があることにより、1〜3月生まれは10〜12月生まれよりも、平均所得が9%低くなっていることが分かりました

これが自然実験の力です。

ただし、結果の解釈には注意が必要です。具体的な解釈方法は(3)で解説しますが、受賞者の主な功績を順番に見ていきましょう。

(2)労働経済学の実証研究への貢献

まずは、デイビッド・カード教授(米カリフォルニア大学バークレー校)です。労働経済学の実証研究に貢献したことが評価されました。

カード教授の有名な研究は、最低賃金の雇用への影響を示したものです。

1990年代まで、最低賃金の引き上げは、雇用にマイナスの影響を与えるというのが経済学者の基本的認識でした。最低賃金を引き上げると企業のコストが増え、雇用を減らすと考えられたからです。
1980年代まで、そうした基本的認識に沿った研究成果は多かったのですが、実際の因果関係が、「最低賃金上昇→雇用減少」なのか、はたまた「(景気悪化→雇用減少→)賃金引き下げ→最低賃金引き上げ」のように逆の関係なのか、分かりませんでした。景気低迷などがきっかけで賃金が下がり過ぎると、最低賃金を引き上げる政治的な動きが起こる傾向にあるからです。
こうした状況を転換したのがカード教授であり、経済学者の基本的認識を覆す科学的エビデンスを示したのです。

カード教授が注目したのは、最低賃金を4.25ドルから5.05ドルに引き上げたニュージャージー州です。引上げ前と引上げ後とを比較しても、最低賃金と雇用の因果関係はわかりません。なぜなら、景気など、最低賃金以外の要因が影響しているかもしれないからです。

そこでカード教授は、ニュージャージー州と接するペンシルべニア州の一部と比較することにしました。ペンシルべニア州の一部はニュージャージー州と同じ経済圏にありますが、ペンシルベニア州は最低賃金を引き上げていません。そこで、ニュージャージー州の最低賃金引上げ前後の両州の雇用状況を比較した結果、最低賃金の引き上げは雇用に影響を及ぼしていないことがわかりました。なお、雇用状況を比較したのは、最低賃金の適用が多いファストフードレストランです。

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この研究をきっかけに数多くの関連研究が行われました。最低賃金の引上げが雇用に大きな影響を与えない理由として、企業は従業員向けの福利厚生を減らすことができることや、商品価格に転嫁できることなどが分かっています。こうした研究の蓄積によって、現在では、最低賃金と雇用の関係について、30年前よりも遥かに多くのことが明らかになっており、米国内外の労働政策にも大きな影響を与えています。

(3)自然実験の手法発展への貢献

次にヨシュア・アングリスト教授(米マサチューセッツ工科大学)グイド・インベンス教授(米スタンフォード大学)です。

政策の効果は人によって異なることが少なくありません。自然実験の影響は、往々にして人によって異なります。また、本物の実験であっても、政策(介入)を提供してもそれを受けてもらえない場合、同じような問題が発生します。

政策の影響が一様でない場合の評価は大変難しく、従来は非現実的な仮定をおいて、評価の精度も高くありませんでした。こうした状況を転換したのが両教授であり、政策の影響が一様でない場合の評価方法を確立しました。

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先程の教育の例で考えてみましょう。16歳〜18歳になった日以降に中退できる制度があることで、1〜3月生まれは10〜12月生まれよりも、所得が9%低くなっていました。この9%の低下は、どのような生徒に当てはまるのでしょうか?

答えは、本制度がなければ学校を辞めなかったはずなのに、制度があるために卒業した生徒です。逆に、本制度は、制度がなくても早めに学校を辞める生徒には影響しません。同様に、きちんと卒業する生徒にも影響しません。

では、制度があるために早く卒業した生徒への影響をどうやって評価するのでしょうか?
アングリスト教授とインベンス教授が編み出した効果検証方法は、2つのステップに分かれます。

1ステップ目は、自然実験によって生じる介入への参加率の差を計算することです。今回の場合には、中退制度があることで生じる教育期間の差を計算します。具体的には、1〜3月と10〜12月の教育期間の差です。

2ステップ目は、1ステップで算出した差を効果算定の際に考慮することです。
今回の場合には、まずは、1〜3月生まれと10〜12月生まれの平均所得の差を算出し、1ステップで算出した教育期間の差で割ります。

この2ステップによって、中退制度があれば早く辞める生徒においては、1年の教育期間の追加によって、約9%の所得増加につながることが分かりました。

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こうした手法が広がることにより、教育と所得の関係などについて、遥かに多くのことが分かるようになりました。例えば、一人あたり教育支出が学生にどのような影響を与えるか分析した自然実験では、低所得世帯の生徒にこそ、将来の所得上昇につながることなどが分かりました。
また、両教授の効果検証手法は、前提が明快かつシンプルで、汎用性も高いので、以降の政策評価の透明性や精度は格段に向上しました。
先程述べたように、自然実験のみならず、ランダム化比較対照試験においても、往々にして介入に従わない人々がいるので、この手法は経済学や政策評価を超えて、幅広い科学的検証に活用されています

(4)終わりに

今回の受賞者の研究成果は、それぞれ補完し合うことによって、社会科学の原因と結果の解明方法に革命をもたらし、EBPMの発展にも繋がりました。

自然実験は特殊な場合にのみ活用できる印象を受けるかもしれませんが、実は私たちの生活は自然実験で活用できる境目に満ちています。例えば、行政サービスや税の所得基準、学校や職場での基準(例:補講を受けるテストの基準点)などです。

皆さんが政策や事業をつくったり、実施するにあたっても、基準を設定することは少なくないはずです。こうした機会をうまく利用すれば、政策や事業の効果が因果関係のレベルで分かります。地方自治体の方々でも実践できることはたくさんあるので、是非実践してみてください。

今回のノーベル経済学賞を機に、日本でもEBPMが更に進むことを期待しています。

※1 Evidence-based Policy Makingの略。内閣府HPでは「政策の企画をその場限りのエピソードに頼るのではなく、政策目的を明確化したうえで合理的根拠(エビデンス)に基づくものとすること」と説明されています。

※2 ノーベル賞事務局が作成した、以下の二つのレポートを参考にしています。
Popular science background: Natural experiments help answer important questions (pdf)
Scientific Background: Answering causal questions using observational data (pdf)

※3 18歳になった日以降に中退が認められる州が16州、17歳以降が9州、それ以外は16歳以降です。

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