TAG TEAMで環境が壊れたんじゃないと思うよって話
ガそ挨無
なんかTwitterで「TAG TEAMが出るまでの環境はいろんなデッキがいた」「TAG TEAMが出てからつまらなくなった」って声を見かけた。
でもそれは違うと思う。
長文になるのでnoteに書くことにする。
結論から先に言うと、
プレイヤー層が変わったから環境が変わった
当時を振り返ってみる。
500円デッキが発売。
人がめっちゃ増える。
有料記事を書く人が出てくる。
有料記事を読んだ人がそのデッキを組む。
TAG TEAMの登場は、有料記事の文化とほぼ同時期だったはず。
それまでは、強いデッキを握るには自分達で研究するしかなかった。
有料記事の文化が生まれたことによって、自分達で研究せずとも情報を手に入れられるようになったわけだな。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
って古い言葉があるけど(古いとはなんじゃ!)
「自分達で研究するタイプ」が愚者で、「他者の経験(記事)から情報を得るタイプ」が賢者。
あ、愚者って書いてるけど貶める意図は全く無くて。
むしろ新弾発売直後には、賢者が学びの糧とする歴史が存在しないので、愚者が有利だと思ってる。
大会の開催頻度が低いエクストラレギュレーションでも、紡がれる歴史の量が少ないので研究チームでは愚者が重宝される。
話を戻そう。
有料記事の文化により、賢者が結果を残しやすい世界になった。
環境が煮詰まれば煮詰まるほど、他人の情報を糧にできる賢者が有利になる。
ただし、結果を残した記事を摂取した賢者が生産する情報は、元のレシピをチューニングしたものに過ぎない。
特定のアーキタイプばかり研究が進み、新しいコンセプトは生まれにくい。
生まれたとしても、洗練されたデッキたちと渡り合えない。
これが、「環境にアレとコレとソレしかいない」に繋がってくる。
「おもしろくない(あの頃はおもしろかった)」についても同様で、賢者タイプが現れた中、いつまでも愚者タイプから抜け出せないと、情報量溢れるこの令和の時代を生き抜けない。
特に月1新弾によって、研究が進む前に次の環境へ移るあの時期では、そう簡単に太刀打ちできるものではない。
そして勝てないからつまらない。アノコロハヨカッタナー
ただ、「いろんなデッキと戦いたい」「自分の組んだデッキで勝ちたい」って欲望が生まれるのは自然なことだし、ホビーとしてのあるべき姿のひとつだとも思う。
それが満たされなくて「またお前か」「勝てねー」「つまんねー」になるのは、とてもよくわかる。
わかるけど、TAG TEAMのせいではないんじゃないかなあ、という話でした。