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鎌倉時代だからこそ

 確かに時元(森優作)の謀叛のソースは『吾妻鏡』だが、『承久記』という公式の合戦記では冤罪とされている。これで源氏嫡流がほぼ全滅したということは、これが北条の思惑と言っていいと思う。
 思えば政子(小池栄子)が頼朝(大泉洋)に嫁いだことで血縁関係が生まれた源氏と北条という2つの一族、これまで誅殺されたり暗殺されたりしているのは源氏だけで、北条はといえば謀反を起こした時政すら無傷なのである。小四郎(小栗旬)が毒殺されているかどうかも不明だ。時元も北条ではあるが結局は源氏だ。なので後世の人間からすると、実衣(宮澤エマ)が謀叛に関与したとしても実衣自身が厳罰に処されるのは非現実的であり、実朝(柿澤勇人)を見殺しにした時点で北条にとって「災いの火種」である公卿のような源氏は邪魔なのである。出来れば『承久記』を採用して、冤罪なのに殺したということにすれば、よりリアリティが増すと思うし、『吾妻鏡』を採用するなら時元が以前に漏らしていた実朝との差や不遇さのことをもっと強調して欲しかった部分もある。ということで時元を殺したのは結果ではなく、元々殺すつもりだったので小四郎の狙い通りになったという点では、虚実はまあ一致しているとも言える。
 本作でのもう一つの狙いは、北条一族である実衣を殺すことではなく、政子を”尼将軍”に据えることである。実衣を厳罰にすると主張する小四郎と、遅ればせながら出家した広元(栗原英雄)の思惑は、政子を名実共に鎌倉殿にすることであるが、姉にも責任を負わせたい小四郎と、あくまで政子推しの広元の利害一致の共同作業というより他はない。

 「私が鎌倉殿の代わりになりましょう」と政子に言わせたことで、やっと2人の思惑通りになったのだ。
 「姉上にしては珍しい。随分と前に出るではないですか。」と皮肉を言いながら嬉しそうな小四郎は、『草燃える』で、地頭の撤退を要求する朝廷への怒りが、実朝の死で打ちひしがれていた政子を元気にさせたことにしめしめと喜ぶ松平版の小四郎をつい思い出す。

実衣に該当する政子の妹、北条保子(真野響子)

しかしやはり妹を助けるために”将軍になった女”というのはちょっと苦しい設定ではないのか?確かに静御前を庇ったり、頼家の遺族を援助するなど人格者の面や求心力があことはその通りだとは思うが、権力欲が全くないというのはおかしいと思う。美化し過ぎである。ここも源氏を下げて北条を上げるところが『吾妻鏡』の芸風なのだが、三谷までその芸風を真似てわざわざ政子を奉るために実衣を下げなくてもいいではないか?せっかく皮肉屋で観察眼が鋭いという設定なのにあそこまで政治センスが悪いように描くのはどうかと思う。姉にズケズケ言うところは両作品とも同じなのだが…
 何話にわたって同じようなことを主張するのも申し訳ないが、同一人物に当たる『草燃える』での政子の妹、阿波局(役名は保子で真野響子が演じている)に対してはリスペクトがあった。進んで権力闘争に参戦するもっとスケールの大きい悪人で政治センスもあった。
 「私は阿波局よ」と誇るように自分の肩書きも気に入っていた。
『吾妻鏡』や『草燃える』では北条に都合の悪いことこの上ない景時(江原真二郎)を葬るアシストを行なっている(『鎌倉殿の13人』では同じことを行いながら踊らされているだけ)し、夫が比企に誅殺され、自分が引き渡されそうになると千幡(実朝)を盾にとってでも逃げおおせるし、比企の乱の直後にも、時政の妻牧の方に悪意があるから、時政邸に置いておいては実朝の身が危険であると政子に告げて、時政邸から引き取らせたり、あと全くの創作だが、実朝と引き離そうとする御台所の乳母を撃退したり、縦横無尽の大活躍である。和歌に理解があるわけではないが、実朝(篠田三郎)とも上手くやっていた。
 「俺と局の仲じゃないか」と実朝に頼み込まれれば
 「御所はお優しいからお泣きにならないでくださいね」と事実は教えてあげている。自分に入ってこない情報はおしゃべりな乳母から引き出すわけで、なんだかんだお互いを利用した、意外にウインウインの関係だったのだ。

