見出し画像

VRChatの片隅でパブリック交流ワールドを2年近く運営し振り返ったことなどつらつら

はじめに ご挨拶と記事の趣旨

みなさまこんにちは。ちょっとまえに始まったばかりと思っていた2023年もすでに秋分が過ぎ、一年を時候に分けた七十二候では、水田の収穫の準備のために水を抜く「水始涸(みずはじめてかるる)」となりました。

2021年末にVRChatでのパブリック交流ワールドである「哲学カフェぽこ堂」を開店したので、すでに二年近くたっていることになります。

現在ぽこ堂はVisit数が4万2千人を超え、ありがたいことに毎日途切れることなくどなたかが訪れ継続的に愛されるワールドとなっております。

開店直後の年明けに開店記念イベント、半年時に半年イベント、そして2022年末には一周年イベントを行いました。
今回二周年も視野に入ってきてイベントをどうするかな…そもそも開くべきかな、とあれこれ考えているうちに、ぽこ堂のこの二年近くをいったん振り返り、ブイチャでパブリックのワールドを運営するというのがどのようなものか、どのようにワールドの性質や私のコミットのありかたが変遷しているかということを取りまとめてみたいと思いました。

VRChatではコンセプトをここまで押し出したパブリックの交流ワールドというのはなかなか珍しいとのことのようなので、同様のワールドを運営したいと考えている人々への参考や、ブイチャ世界の片隅の現時点での記録という意味からも価値あるものではないかと期待しています。

哲学カフェぽこ堂を作った経緯とコンセプト

さて、どの程度広い層にこの記事が読まれるかわからないので一応ぽこ堂とはどのような場所か、どのようなアイデアを素地に作られたかについて軽く触れておこうと思います。

正式名称は「哲学カフェ 芳紅 (ぽこ) 堂」と言います。
基本はパブリックインスタンスで開かれることを前提とした交流ワールドです。
まず「哲学カフェ」とは何か、というところの説明から必要でしょう。これは私が作った言葉ではありません。
(以下私なりの理解なので一部間違っているかもしれません。詳細は書籍などをご参考に)
哲学カフェは、マルク・ソーテというフランスの哲学者が1990年代にパリのリアルのカフェで始めたイベントが始まりです。
彼は哲学を大学という象牙の塔にこもった一部の人のそれではなく、広く一般の人々のシンプルかつ深い疑問に対する、素朴な意見表明と議論の営みとして行いたいと考えていたと。
例えば「お金は人を幸せにするか」「他人と理解しあえるとは」「常識とは何か」などなど。誰もが子供のころに疑問に思うようなこと。けど日々を大人として生きているうちにそんなことを考えるのに蓋をし生活してしまっていること、様々にあると思います。それを専門知識を使わず普通の言葉を使って改めて皆で議論してみよう、ということです。


彼のコンセプトは共感を呼び、その後日本にも広まり、さらにブイチャで「哲学対話イベント」を開く方も現れました。
尚この哲学カフェの形式で行う特定のテーマに沿った議論を「哲学対話」とも呼ぶようです。ひとまず同じようなものとして私は用いています。
私がブイチャを始めたのはワールド作成のほんの少し前、2021年秋で、お恥ずかしながらその時までこの哲学カフェや哲学対話という営みを一切知りませんでした。

しかしブイチャでそのようなイベントがあることをイベントカレンダーで発見し、出席したところ衝撃的に楽しかったのですね。
テーマは「アイデンティティ」だったでしょうか。
私もこういうことを考えるのが好きだったけど社会人になって以来長らく話せる友達に出会えなかった。
しかしこのイベントではそういうことについて考え続けてきたり意見のある人がたくさん集まっている…。
VRChatというものと哲学カフェというもの双方に可能性を強く感じました。
哲学カフェイベントの出会いが無ければ私はブイチャのアカウントを作ってはすぐにやめてしまう多くのユーザーの一人だったかもしれません。

そしてイベントに数回出るうちに、こんな楽しい時間が週一回一時間半なのはもったいない。常時そういう場があってもいいのではないか、という気持ちが湧いてきました。
ご存じのようにブイチャでは、特定のコンセプトで人が集まりたい時はイベント、それ以外はパブリックで完全にランダムな出会いを楽しむか、フレオンプラベに「籠る」かが楽しみのスタイルの中心です。
この辺は私がブイチャの常識になじんでそういうものだと納得する前だったのも、ある種非常識なアイデアを持つのにプラスに働いたのでしょう。

