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拍手お返事 R6.1.10 AM3:17にメッセージをくださった方へ

はじめまして。感想(という名の感謝文、笑)をくださってありがとうございます。
やっぱりオタクならしますよね、深夜のpixiv推しcp徘徊。わたしも毎夜のルーティンです、笑。あなたが徘徊していてくださったおかげでファミリアシリーズに辿りついてもらえて、本当に嬉しいです。

ファミリアシリーズ、何度も読み返してくださったんですね。この感想いただいたとき、嬉しすぎてちょっと涙が出るかと思いました。
個人的にどのお話も後味の悪くないエンドだと思っているのですが、どれも事実としてはじろさぶが別れてしまうお話なので、読者を選ぶ作品だろうなとも思っていました。
正直読者から石を投げられても仕方ないと思っていたので、こんなにもこの作品を好きでいてくださる方がいてすごくすごく嬉しいし、ちょっとびっくりもしています。

≫(前略)二郎は三郎にとっての何があっても失いたくない絶対的導きの光だと思っていて、かつ二郎にとっても三郎を守る事が二郎を二郎にする事ができると思っており……

この部分、めちゃくちゃ解釈一致です。このふたりって、ふたりでひとつなんだと思っています。特に、『愛しのさぶ』の中のふたりは。お互いがお互いを成り立たせる要素であって、依存関係なんですよね。「依存からの脱却」がこのお話のテーマでした。だから、ふたりがこの先の人生をパートナーとしてともに歩まなくても、ハッピーエンドなんだと思っています。
お互いに心臓をあげて、もらって、というシチュエーションは自分でもとても気に入っています(癖が出ていますね、笑)。
交換したはずの心臓を、実際には自分のものだと認めたのは二郎が先で、三郎はしばらくずるずる引きずっていましたが、ラストシーンで二郎の子どもの心臓にキスをしたとき、三郎もようやく自分の気持ちに整理がついたのではないかと思っています。
余談ですが、『愛しのさぶ』のメインモチーフに心臓を据えているのは、一郎のソロ『Break The Wall』より‟それでも家族が俺の心臓だ“というリリックから着想を得ています。

≫(前略)「さぶ」と呼ばれることに抵抗のある三郎、凄く凄く好きなワンシーンです。

わかる、わたしもそこ好きです。このお話のタイトルの由来ですからね。
でもいつか、だれかに「さぶ」と呼んでもらえる日が来たら、それは三郎にとってとてもハッピーなことなんじゃないかとも思います。
じろさぶのオタクとしては呼ばれてほしいような、ほしくないような……。三郎の幸せを願うなら、そう呼んでくれる人が現れればいいなと思いますし、そのポジションにいちばん近いのが田治先輩だと思っています。

感想くださって本当にありがとうございます。
今後もたくさんじろさぶを書いていくつもりなので、また読んでくださると嬉しいです。

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