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思い出の詰まった抽斗

今までの人生で一番長い期間使い続けていたものは何だろう。

「所有していた(いる)もの」であれば、ギターとか趣味的なものが思い浮かぶ。

けれども、実際に使用していた時間数という括りで捉えれば、それは小学校に入学する時に買ってもらい、大学を卒業し独立するまで使い続けていた学習机なのだと思う。

横浜で暮らしていた幼少期の家は、決して広くはない集合住宅だった。間取り的には3K。6畳、4.5畳、3畳そして台所だったと思う。

風呂はなかった。

和室の畳は所謂団地サイズの畳だったのではないだろうか。かなり小ぶりな部屋だったという記憶がある。

ちなみに3畳間は板の間だった。(当時、フローリングなどというネーミングは、全く知らなかったし耳にもしなかった。)

子ども部屋はその3畳間。そこに学習机が二つ配置されていた記憶がある。

なので、当然寝るのは別の部屋だ。ふすま続きの隣室に、兄弟で寝ていた記憶がある。

夏には蚊帳を吊っていたっけ。

今時、蚊帳の中で寝る子どもはどのくらいいるものだろうか。結構ワクワクする空間なんだけどな。

ところで、「記憶」「記憶」と並べているけれど、以前に書いた通り極めて断片的な記憶だ。寂しいことに全体像は浮かんで来ない。

バーチャルリアリティ以下のリアリティ度だ。

何はともあれ、学習机に関する最古の記憶は、その3畳間の子ども部屋に鎮座している姿なのだ。

いつの日か身辺整理の対象が実家に保管されている昔のアルバムに至った暁には、そこに貼られている(昔のアルバムは挟んだり差し込んだりではない)古の写真によって、この記憶は裏付けられるに違いない。

今現在、兄弟の学習机は実家の2階に置かれている。自分の机はかつての自室に。兄の机は物置部屋となっている3畳間に。

兄の机の中身は兄自身が既に概ね空にしてある。僅かに残されたものについては、確認して引き取りたいものがあれば手渡すだけだ。

では、自分の机はどうだろう。使わなくなって30数年。けれども、各抽斗にどんなものが納められているか大体のあたりはつく。

20年以上愛用していたものなのだから。

そっと抽斗を開けてみる。

スチール製の学習机の黎明期に小学校に入学した世代だ。

くろがね工作所のサイトに同社の学習机の年表があった。スチール製学習机の発売は1964年(昭和39年)だ。
http://www.kurogane-kks.co.jp/home/museum/

コクヨのサイトを見ると、同社がスチール製学習机を発売したのは1967年(昭和42年)となっている。
https://www.kokuyo.co.jp/chronicle/yowa/furniture/

私が小学校に入学したのは、将にその頃だった。

そんな時代にあって、自分自身の意思決定だったと思うけれど、我が家では木製の机を選択したのだ。

買って貰ってその後の長きにわたって使い続ける本人よりも、もしかしたら両親の拘りがあったのかもしれない。

次男らしく、先に購入していた長男の机を真似ただけなのかもしれない。

いずれにしても、友人の家に遊びに行った時に目にしていたスチール製学習机より、自らの木製学習机の方が気に入っていたことは間違いない。

流行りのスチール机は、机上に本棚が作り付けられていたり、棚の下に照明器具が装着されていたり等々、実用的かつ見栄えのするものではあったけれど、それでもやはりシンプルな木製の机を気に入っていた。

ちなみに、その後スチール製の方はどんどんと進化(と言って良いのか判らないけれど)し、鉛筆削りのようなメカニカルな仕掛けが付いたり、アイドルやキャラクターがプリントされたり、相当に賑々しくなって益々好みから遠ざかって行った。

子ども用の自転車や運動靴、筆箱などの進化の過程と同じだ。売れ筋狙いは世の常なのだ。

ただし、更に時を経ると学習机は大きく方向性を変え、ベッド下の空間を活用するなど、家具と一体化、あるいは部屋と一体化したものへと変化し、素材も木製主体へと戻って行った。

より合理的であり、かつスタイリッシュな路線への転換とでも言えばいいのか。子どもと言えども個人の空間を尊重する時代背景によるものなのか、その流れは、少し羨ましくもあったけれど。

兎に角、自分の愛用していた木製学習机は今も実家の2階に静かに佇んでいるのだ。

話しを戻そう。抽斗を開けてみた。

思った通りの中身だ。懐かしい文具、お土産に貰ったキーホルダー、そして手紙や年賀状。

少し眩暈がした。

思っていた以上に過去に引き戻されたからだろう。

多分この机は、この机の中身こそは、身辺整理をしていく中で心の奥深くまで迫り入るベストスリーに入ることは間違いないだろう。

第一位である可能性もかなり高い。

眩暈のひとつもして至極当然のこと。なので今はそっと抽斗を閉じる。

閉じるのかいっ!

実家の整理をしていく中で、最後の最後に整理しなければならないもの。と言うか先送りしたいもの。出来れば整理したくないもの。

もしかしたら、どうしても整理できないままに終わるかもしれないもの。

この段階で一度目にしてしまった。

次に目にするときには卒倒するかもしれない。