そして、「社会人になって以来こういうことを話せる友達に出会えなかった」と書いたものの、実は私の大学時代には古き良き学生街があり、そういう友達と夜通し話すような場がある幸せな時代を過ごしました。
また書籍などで見聞きする戦前の旧制高校生や大学生が集うサロンのような場所や、戦後すぐの知的だったり少し知識をひけらかしたい鼻持ちならない大学生があらわれる名曲喫茶、のような場所への不思議なあこがれもありました。

そして何より、リアル世界の名曲喫茶なりそういう場所は時間区切りのイベント制でもフレオンでもなく「パブリック」だよね、と。

そういうアイデアがカシャカシャっと合わさり、ブイチャを始めて哲学カフェというコンセプトを知って以来わずか2か月で、レトロな学生が集っていた喫茶店のようなデザインの、ブイチャでは珍しい「コンセプトのあるパブリック交流ワールド 哲学カフェぽこ堂」が誕生したわけです。

開店以来の振り返り 
ワールドの性質と私のコミットの仕方の変遷

さて、長くぽこ堂に来ていただいている方々は感じられているかもしれませんが、1年目の2022年と2年目の2023年は良くも悪くもぽこ堂がずいぶんと違う形で展開しました。
ある意味必然とも思えるその変遷がなぜどのように生じたのか。
開店からこれまでをざっと振り返ってみたいと思います。

2021年末~2022年

開店当初は私が参加していた哲学カフェイベントからやってきてくださった方々や、ワールドアップ直後にニューワールドとして表示されているのをUIに見つけてワールド巡りがてら見つけ、そのまま気に入ってちょくちょく顔を出すようになってくださった方々が最初期の「常連さん」を構成していました。
このようにワールド立ち上げ直後にコミュニティの初速を付け軌道に乗せるために貢献してくださる方たちがいらっしゃったことは本当に幸いでした。

その後もちらほらと新たな方がワールドを訪れてくれ、居場所にしてくれたり。もちろん最近あの人見なくなったな、ということはありつつも、比較的流動性の低い人の流れがありました。
私も毎日とは言わないまでもかなりの日の夜に顔を出し、来る多くの方と話し、ぽこ堂の趣旨を説明し、哲学対話、議論となれば積極的に発言してぽこ堂の雰囲気づくりを行っていました。
まさにリアルの喫茶店の「店主」のようにお店を管理し、私なりにお客さんにも目を配っていたわけです。
このころは店に数度来る方で私の全く知らない人というのはあまりおらず、新しい方をお見掛けしたら積極的に話しかけるし、人となりや興味関心を知る。
まさに私の開いたこじんまりした喫茶店に、ブイチャの広い世界からふらっとやってきてくださる方に接客をしていた、という側面がありました。
私としても自分がこのような場所が欲しい、このような場所に興味を持ってくれる人たちと知り合いたいと思って開いたワールドがまさにそのような機能を果たしてくれましたので、興味や関心を共有できる人たちが集まり、しかし完全に閉じた輪ではなく新陳代謝があり新しい出会いもある。
本当に俺得状態で、様々な楽しい方々との出会いが数えきれないほどありました。

そんな感じで1年が過ぎ、一周年記念イベントというのを2022年末に開催しました。
ぽこ堂の趣旨に従ってパブリックインスタンス開催なのですが、ワールドの宣伝も兼ねてイベントカレンダーにも載せました。
古くからの常連さんも、最近すこしご無沙汰の人も、新規に興味を持ってくださった方が訪れて他の人と話すきっかけにもなればと思い開いたところ、相当数の方に来ていただき大変盛り上がりました。
それだけでなく、これはややもすれば常連さんの内輪の盛り上がりになってしまい良くないのかもしれないのですが、コメントを募集してパチンコ店の新装開店祝いのごとく花輪を入り口に飾ったり、大きな黒板を出して、この一年でのぽこ堂の印象的な出来事を寄せ書きにしてもらう、といったこともやりました。

それもこれも、先に述べたようにある程度の人間関係の流動性の絶妙な低さというバランスの上に成り立った形なのだと思います。

2023年

さて、まさにこの1周年記念イベントを開いたのと前後して、ぽこ堂がメジャーになってきたなと感じることが増えました(あくまで当社比です)。
新しい方が訪れてくださる機会と比率が以前より増えてきたのです。

