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大天狗はまた出てくるのか?

 第22話「義時の生きる道」では、タイトル通りオフィシャルよりプライベートの話がメインだったようだ。頼朝上洛、法皇崩御、千幡(実朝)誕生と、3連発のイベントがあるにもかかわらず、「八重ロス」や子どもたちの成長や小四郎(小栗旬)の再婚話などに話を向けられていて、法皇崩御すら忘れられがちだった。何しろ視聴者からも「久しぶりに誰も死ななかった」と一瞬だがそう思われていたのだから。もっとも、やはり注目されていた「曽我兄弟事件」(日本3大敵討ちの一つ)も前者3件に引けを取らないイベントだが、本話ではまだ序幕である。

 それでも上洛も崩御も見応えがあった。
 建久元年(1190)11月9日2人きりの初対面である。

「われらを亡き者にしてこの日の本は治らぬ。できるものならやってみるがよい」立ちはだかる法皇(西田敏行)に、頼朝(大泉洋)は「新しい世のために、朝廷は欠かせませぬ。」と一歩も引かない。
 さらに「戦のない世でござる。」と。だがそんな頼朝に咲う法皇。
「薄っぺらいことを申すのう。誰より業が深いくせに。」とその通りだが、一応は自戒を込めて言っているのである。二人は似たもの同士なのだ。しかも「戦のない世を」と主人公が曰うこれまでの大河ドラマを皮肉っているのである。
 「戦がなくなり喜ばぬ者はおりませぬ。ただし武士どもは別。あの者どもをおとなしくさせねばなりませぬ。是非ともお力をお貸し願いたい。」ここはある意味本音であり、自分はもう武士ではないと宣言したようなものである。頼朝はいわゆる武家貴族なのだ。
 守護と地頭の設置が認められ、そして娘(大姫)を入内させ、若い後鳥羽天皇の后にしてほしいとまで申し出るのだ。

後白河法皇(尾上松緑)by『草燃える』

 『草燃える』では25話「頼朝上洛」、26話「法皇崩御」と2話に分けていたが、本作品では1話に詰め込んでいる。しかも頼朝と法皇の関係は全く違う。
 
 頼朝が朝廷からの上洛の催促に、始めて入京に腰を上げたことは両作品ともに同じだが、入京の最重要事項が違う。『鎌倉殿の13人』は守護地頭の設置と娘大姫の入内で征夷大将軍のことは当てにしていないが、『草燃える』では征夷大将軍の位こそが最重要事項だった。法皇サイドも絶対に征夷大将軍の位を与えないことが必須事項で、朝廷から武家政権、鎌倉政権に移ることを阻止したい法皇にもギアがかかる。以下が尾上松緑演じる後白河法皇が発する謁見でのちょっとした語録である。
 
「奥州藤原氏を一ヶ月でつぶすとは猛々しい」
「素晴らしい金色の都を焼くとは武家のすることは惨い」
「その所業を大いに褒めてつかわそうよ」
「九郎とは似ても似つかぬようだ」等等.

 頼朝は服邸はするが動じない。権代納言と右大将という征夷大将軍より高い位が任じられたがそれは名ばかり。
頼朝も内心怒り心頭なのだが、鎌倉派の九条兼実(高橋昌也)を訪れ「かのお人が死ぬまで待つか」と脈を通じる。

 とこのように『草燃える』では似たもの同士感は全くなく、法皇は右手は握手、左手はナイフの感があり、頼朝は面従腹背で対決意識は決して崩さない。似たもの同士感というよりむしろ同族嫌悪感が強かったと思う。何しろお互い軍隊を持っていないので頼朝と御家人、法皇と武士という綱渡りの人間関係しか保てないところが似たもの同士なのだが、それを認めたくないのだ。緊張感漂う心理戦だった。

 法皇との謁見後、兼実とも対面することも『吾妻鏡』にも『玉葉』にも残っているので両作品とも取り上げられているが気脈が通じているはずの兼実との対応も微妙に違う。

「どうも今の雲行きでは無理のようですな。」これは『草燃える』で頼朝が征夷大将軍をもらい損ねたことへの兼実のコメントだが、頼朝は以下のようの兼実に力説する。
「あなたとも内心そのようにお考えなのではないか?とにかく法皇様(尾上松緑)が生きておられる間にはどうにもなりませぬ。しかしいつかその日が来たらあなたとふたりでじっくり世直し取り組みたいものです。いかが?いつかその日が来ましょう。必ずその日が」

