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  「ここまでするか!」から「わしが悪い」まで

 「ここまでやるか!」と頼朝(大泉洋)が絶叫する次回予告、『亀の前事件』を三谷幸喜がどのように脚色するか、誰もが思わぬ展開を期待していたが、その予想をいい意味で裏切ってくれた。
  ということで『鎌倉殿の13人』の第12話「亀の前事件」と『草燃える』の第14話「政子狂乱」の相違点を列挙してみた。

万寿(頼家)が誕生したことで、政子(小池栄子)は乳母父になった比企の館に移ったが、それをいいことに頼朝は囲っていた愛妾亀の前(江口のりこ)のところにひんぱんに通うようになった。『吾妻鏡』ではそのことを政子にリークするのは継母の牧の方(りく)であるが、両作品では以下のようになっている。

『草燃える』
 保子(実衣)→牧の方(りく)→政子

『鎌倉殿の13人』
 全成→実衣→範頼→時政・りく→政子

と、経緯はかなり違っているが範頼(迫田孝也)を入れている作者の意図が今ひとつ分からない。後の伏線なのだろうか?

また、『鎌倉殿の13人』では学のない政子に対し「後妻打ちをするのです」と入れ知恵するのはりく(宮沢りえ)だが、『草燃える』の政子(岩下志麻)は学があるからか「後妻打ち」という概念を知っているので、唆されてもされなくても、軍師不要で決断してしまう。『鎌倉殿の13人』での政子はいくらか冷静なので父時政(坂東彌十郎)には頼まず、継母の兄牧宗親(山崎一)にやらせるのだ。だが『草燃える』の政子は最初に小四郎(松平健)に「後妻打ち」をさせようとするのだが、逃げられてしまい、たまたま通りかかった宗親に御台所の権限で「2度と住めないようにめちゃめちゃにしておしまい!」と命じるのだ。御台に脅威を感じた宗親も全力で実行する。伏見広綱亭館が全焼するまで火を掛け、亀(結城しのぶ)は命からがら脱出する。ただどちらの政子も亀の存在を自分に隠していた小四郎をとっちめているところはほぼ同じだ。もちろん「田んぼのヒル」は『鎌倉殿の13人』のオリジナルだが。

『鎌倉殿の13人』での政子は確かに屋敷を火を放つことまでは考えてはいなかったが、結果的には門も館も破壊し、火を付けて焼き払わせてしまっている。小四郎(小栗旬)が亀を避難させ義経に館の警備を頼んだら、こうなってしまったわけだ。それは義経が政子に懐いていて、亀が住む館を壊すことは正義だと思っているからである。頼朝は弟に少し感じ入ったのか謹慎させるだけで、責任は義経にあると唱え出す宗親には、全てお見通しの平三景時(中村獅童)に宗親の髻を切らせてしまう。

 『草燃える』との一番の相違点は現代性も取り入れていることだ。
 『草燃える』では事件後、あまり表沙汰にはならない。頼朝(石坂浩二)自身も怒りの矛先は実行犯の宗親だけにしているし(髻を切るのも他人にさせていない)、辱めを受けた宗親も妹の牧の方(大谷直子)も夫の時政(金田龍之介)を炊き付けることしか出来ないし、時政も頼朝には愛想を尽かし伊豆に下向するが、あくまで静かなる反抗だ。政子も頼朝も何事もなかったように振る舞っている。政子もこのときはドヤ顔になっているが、後になって騒ぎが大きくなったことで結局後悔してしまうのだ。
 だが『鎌倉殿の13人』では政子もりくもさらに黙っていないのだ。りくが御所に出向いて政子と一緒に「咎めるべきは夫のふしだら、夫の裏切り」と何と鎌倉殿に直接反旗を翻すのだ。こうなるとまた、筆者もあまり好きではない「大河ドラマの朝ドラ化」と言われるのかもしれないが、鎌倉時代の女性は比較的元気だし、封建時代が統一化されるのは江戸時代以降なので、これはあり得ない話ではない。さらにこの作品では頼朝が「身の程をわきまえよ。下がれ」と逆切れして同じ土俵に立ってしまい、とうとう時政が「源頼朝がなんだってんだ!わしの大事な身内にようそんな口を叩いてくれたな。たとえ鎌倉殿でも許さねえ。」と『吾妻鏡』には載らないような喧嘩に発展する。第13話「幼なじみの絆」になると時政に去られる頼朝はとうとう政子に「わしが悪い」と白旗を上げ、政子は「はい お認めになりました」と応じる。旧作ではあり得ないことである。

