できることを褒める社会の方が良くね? って思ってたんだけど 推定無罪とAEDの話

                 2022/6/16

軽い気持ちで書いたツイートに多くの反応をまたいただき、僕自身いろいろ考えたのでまとめてみる。
キーワードは
人間は全知全能の神ではない
になりそうだけど、このテキストに宗教的要素はもう出てこない。

ぼくのツイート集


Aprildiamond(坂山)さんはTwitterを使っています: 「大事なことなので2回言いますね。今年の5月に話題になった、専門学校の健診でわいせつ行為を行なったとして逮捕された医師は、不起訴になったんです。 (自戒を込めて)僕らは逮捕とか裁判ではセンセーショナルに騒ぎがちですが、当人の名誉を回復すべき事実を示す報道には関心を示さないんですよ。」 / Twitter

これと、ツリーにつなげたツイートに一番言いたいことは並べてある。

昔につぶやいたこれも: Aprildiamond(坂山)さんはTwitterを使っています: 「AEDに関しては 「正直、色々と面倒になる可能性を否定することはぼくはできない(罪にはならんだろうが、頭のおかしい人なら民事で起訴はされるかもだし、SNSとかで燃えるかもしれない)ので、助けない人がいたとしてそれを責める気は全くない」がぼくの意見です」 / Twitter

 Aprildiamond(坂山)さんはTwitterを使っています: 「全方位にけんか売りますけど、「こうすればいいのに専門家は行動にうつさない! 怠慢だ! 〇〇(銀の弾丸に見えるもの)を作るだけなのに!」って言説、僕は医療者として言われてすごく嫌だったので、別の業種に言わないようにしたいと最近思いました。」 / Twitter

Aprildiamond(坂山)さんはTwitterを使っています: 「でも、同時に尻込みする人のことも許容するんです。最善以外を突っぱねてはいけない。 【できる範囲でやるのは悪いことじゃない】」 / Twitter

医学とはそもそも不確定な状況であがくための学問である

「そんなのあたりまえや!」って言われるかもだけど。苦しんでる患者が目の前に来た時、しっかり診察しても検査しても、100%断言できる病名がつくことはまれで、その場で最善と思われる行動をとり、変化も観察しながら方針を修正していくことになる。また薬や手術も一定の割合で悪い出来事を引き起こすことも避けられない。
全治全能の神でなくても、あとから「これは結果として悪い影響を引き起こした」という指摘をすることは前もって指摘するよりははるかにたやすく、一般の方ですら可能な場合がある。だが、その指摘をもって「その治療はすべきではなかった」とはならない。

ひとつ例を挙げよう。東京から札幌まで行こうとする。いろいろな方法がある。多くの人は飛行機を選ぶだろうし、空が苦手な人は新幹線+特急を使うかもしれない。人によってはカーフェリーを使う人もいるだろう。ここで選択基準を「目的地到着までの時間」としたらどうだろうか。おそらくほとんどの方が「飛行機が最善」と考えるのではなかろうか。
だが、その日は不幸なことに霧の影響で飛行機は目的地の空港にたどり着けず、結果として新幹線を選択した方が早かった。乗客も航空会社も全知全能の神ではないので、このような経過が待ち受けていることに気づかなかったのだ。でも、結果として鉄道の方が早かった。では、飛行機を使うのは誤りだったのだろうか。そうではない。多くの場合は飛行機の方が早いのだ。天候の結果引き返す可能性があることは多くの人は知識として持っていて、そのうえで確率・期待値的に飛行機が最善と判断するのだ。一つの結果でその判断を誤りとすることは正しくはない。

札幌までの旅は簡単だが、医学の場合選択肢ごとの差はもっと小さい(そこに専門性がある)。そして、悪い方に転んだ時の結果は多くの場合重大で、結果だけは一般の方にもわかりやすい。そのため結果だけを見て判断しがちなこと、それ自体は僕は「一般の人」を責める気はない。

聴診か、わいせつか


健康診断の医師、女子学生2人に「服上げて」…準強制わいせつ容疑に「していません」 : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp) 2022/6/16記事確認

男は4月4日午前、同市西区の専門学校で行われた新入生向けの健康診断で、受診した女子学生2人に対し、「胸の音を聞きますね、服上げて」などと言い、体を触るなどした疑い。

読売新聞オンライン 2022/5/11

さて、この記事を見て「これはわいせつ行為だ」「とんでもない医師だ」と思った人は多いだろう。事実このころTwitter上ではそのような言論がにぎわっていた。だが、リンク先の記事も含めて少し考えてほしい。この記事は男の犯罪事実を証明する証拠を提示しているだろうか?