 この主張は『草燃える』の原作のひとつである『つわものの賦』という永井路子の随筆で、『玉葉』の中で兼実が頼朝のコメントを記述したものを永井が翻訳したようなものだが、『鎌倉殿の13人』でも表面上ではお互い盟友同士のように振る舞ってはいるが、本音ではとっくに袂を分かっている。

 『鎌倉殿~』の頼朝は、兼実に、守護地頭の設置が認められたことは伝えてはいるが、「何かがあった時は共に手を携えてまいりましょうぞ。」と言いながら、法皇との娘の入内の件はとっくにバレている。
 「わしとお前で帝を支えていくのだ。頼朝」と言いつつ「ただし断っておくが、わしの娘が既に帝の后となっている。わしの方が早かったのう」と牽制球を投げられている。

 兼実が40年間書き綴っていた日記『玉葉』は、当時の状況を知る上での一級史料となっている。同時代として『吾妻鏡』は鎌倉幕府、北条側の史料だが、『玉葉』は朝廷側の史料で、この二つの史料はそれぞれお互いに影響を及ぼしていると言っていいだろう。と言っても筆者は『吾妻鏡』を全文は読んだわけでもないし、『玉葉』は間接的にしか読んでいないので偉そうなことは言えないが、個人的な感想を言わせてもらえれば、どちらかと言うと『玉葉』の方に信憑性を感じる。『吾妻鏡』は一応公的な史料なので全てが建前で本音は隠されているが、『玉葉』は公私に渡る記録なので、当然兼実の個人的な見解も入っているからだ。それに兼実は頼朝の推薦もあって関白になったとはいえど、無派閥な感じも受け、法皇にも頼朝びいきだと思われているのか、野党的な政治家とも言えるだろう。なので政治家というより評論家としては優れているとも言えるのだ。法皇の生前でも距離を置かれているし、崩御後も結局は失脚しているし。『草燃える』では高橋昌也が、『鎌倉殿~』では兼実を演じているのは田中直樹だが、同じ人物を演じているようには見えなかった。田中に近いのは多分、1993年大河ドラマ『炎立つ』で演じていた斉藤洋介だと思う。『炎立つ』の脚本はやはり中島丈博である。

 余談が多くなってしまったが、日本一の大天狗の死の比較に移ろう。
 松緑が演じる『草燃える』の大天狗は、病人とは思えない張りのある声と気迫のこもった舞を披露する。死を迎えた人間だからの気迫。建久3年(1192)3月13日後白河法皇崩御。頼朝との対面から1年4ヶ月後だった。御年六十六歳。四十年間の治世であった。

 思えばあの尾上松録は大河ドラマ第1作品『花の生涯』の主演(井伊直弼)をしている。筆者には残っている第1話しか拝聴するすべはないのだが。他にも『勝海舟』の勝子吉も演じている。

 『鎌倉殿~』の西田版の大天狗が発する若き後鳥羽への遺言の特徴は、やはり「楽しまれよ」に尽きるのだろうか?法皇はまさに『梁塵秘抄』の一節「遊びをせんとや、生まれけむ」の体現者だったことを示すとは心憎い。そういえば刊行されて間もない『戦をせんとや生まれ家む』という小説もこの一節をなぞっていたことを思い出した。義経が「戦の申し子」なら法皇は「遊びの申し子」ということなのか?尤もこの壮大な遊びのために多くの者が踏み台にされたことか…脈を自在に止めてしまった西田版の大天狗は、幼稚性を強調した作り方だったが、どうしてもこの大天狗と『ドクターX』の蛭間との区別がつかないという意見も多かった。筆者も同意するし作り方は斬新だとも思う。ただ『草燃える』の松緑版の大天狗を超えたかと言われるとどうしても首を傾げてしまう。実は永井ですら大天狗、後白河法皇を過大評価し過ぎているという意見に傾いていて、後白河は権謀術数に優れているわけではなく単なる無責任者なのだと。確かに一級史料でも関係者からのそういったコメントも多いのでその通りなのかもしれないが、結果的には皆が振り回されていたのだから、個人的にはやはり権謀術数に長けているのは事実であろう。松緑もそのように演じていたと思う。
 しかしそれでも「日本一の大天狗といわれた後白河法皇が死んだ」とナレーション(長澤まさみ)に言わせたのは、「あっぱれ」と思う。「中世日本最大のトリックスター」の称号も燦然と輝いているだろう。
 大天狗は死んでもまだ出てくるのだろうか?生霊にまでなるくらいだから、出てきてもあまり意外性はないので誰も驚かないと思う。