 小四郎や政子の継母りくは『鎌倉殿の13人』では魅力的に描かれている。それに比べると『草燃える』ではどちらかというと一面的で都の出をひけらかすばかりで敵役の枠組みを超えないステレオタイプに描かれている。だが『鎌倉殿の13人』ではもっと多面的に描かれていて、政子たちと仲が悪いだけの人には描かれていない。本格的に闘争心を燃やし出したのは鎌倉入の際、政子が御台所になった以降である。『草燃える』の牧の方は北条が源氏に付いたことに終始文句を言っていたが、『鎌倉殿の13人』のりくは親源氏だった。石橋山の合戦の際、政子や実衣と伊豆山権現に避難していたときはむしろ協力的で政子たちも好意的だったこともある。実衣など継母と一緒になったことで父も良い意味で変わったことを口にし、実の母を忘れかけているとすら吐露するのだ。継母への肯定と実母への追憶の失念が交錯するシーンだった。

 「後妻打ち」を政子にけしかけたのも政子が自分より高い身分になったことが気に入らず、恥をかかせてやろうと思ったのは本当だが、頼朝に腹が立ち一瞬だけシスターフッド気味になって政子に加勢したことも真実だろう。また政子の2度目での懐妊で、「母親の顔が険しいと、男だといいますけど」と言ったのはりくだが、『草燃える』では牧の方(りく)ではなく、似たようなことをめざとい侍女が言っている。

 「亀の前事件」の当事者である亀のパートは、13話でおそらく終了する。短い登場だったが、皆の亀像が一変しただろう。これまでは、ただただ政子を恐れるだけで何の個性も持たされないような描かれ方だったが、生存戦略だけでなく教養も哲学もある人間に変わっていたことが印象的だった。

補足
 他の『草燃える』との相違点
 本話で万寿の乳母父になった比企能員(佐藤二郎)の出番は今後増えるだろう。『鎌倉殿の13人』の能員は第2話「佐殿の腹」から登場するが、『草燃える』では第10話「鎌倉へ」の鎌倉入で初めて姿を現す。これまでは能員の叔母で養母で頼朝の乳母であった比企尼が比企の代表的な人物だった。比企尼を演じるのは草笛光子、『草燃える』では丹後局を演じていた。能員は佐藤慶、同じ佐藤だが、慶の方はこれぞラスボスこれぞ巨悪が似合う俳優だったが、能員は決してそういった人物ではないので、なぜ慶を起用したのだろうと今でも思う。むしろ二郎の方が合っていると三谷は感じていたのかもしれない。なお『草燃える』ではなぜか比企尼は話題になるだけで姿を現すことはなかった。

 『吾妻鏡』でも亀の存在を政子に知らせたことは牧の方(りく)なのでその点は両作品ともなぞっていることは間違いない。『鎌倉殿の13人』では複数の人間が伝達に関わっているが、『草燃える』では保子(実衣)の独善場でもある。なぜそのようなことになったかというと両作品での保子(実衣)と全成の婚姻話が例によって正反対になっているからである。『鎌倉殿の13人』の2人は恋愛結婚のようになっているが、『草燃える』の2人は政略結婚のようになっている。実は縁談の前に保子は品のいい僧侶全成を目にして密かに好意を持つのだが、理由があって政略結婚になっているのだ。頼朝の異母弟の全成にはやはり所領がないので北条の婿養子になればこれまでも妹を好きなように使えるからという大変身勝手な理由で思いついた縁談である。それを継母牧の方に知らされたことで、姉へのしこりが残る。そして思わぬところで姉への意趣返しというか、自分が得た情報を継母に面白おかしく伝え『亀の前事件』に発展していくのだ。

 『草燃える』での全成の胡散臭さは『鎌倉殿の13人』の全成(新納慎也)に引けをとらないが、もっと警戒心が強いので妻が得た情報を「御台には言うなよ」と釘を刺すのだ。保子は真野響子、全成は伊藤孝雄。双方演技派俳優であり圧倒的な美男美女だ。しかも双方とも『鎌倉殿の13人』の同じ夫婦よりはるかに歪んだ夫婦である。現段階ではなんとも言えないが個人的にはこの夫婦に関しては『草燃える』を押す。

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