通常の聴診では、直接胸に聴診器を当てるほうが精度は高くなる(言い換えるなら服という遮蔽物越しの聴診は精度は低くなる)。だが、聴診を受ける人の羞恥心に配慮し、少なくない医療者が服の上から聴診を現在行っているということも、また事実としてある。
また、聴診をする際に胸を触るということは理論上ありえる。聴診器の持ち方によっては触れないこともあるが、自分は触れるもち方をしている。そして、それは決してマイナーなもち方ではない。聴診器の持ち方はいくつもある。

つまりこうだ。この記事は「真っ当な聴診」であっても行われている事実しか書かれていない。この記事だけではこの男が極悪非道のわいせつ医師であっても、真っ当に(精度上げようとして胸に直接聴診器を当てたことは医学的には褒められることこそあれど責められることではない)健診をした医師であっても、どちらもありうる。

ここで想定する反論はこうだ。「逮捕されたのだから、きっと記事には書かれていない怪しい点があるのだろう。そうでなければ逮捕されるはずがない」
これは危険な考え方であると思う。事実に関係なく、逮捕された時点でそいつは悪なのだ、という考えだ。逮捕どころではなく裁判で有罪になった人でも冤罪事件はいくつもある。逮捕されても不起訴になった例、起訴されても無罪になった例もある。警察官も神ではないし、そもそも逮捕は建前上「より深く調べるための方法」でしかない。逮捕は有罪を意味しない。事実、逮捕されたこの医師は不起訴になっている。

わいせつ疑いの医師不起訴 名古屋地検 - 産経ニュース (sankei.com) 2022/6/16記事確認

名古屋地検は31日、健康診断を受けた女子学生の体を触るなどしたとして、準強制わいせつの疑いで逮捕された男性医師(44)を不起訴処分とした。理由は明らかにしていない。

産経新聞 2022/5/31

推定無罪の原則は?

今回の件で絶望したことの一つは、不起訴ってことはこの男が「無実」であることは証明しないではないかという反応が複数あったことだ。これ自体は理論上正しい。検察も全知全能の神ではないからわいせつ犯を不起訴にすることはありうる。では、この男がもし真に無実であったときはどうすればいいのか。むしろ「起訴してくれ、裁判で受けてたつから」とでもいえば良いのか? ごめんなさいと和解していないことの証明? 無実であるという仮定は、この男にとってこれらの出来事は突然降ってわいてきた災難でしかないことを意味する。運が悪かったと諦め、自分にできる形で無実を訴え続けるしかないのだろうか。そんなことを続けられるほど人は強いのだろうか。

僕はこの男が無実かどうかは判断する材料を持たない。集めるつもりもない。だが、この男は「無罪」だと思う。検察が裁判による立証を断念し不起訴にしたのだから「有罪」ではありえない。なので、この男に関しては無罪として扱いたいと思う。世の中には毎日いろいろな事件が起き、いろいろな裁判が起きる。逮捕は有罪認定ではないのだから、推定無罪の法則によりその時点では無罪に印象をおいておき、裁判で犯罪の立証がされたときに考えを変えればいい。逮捕時点で自分が少し興味を持った事件に限っても、無実か有罪かの根拠となる情報を集める時間も手段も僕は持ち合わせていない。とすれば、有罪の人間を無罪扱いする、無罪の人間を有罪扱いする、どちらかは最低でも避けられない。だったら無罪に仮置きしたっていいだろう。