少し前から不定期で始めた「ぽこ堂一日店主イベント」という企画が良かったのかもしれません。何らかの学問的な専門知識のある方に一日ぽこ堂のカウンターに店主として立っていただき、お客さんと自由に話していただく、という企画です。
各々の一日店主さんが非常にクオリティの高いお話をしてくださったおかげで徐々に評判を呼び規模も増え、毎回50~60人がインスタンスに入る大盛況イベントに成長しました。
あるいはワールドポスターを作製、設置いただいたり、ポータルを別ワールドに置いていただいたタイミングなどがそのあたりなのも関係しているかもしれません。

ともあれ私としてはより広いブイチャの世界の人たちにぽこ堂が訴求することは大歓迎です。認知度が上がるにせよあくまでぽこ堂のコンセプトに興味を持ってくださった方がいらして下さるのですから、俺得がますますアップすることには変わりありません。
新たにお話しして面白い興味をお持ちだったり鋭い考え方や疑問をお持ちだったりする楽しい方も多く来店され、ブイチャのプレイヤー層はまだまだ広く深いなと感じます。

しかしながら人の流動性がやや上がった状態で、それでも私が「店主」として運営するまま推移した2023年前半は、その性質上自然であり必然であるのでしょう。その負の側面も顕在化してきたように思います。
つまり人間関係のあれやこれやとか。ぽこ堂に期待するものも各自でやや多様になり、それが一部の人には好ましくないと映るとか、そういったことです。
私も店主として、なるべくぽこ堂の皆が楽しんでいただける、そして私の作りたい理想の場をパブリックで提供すべくあれこれとやってきて、そして昨年一年はある程度うまく行ったなという自負もあったので、こまごまと最初のころは同じ調子で調整したり個々の対応もしていました。
ある人からある人が苦手なのだとかぽこ堂の趣旨と合わないのではないかという話を聞いたら店主としての責任感を多少なりとも感じ、発言や議論の方向性など私がお店で気づいたことをちょっとずつ修正を試みるとか。対立を丸く収めようとするとか。お店の注意書きの文言を追加したり調整したりするとか。こうワールドを更新したらよりぽこ堂の場が良くなるのではないかというアドバイスを聞いて回ったりとか。

しかしながら人の流動性が昨年よりも高まりそのトレンドが続く状態でそれを私個人が続けるのは負担が大きいなとどうしても感じる場面は増える一方です。ぽこ堂の楽しみよりも人間関係の調整のためにエネルギーの割きすぎるのも本末転倒です。
人間関係の好みやぽこ堂のあってほしい姿などなども、やはり人によって感じ方が違うのは自然な事であり、もっともなこともあるでしょうが至極主観的なことも混在し判断に影響することもどうしてもあるでしょう。これは当然私自身も含めてです。
もちろん私自身にもぽこ堂のあってほしい姿があり、それをある程度あいまいな形でありながら意識し運営してきたのですが、それを厳密に適応しすぎて堅苦しい場や閉鎖的に過ぎる場にするのは良くないという意識はあり、とはいえどこまでなら許容するか。私の意図や好みやこだわり、フレンド・お客さんの意図や好み、お客さんが私に期待する役割や私の責任や権限の範囲、それらの線引きのバランス取りが非常に難しくなってきました。

そこで今年半ばくらいにフレンドさんたちと色々話し相談する機会があり、ぽこ堂への距離の取り方をえいやと変えることとしました。

つまり名前のままの「店主」として積極的にぽこ堂にやってくる方々の中心であり責任者であることを辞め、いちワールド作者として、ただし時々は気が向いたときには顔を出すくらいの人物として、というコミットレベルに意識的に舵を切ったのです。

こういう意味ではある程度ブイチャの他のパブリックワールドの作者さんに近づいたのかもしれません。
それぞれに細かい違いはあるのでしょうが、例えばポピー横丁やJP Tutorial、FUJIYAMAといったワールドの作者さんが頻繁にパブリックインスタンスに顔を出し、ワールドの雰囲気を整え、トラブルを解決し、お客さんと広く積極的にあいさつし知り合う、ということはやってないのではないかなと(多分)。

しかしながら完全に放置する気もなく、やはり私の作りたくて作った場所であるため、時には顔を出して、最近のぽこ堂を様子を覗くようにしたい。
ただ作業がてら無言で過ごすこともあるものの、最近は週に一度はしっかり会話する日を作ろうとしています。
今でも私のことを慣習的な意味での店主と読んでくださることは全然かまいません。
このようなバランスが現在の人の流動性では最適だろうというのが私の現時点での結論です。