 そして頼朝は自らを大将軍とするように朝廷に要求し、
建久3(1192)年7月、頼朝は征夷大将軍に任じられる。
 『草燃える』での法皇は、頼朝が退席した後に「わしの目の黒いうちは征夷大将軍などもってのほか。」とまで言い切り、わざと名ばかりの権代納言と右大将という征夷大将軍より高い位を与える。悔しがる頼朝。ところが『鎌倉殿~』の頼朝はそんなことはどこ吹く風と、法皇の生前で任じられることは期待していない。むしろ征夷大将軍を手に入れた
頼朝と政子の喜ぶ姿は意外に新鮮だった。『草燃える』ではあり得なかったことだろう。

 翌月8月、千幡(実朝)誕生。政子の妹と頼朝の異母弟という異色の夫婦が千幡の乳母夫に選ばれる。
 『鎌倉殿~』ではこの時点で小四郎の再婚話が浮上してくるのだ。『吾妻鏡』では、美貌で利発な比企能員の姪、姫の前は、頼朝のお気に入りで、小四郎も1年あまりの間、姫の前に恋文を送っていたのだが、彼女は一向になびかない、というようなことが記述されている。

 『草燃える』でも小四郎(松平健)は『吾妻鏡』と同じことをするし、恋文の返事をしない姫の前にも問い詰めると、「女心を掻き立てられない」と見事に打ち返されるのだ。

 しかし『鎌倉殿~』ではそのまま『吾妻鏡』を踏襲することに躊躇があったのだと思われる。それはドラマの設定上に年代差があるからだ。『草燃える』の小四郎の妻茜(松坂慶子)が壇ノ浦に沈んでから7年も経っていて、しかも7話も空いている分、再婚話が浮上しても不自然ではないのだが、『鎌倉殿~』では小四郎の妻、八重(新垣結衣)の死からおそらくは2年も経っていまい。話数も1話しか経っていないのだ。この状況で小四郎の再婚話がすぐに出てしまうと、視聴者の反感を買ってしまうので、三谷幸喜は『吾妻鏡』との矛盾が発生しないような工夫を凝らさなければならなくなった。何といっても小四郎は設定上、愛妻家の主人公ということになっているので、そこはつらいところだ。じゃあ最初からか初婚ということにすればいいじゃないかと思われるかもしれないが、泰時の存在がある以上、初婚も無理なのだ。で、どうすればいいかというと、下記のように展開する。

 比企能員(佐藤二朗)は北条の台頭に焦り、姪を頼朝の側女に送り込むことを考える。 頼朝は姫の前である比奈(堀田真由)に手をつけようとするが、既に伝わってしまっている政子の目を気にして、小四郎に譲ろうとするが、彼にその気はなく、「私は後妻をもらうつもりはない」と縁談を断る。頼朝から小四郎にと、たらい回しになった比奈にも当然プライドがあり、自分が振られたことは言わずに、その代わりに小四郎のことを「噂によると色恋になると相当しつこいらしいんです」と叔(伯?)父に伝えるのだ。つまり彼女の脚色を『吾妻鏡』に記述されたことにしたわけで、上手く工夫したなと言わざるを得ない。本話ではこの再婚話は続くようなのでネタバレはここで終わりにする。