有罪に仮置きしない理由は推定無罪以外にも最近罰則が強化された侮辱罪がある。犯罪を実際に犯した人を無罪扱いしても名誉棄損にも侮辱にもならないだろうが、逆はもろに名誉棄損・侮辱になりうると僕は思う。「あいつ実はこんな犯罪侵してるんだぜ」が侮辱でも名誉棄損でもないのならなにが相当するのかとすら思う。侮辱と言われたときに反論できる材料をもってない世の中の99%の事件に対しては保留が安全な態度ではないだろうか。我々は全知全能の神ではなく、実際に起こったことなど知りようがないのだから。

専門家としての発言に求められるもの

自分は医師である。Twitterでは明言してないが、発言を30分ほど追えば医師でありそうだとは思ってくれると思う。だからこそ、ほかのことでは冗談を言っても医学的なことで意見を述べる時は相当に慎重であるべきだと考えている。なぜなら言葉は独り歩きするからだ。

専門学校での件でかつて絶望したことは、医師ですら「あんな聴診はありえない」と発言した人間が複数いたことだ。先にも書いた通り聴診で胸に手が当たる持ち方は別にマイナーでも違反でもない。だが、その言葉が独り歩きし、一般の方が「医者もこう言ってるぞ!」とさらに怒りを増幅させるのを見た。一般の方を責める気はない。軽はずみな医師の発言に騙されただけだからだ。だが、元の発言をした医師のやらかしは大きい。犯罪ではないが、僕は相当な嫌悪感を持っている。

そもそも最善じゃなきゃダメなの?


 Aprildiamond(坂山)さんはTwitterを使っています: 「「胸に手を振れるような聴診はわいせつ目的! そんな聴診はない」って発言にあろうことか同業者まで賛成してましたからね(聴診の方法なんて一つじゃないのに) 【最善じゃない救命措置】に文句つけられる可能性って、この2年でまざまざと見せつけられましたよ」 / Twitter

先の旅の例にも共通するように最善を評価する要素は複数あるけど、今回最善を救命率だけに絞るとする。そうすると、医学的に救命処置であるBLSの方法は一つに決まり、そこに患者個別の裁量が入る余地はほとんどなくなる。呼びかけて、返事がなければ人集めつつ呼吸の正常性を10秒以内に確認して、胸骨圧迫し、AEDが届いたらAEDだ。人工呼吸だけは「可能ならやる」くらいだけども。話はシンプルだ。

だが、ここに「要救護者の羞恥心に配慮して」となると、途端に要素は複雑になる。羞恥心に配慮するために準備する時間は何秒まで許される? 異性の救護者しかいなかったら? 目の前に倒れてるこの人は一体どっちを望む?

シンプルな最初のBLSであっても、救護者は全知全能の神でないため最善をとれないことは出てくる。不安・恐怖は当然あろう。後にも述べるが訴訟も頭をよぎるかもしれない。呼吸の正常性を10秒で確認できずもっと時間がかかるかもしれない。反応の確認の声掛けが弱くて、実際は目の前に倒れている人は酔っぱらって寝ているだけかもしれない。救護者に時間的余裕がなくて、だれか人を呼んだらその場を立ち去らないといけないかもしれない。

友人の一人が「正解出せないぐらいだったら黙ってろ」ってのは日本的だと評した。ぼくも同じ意見を持つ。でもそれって誰も幸せにならないのではないだろうか。倒れてる人から見れば何かしてもらっただけで放置されるよりも、ずっとずっと点が高くって。完璧なBLSを100点としたら、怖くて何もできないけど大声で人を集めた人は75点くらいもらってもいいんじゃないだろうか、と思う。ぼくは医者だから医療行為に抵抗はすごく小さいけど、一般の人に同じことを要求するのは傲慢だとさえ思う。

AEDの問題

AEDは確かに素晴らしい。VFの患者の社会復帰率を格段に上げた。これは医学的な事実だ。だが、それをしない人・できない人を悪かのようにたたく風潮はどうだろうかと思う。前段で述べた通り、個々人がやるべきことをやればいいのではないだろうか。

たたく人たちの論拠に「今までAEDで訴えられた人はいない」というのがある。ぼくはこれは正しいと思う。だが、「だからこれからも訴えられない」となると、そこには反論したい。いくつか理由を述べる。

蘇生処置と認めてくれますか?