こうして一旦引いて以来しばらく経ってみると、本当に最近はぽこ堂にも私の知らない方々が増えました。
20人いるインスタンスで私のフレンドが誰もいない、数人しかいないということもざらです。
ぽこ堂のデザインは相変わらず大正レトロですが、その一歩外では一気に時代が変わって現代の波が押し寄せたようにも、私が取り残されたように感じる時もあります。

ぽこ堂に顔を出すと、ワールド作者さんなんですか!と驚かれることもしばしばです。
逆に、私がカランカランと店に入っても、誰か来たけどフレンドでもないし知らない人だから、とそのままスルーされることも笑。
昨年ではほぼなかったことですね。

昨年からの長い常連さんが今年前半や後半のある段階であまり顔を出されなくなった方もいらっしゃいます。もちろん個々の事情は様々でしょうが、ぽこ堂のありかたの変化やその経緯に何か思うところがあったゆえだとしたら、それぞれ仲の良いフレンドさんも多かったので残念に思う瞬間もあります。

私の知らないところで知らないぽこ堂の常連の人間関係の輪のようなものが複数できている様子も興味深く見ております。
昨年の人間関係の輪と言えば私を中心とした一つ、であったのですから。
これは大きな変化であり、ぽこ堂という一つの箱の中で単細胞生物から多細胞生物に進化したようなものです。

それら新しい人の輪もあれこれあって増えたり消えたり分裂したり色々するのでしょうが、すべてを把握するには私の脳内メモリーというかダンバー数(霊長類の脳の容量から算出した人が関係を結べる最大個体数)を超えるので、ぽこ堂に人が来続け発展し続ける限りは、おおむねあるがままに見守るのが良いと思っています。

おわりに

さて、長くなりましたがそんなこんなで二年近くが過ぎました。

冒頭に上げた二周年イベントをやるかやらないかについて。
ここまで読んでくださった方々にはその懸案の一端がお判りでしょうか。
つまり昨年の終わりはぽこ堂が良くも悪くも私を中心としたコミュニティであり、内輪のノリがある程度許された時代。その内輪が、新しくやってきた方を受け入れる余裕もあった時代。

しかし今年は、私も知らない範疇でぽこ堂に何かを求め利用して下さっている方がむしろ多い。
イベントをするといっても私の企画として開くようなことがその人にとって楽しいのか。いわゆる「このお店は内輪の常連と店主が盛り上がっていてキモイ」とGoogleMapのレビューを書かれるような状態にならないかの懸念があります。

ひょっとしたらフレオンでやるかもしれない、あるいはまったく別の形?
この辺りはもしこの記事を読まれて何か思うところあるお客さんはお気軽にDMやコメントくれるなどいただければうれしいです。

ともあれ、このように二周年イベントをどうするかという私の個人的な逡巡から始まり、それをきっかけにこのぽこ堂の二年弱を振り返ってきました。

最近ぽこ堂である方に言われたこと。
ぽこ堂はブイチャの中で結構な知名度を得ていますよと。

ブイチャを始めた人が最初に耳にするパブリックワールドはやはりJPT、ポピ横、FUJIYAMAなど著名どころ。
ぽこ堂はその次に聞くくらいのワールドの一つですよ、と。
大変うれしいことです。
そしてそのうれしい状況が起こっているからこその必然的なぽこ堂の昨年から今年にかけての展開と私のコミットの在り方の違いが生じたのだろうと思います。

私は基本的に、ブイチャの中での「コンセプトのあるパブリック交流ワールド」というアイデアはとても良いものと思っているし、是非いろんな方に作っていただきたいと考えています。
そこには「(趣旨に沿った人が集う場である)イベント」の時間制限が無く、フレオンインスタンスのある種の閉鎖性が無く、通常のパブリックワールドより話題や興味の共通点のある人と出会いやすいという稀有な利点があるからです。
来たいときに来て、抜けたいときに抜けて、新しい出会いと親密性の双方を兼ね備えることができます。
ブイチャというプラットフォームの利点を強く活かせる形態だと考えています。

もちろんいろんな事情でうまく行かないこともあるでしょうが、いろんな人がいろんなアイデアや工夫でとにかく作ってみて淘汰されてこそ、その中から良いものが生まれてくるのだと思うので、この記事がこういったワールド始めてみたい方の事例として参考になればと思います。

あるいは今後もし「コンセプトのあるパブリック交流ワールド」が盛んになるようなことがあれば、あるいはこれっきりで廃れるようなことがあっても、ブイチャのある界隈の一時期の記録として残しておくのは貴重で良いことだとも信じています。

ここまで長々とお読みいただきありがとうございました。

哲学カフェぽこ堂作者 芳紅 2023年10月4日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?