 著『史伝北条義時』の山本みなみも、阿波局は北条氏の躍進を支えた人物のひとりとして評価することができると認めている。以上のことを考えれば、時元を鎌倉殿に望んだために罠にはまってしまうなど見たくもないし正直幻滅する。ポンコツにされている五郎(瀬戸康史)にも同じことを言えるのだが、五郎の代名詞である蹴鞠での活躍だけは奪われていないのでまだマシと言えるかもしれない。

 原作者の永井路子も『草燃える』のガイドブックに”実朝の乳母になっているのが政子の妹だなどということを『吾妻鏡』のなかではじめて発見したとき、この阿波局こそ見直さなくては、と感じました”と明かしている。だから原作の一つで連作短編『炎環』の主人公の1人に据えているわけで、むしろ政子の方が主人公なのに平凡に描かれていてどちらかと言うと下げられてすらいるのだ。いや主人公だからこそ北条の陰謀や策謀からは遠ざけられておりピカレスクものでの表の主人公の政子の扱いは難しかったのだろうと思う。善人とも言いがたいが陰謀劇に巻き込まれるだけで本人だけ蚊帳の外におかれていることが多く中途半端な状態に置かれていた。いつも感情で行動し愚かな女性に描かれているようにも見えるが、実は求心力があり政治センスもあるようにも描かれ、この矛盾にやや無理があるのではないかとも思っていた。名目上とはいえ尼御台の命で頼家を誅殺したことに関していくらなんでも本人だけは知らなかったはないと思う。

 やはりピカレスクものでも名目上の主人公を悪人には出来ないという大河ドラマの制約だったのだろうか?これが『草燃える』と言う作品の限界とはいいたくはないが、それでもやはり大女優岩下志麻の貫禄は違う。俗世の姿より尼姿の方が美しかった。この政子は確かに陰謀や策謀からは遠ざけられてはいるが、逆に藤原兼子との会見や大演説の成功などは決してスルーなどされずむしろ強調されている。また策謀などとは無縁ではあるが朝廷への怒りを露わにする好戦的なところは決して隠させないし後妻打ちなどスルーどころか肯定的にすら描かれているところには好感が持てた。
 それに頼家(郷ひろみ)と側室の若狭局(白都真里)が佇んでいるところに乗り込んでいく場面などまるでゴジラ上陸を思わせるようであった。好戦性を肯定的に描かれるのは岩下志麻だからこそ実現できたことである。

 もし今年の大河ドラマが鎌倉時代でなければ、ここまで登場人物の格差に文句は言わなかったと思う。戦国時代や幕末であれば、今年はある人物へのリスペクトが感じられなくても、いつでも別の視点でリスペクトされる機会などいくらでもあるだろうと目くじらを立てることもなかっただろう。しかし源平でもない鎌倉時代なのだ。少なくとも筆者が生きてるうちは次の機会は巡ってこない、と思う。だからこの程度の目くじらは許してもらいたいものである。

補足
  「寅の年寅の月寅の刻の生まれゆえ、三寅と呼ばれている」と慈円(山寺宏
  一)に語られるとどうしても何かを思い出す。そう来年の大河ドラマの主人
  公家康である竹千代も三寅なのだ。あやかったのは来年だけではない。本作品
  で大姫(南沙良)が”葵上”を名乗ったのも、再来年の2024『光る君』にもあ
  やかっている証左だ。なお、三寅は一条能保に嫁いだ頼朝の姉妹の曽孫であ
  る。親王ではなく摂関家の一族だ。

  「その後、鎌倉から世継ぎ問題で催促があったが、上皇はのらりくらり返事を
  引き延ばした。そして相手の出方を見るつもりである要求を突き付けた。」、
  以上が『草燃える』のガイドブックから抜粋したものだ。『鎌倉殿』では幕府
  がわざと朝廷を怒らせ新王の要請を断らせるのが作戦だったというのは三谷の
  新解釈だが、官位を与えられている実朝が殺されているのに幕府の方から何も
  なかったように朝廷に催促する方がおかしいと思ったのだろう。

  「慈円が極秘に鎌倉へやって来る」、極秘ということはつまり創作である。三
  寅(後の藤原頼経)の下向に関しては『草燃える』は『吾妻鏡』とさほど変え
  ておらず、朝廷から派遣された藤原忠綱が下向して摂津国、長江倉橋の2つの
  荘園に関して地頭を解任するように要求してきたが、『鎌倉殿』はそこをナレ
  で割愛し、代わりに視聴者に人気の慈円が極秘に下向したことになっている。
   後鳥羽(尾上松也)に三寅は慈円の身内と言われて忘れたことを思い出
  す。慈円は兼実(田中直樹)の実弟だった。だからこういう創作だったのか
  と改めて実感する。

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