第一に、上記の人たちの多くが「蘇生処置と認められれば訴えるはずがない」という。だがそれは誤りだと思う。これはAEDに限った話ではないが、蘇生処置と認めてもらえるなら、少なくとも僕はそこまで大きな心配はしていない。だが、認められなさそうで、それでいて真っ当な対処はあり得る。

April先生、夜の公園で捕まったんだって。酔っぱらってた女性10秒くらい様子見て、胸触ったんだってよ。女性の人泣きながら警察駆け込んだんだって。証人もいるってさ。

思考実験

これを見てAprilとはなんとひどい人間だと思った人は少し前の文章を見てほしい。真っ当なBLSでもこのようなことはすべて起こりうる。Aprilは、まったくの善意で意識を確認し、正常な呼吸をしている確証が得られず、胸骨圧迫を行った。胸骨圧迫はとても痛いので、結果論酔っぱらってた女性は飛び起きた。目の前で知らない男が胸を触っていればそれは恐怖だろう。警察に駆け込んだことは責められない。
嘘を書かなくても、見ようによって全然違うように見えることは世の中いくらでもある。そして、蘇生と認められなかったとき、善意の人が行わなければいけない釈明の難易度はとても高いのではなかろうか。

刑事では無罪になるというけれど

とはいえ、パニックになっていた要救護者はともかく、警察が同じように責める可能性は低いと思う。だから有罪判決にはならず、普通は逮捕すらされず釈放、ちょっと悪けりゃ不起訴、悪くても無罪判決だろう。よかったよかった。・・・本当にそうだろうか。
繰り返すが先の専門学校での検診の例が本当に無実かどうかは自分はわからない。だが、今回の件で「不起訴だからやったかもしれないよ・・・」的な反応をした人は少なくなかった。岩大社会に生きる人はうわさだけでダメージだし、逮捕なんてされた日には大ダメージだ。社会的に死亡と同義といってもよい(しかも容疑は準強制わいせつだ)。無罪にならないよりはなった方がいいけど、無罪になったからすべてが解決するとはとても思えない。

民事訴訟はどうなの?

刑事では有罪にならないとしよう。民事ではどうであろうか。「バカな訴えをする弁護士などいない」という弁護士アカウントもいるけれど、僕は医者の中にとんでもない人間がいるように(本当にいる)、弁護士の中にとんでもない人間がいても不思議ではないと思う。仮に弁護士が受けなくても民事は本人訴訟ができる。勝利確実な裁判でも、裁判を欠席したら敗訴だ。これはダメージだろう。

なお、時として医療者や一般の人が言及する「善きサマリア人の法」は、日本に作っても意味がないと思う。なぜなら、それに相当する法律は既に存在するからだ。刑事なら緊急避難と正当業務行為。民事なら事務管理と緊急事務管理がそれにあたる。そして海外の善きサマリア人の法は、蘇生行為と判断されてからスタートなので、「わいせつ行為かも」という疑いの時点では、何の効果もない。

「私刑」の恐怖

裁判以外にもリスクがある。陰口やSNSでの炎上。ネット社会においてはむしろこちらの方が大きいかもしれない。あえて出さなかったが、先の検診の件では医師の実名は容易に調べがつく。そしてそれはデジタルタトゥーとして消えない。
今回の件で嫌というほど思い知ったが、一度広がった偏見は消せない。日本のネット社会において推定無罪の原則を採用しない人が複数いるからだ。不起訴でもほんとうはやってるかも。無罪でもやってるかも。だって逮捕されたんだよ・・・
このような「私刑」を裁判所はあとから認定して、減刑をすることはある。だが、無罪だったとき、このような私刑を受けた人間は泣き寝入りするか、多大なコストを払って対抗するか、その二択しかないのだろうか。
ネットではそれこそ毎日どこかで「炎上」が起こっている。世の中の大多数はまともな人と信じたいけど、1%、いや0.1%の頭のおかしい人が、「正義感」から行動に出たとき、多くの人は無力だと思う。