 曽我兄弟の仇討ちの序幕は、頼朝上洛までに遡る。その時の酒宴は2組に別れていて1組は御家人の宿所に集い、もう1組は範頼(迫田孝也)の宿所に集まっている。主役であるはずの頼朝は都に通じている工藤祐経(坪倉由幸)に誘われ歌会に嬉々として参加している。範頼の下に集まっているのは自分たちの利益にならない頼朝の上洛への不満をより募らせている土井実平(阿南健治)、岡崎義実(たかお鷹)、三浦義澄(佐藤B作)、千葉常胤(岡本信人)プラス比企能員、つまり本作品では上総介広常(佐藤浩市)事件で謀反を起こす気があったメンバーである。範頼は自分は単なるガス抜きでここにいるだけであり、「兄あっての私」と担がれる気はないと一応はひとこと断りを入れている。仮にもしこのメンバーだけだったらガス抜きで終わっていたと思うが、思わぬ導火線に火がつくことになる。曽我兄弟、成人後の初登場だ。
 ややこしいが時政(坂東彌十郎)は曽我兄弟の弟の五郎(田中俊介)の烏帽子親で、兄十郎(田邊和也)の烏帽子親ではない。兄の烏帽子親は養父だが、その実子が家督を継いだ後、兄が弟の烏帽子親を時政に頼んだのだろう。兄弟は時政にある計画を打ち明ける。所領争いのことで実の父河津祐泰を殺した祐経を討ち果たしたいという思いである。烏帽子親になっている時政も「親の仇」と言われれば、協力を惜しまなかった。妻のりくも「お討ちなされ」と賛同する。時政は彼らが御家人になれるように尽力もする。だが実はこの計画にはカラクリがある。祐経への敵討ちを隠れ蓑にしたある計画、本当の目的は祖父である伊東祐親の正真正銘の敵である頼朝を討ち果たすことなのだ。兄弟は本来の目的を時政には伝えずに、頼朝に不満を募らせていた御家人たちに真実を打ち明けるのだ。あまり謀叛に積極的でない比企は、妻同様この計画を天秤にかけていた。つまり失敗すれば謀反だとは知らずに兵を貸した北条は失脚し、成功すれば、自分たちが乳母夫になっている万寿が鎌倉殿になるのだ。以上が本作品の曽我兄弟の仇討ちに潜むものの実態であるが、『草燃える』では全く違う実情になっている。

 まず『草燃える』での曽我兄弟は、より搾取された弱い立場になっている。烏帽子親である時政も後ろ盾になるつもりは微塵もなく兄弟はこき使われているだけで、敵討ちの余裕すらない。また頼朝に不満を募らせている御家人たちの標的は頼朝ではなく北条である。つまり弱小豪族だった北条が成り上がって自分たちは負け組になっていることで不満のマグマが溜まっているのだ。その計画に加担はせずに場所だけ提供し決して自分たちの手は汚さない三浦親子も不気味だが、ある者がこの計画の黒幕であり、御家人たちには北条を討つことを唆す一方、頼朝を討つことは隠している。そして兄弟に「頼朝がいる以上、伊東一族に明日はない」というようなことを明示し、頼朝暗殺決行を指示するのだ。

 『鎌倉殿~』で気になるのは比企が計画に加わっていたのではないかという創作の内容である。確かに五郎の烏帽子親であっても、この計画に時政は何のメリットもないが、比企には十分メリットがあるので、つじつまは合うしある程度の説得力はある。しかしそうなるとこれから起こる乱で比企がどんな目にあっても、それは比企の責任で、北条は何も悪くないなどということにはならないか(時政の恨みも買うことになるし)?本作品での散りゆく者の美しさの描写については定評があるし、その心配はないとは思うが、万が一三谷が何かで北条に軍配を上げてしまったら、せっかくの完成度の高い作品にミソをつけてしまうことになるので、そうならないでもらいたい。それだけだ。

その他

 実朝誕生で、乳母夫になった『草燃える』の全成(伊藤孝雄)は静かなる野心に溢れ、悪禅師の道を歩んでいた。なのに『鎌倉殿~』の全成(新納慎也)は乳母夫になったことを躊躇している。この対照的な態度が今更ながら気になる。

 「鎌倉は恐ろしい。ここは私の住むところではない。」と告げた祐経は、「自分には鎌倉意外にも都という居場所がある」という意味で、鎌倉を去るという意味ではなかったか?そのときは到底そうは思えなかったが、いまだに分からない。わかる人に意味を教えてもらいたい。

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