そんなこと言ってたら何もできないじゃん への反論

ある弁護士さんは「ツイッターやってる方がよっぽど変な訴訟起こされますよ」とつぶやいた。(やっぱり変な訴訟あるんじゃん・・・)ともおもったけど、それをさておいても、この論には反論がある。
それは、人は、メリットだけ、デメリットだけを見て行動せず、その両方を差し引きするということだ。ツイッターは楽しい。稀に勉強になる。そのメリットと、頭のおかしい人からの攻撃のデメリットを差し引きして、僕は今ツイッターをしている。
一方路上の救命措置はどうか、するメリットとして人助けをした高揚感はあるかもしれない。金銭的謝礼は僕は考えない。デメリットは先に述べたことのほかに、救急に電話をして予想以上に時間的拘束をされたという例も聞いている。

Aprildiamond(坂山)さんはTwitterを使っています: 「某ツイートを見て思ったんだけど 「119番の電話をかけた人がその場で救急車が来るまで待ってなきゃいけないこと」って、法的根拠あるんだろうか 曰く、それを強制され、結果飛行機に乗り遅れたらしいけど補償はなかったらしい・・」 / Twitter
(これはあくまでツイッター上での話であり、全幅の信頼は置けない)

立ち去るメリットは、これ以上の時間的コストはかからないということだ。デメリットは、まあ精神的に気分はよくないし、あとで「見殺しにした」と訴えられるかもしれない。だが、AEDを使って訴えられても無罪になるように、その場で立ち去っても無罪になるだろうとは思う。

 Aprildiamond(坂山)さんはTwitterを使っています: 「応召義務についての通達(R1/12/25)にて、医者が、緊急対応が必要な患者より、診療時間外・勤務時間外に、診療を求められたとしても、断ることは原則、公法・司法上の責任に問われることはないという記載がある。 医者ですらこのレベルなのだから、一般人が断って責任を問われる可能性は低いだろう」 / Twitter

このあたりを総合的に判断することになる。メリットを無視して、「そんなことが起こる確率は極小だ。お前は道を歩いているときに隕石が頭に当たることを心配するのか」と言われても、それは違うくね? としか思わない。外に出るのは用事があるわけで、隕石怖いと引きこもりになることは別のデメリットを生む。デメリットだけの議論は乱暴だ。

BLSの啓蒙の話

これは協力する医療者も悪いのだけど、僕はBLSにおける「配慮の必要性」を示す報道はやめるべきだと思う。

女性にAED ためらわないで | 未来スイッチ!課題解決で暮らしやすい社会へ|NHKニュース

NHK

倒れて意識がない女性に配慮をしながら、救命処置を行う方法もあります

NHK

僕は医療者だからなおさらそう思うんだろうけども、BLSにおいては時間は何より貴重だ。分ではなく、秒単位で患者の救命率が下がるといっても過言ではない。そして、BLSは一般人にとって難解で、怖いことだろうと思う。少しでも難易度を下げるべきで、「配慮もした方がいいよ」「こんなこと気を付けなよ」「AEDしないなんてありえないよ」・・・などはすべて強烈な脅しとなると思う。ぼくは、前に書いた通り、みんなできることをすればいいのだと思う。救助者は全知全能ではないのだから。何かしてくれるだけで、全然ありがたくて、それを感謝する社会のほうが、「あれしてない」「これしてない」という社会よりもずっと健全だろうと思う。

結論

自分が要救護者を見たときどうするかは、正直よくわからない。理性は実は「ほっておくべき」に今回相当傾いてしまった。罪うんぬんよりも、一般人の悪意を相当感じ取ってしまった。でも、実際は無意識に体が動くかもしれない。

少なくとも、たとえ「意図的に最善をとらなかった」救助者がいたとしてもぼくは何かしたことを称賛したいし、何もしなかった人を責めようとも思わない。そして、万一、「救助と自称しているわいせつ犯」の話が流れてきたときは、その「わいせつ犯」が実際に犯罪を犯したとする根拠がない限りは擁護したいと思う。

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