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逆に思い切りの良い男は?

 『吾妻鏡』では頼家が病床に能員を招き、もちかけられていた時政の追討を許諾し、さらにこの密談を政子が障子を隔てて聞いていたことになっている。今やこの内容を本気で信じている者はどの位いるのかが疑問だが、同じ時代を描いた『鎌倉殿の13人』も『草燃える』もこの部分は採用していないのだ。

 ただ厳密に言えば、この「盗み聞き」を全て採用しなかったわけではない。 『鎌倉殿の13人』でも「盗み聞き」が行われてはいるが、主語が変わっている。 「盗み聞き」をしたのは、小四郎(小栗旬)から実家である比企の情勢を探るように言われていた比奈(堀田真由)であり、されたのは能員(佐藤二朗)は同じだが、もう一人は頼家(金子大地)ではなく、平六(山本耕史)なのだ。

『草燃える』での小四郎の妻(坂口良子)は、夫(松平健)に言われたように比企邸に里帰りの名目でご機嫌伺いに立ち寄る。鎌倉殿の病状を話題にしながら時政(金田龍之介)が供養のための薬師寺如来を仏師に刻ませていることも何気なく話した。能員の妻重子(横山道代)は彼女が何のために来たのかいぶかしんではいるが聞くに聞けないので流すしかない。『鎌倉殿の13人』でのスパイ作戦の経緯は、比奈の方から申し出ている。「そうしてもらえると助かる。今は比企のことはどんなことでも知っておきたいのだ。」と小四郎は一応は比奈にスパイをさせていることは明かしているが、『草燃える』での小四郎は、そのことを隠してスパイをさせていたのだ。

 「そなた、比企へ遊びに行かぬか?ぶらりと比企へご機嫌を伺いに。しばらく帰っていないのだろう?帰ってこい。ゆっくりとな。ただ遊びに行けばいいのだ。」 
「では、私に比企の様子をさぐってこいと?」
 「勘ぐりすぎだな。そなたはどうも。今までのように何もなかったような顔で比企能員殿のご機嫌を伺ってくればよいのだよ。」

結果的には比企の滅亡に至ったことでスパイ作戦は両作品とも成功しているわけなのだが、妻に「お任せください」と言わせてスパイに赴かせるのと、事実を隠してスパイに赴かせるのとどちらがよりタチが悪いのかは視聴者の主観に任せているのだろう。

比企能員(佐藤慶)by『草燃える』

 能員を討ち取るに至る経緯も微妙に違いがある。
 頼家が危篤状態になると、『吾妻鏡』では、建仁3年(1203年)8月27日に時政が頼家の遺領分与を決定したことで、関東28ヵ国地頭職と日本国総守護職を一幡に、関西38ヵ国地頭職と日本総守護職を千幡に相続することになった。
 『草燃える』ではこの分割案は採用されなかった。その代わりに仏事の相談があるとして、能員(佐藤慶)を時政邸に呼び寄せる設定を採用する。

建仁3年(1203)9月1日、時政の方から頼家(郷ひろみ)の回復のために薬師寺如来を彫らせているのでせめて供養だけはしたい、ぜひご列席というような趣旨で誘ってきた。『草燃える』の能員は時政がもう(頼家は)助からないと分かって、一幡が跡取りになると観念しこちらと仲良くした方が向こうだって都合がいいのだろうと思ってしまったのだ。確かに千幡より直系の一幡の方が優位だと思うのは分かるが、随分と都合のいい解釈だ。あくまで頼家の直系というだけのアドバンテージで、千幡も故将軍家の直系だということも忘れているのだろう。舞い上がっているのだから。一族にも危険だと引き留められるが、かえって疑いを招くと言って、丸腰でしかも白い水干の礼装で向かってしまうのだ。

 建仁3年(1203)9月2日能員が時政邸の持仏堂に入ると武装した御家人たちが待ち構えていてた。時政の無言の命令で仁田忠常(中田譲治)に体ごと刺し貫かれる。白い水干が血に染まり能員の断末魔が響く。
 「はかったな。時政。」時政は無表情のままだ。忠常は返り血を浴びている。

 惨劇の最中、持仏堂では多くの宿老が同席しているが、巻き込まれたくない広元(岸田森)は、退席しようとするが時政はそうはさせない。大官令が同席しているのとしていないのでは全く違うと。

 そのころ比企邸は小四郎と平六(藤岡弘、)の指揮の下で北条や三浦や和田の軍勢に攻め込まれ、館にも火がかけられている。頼家の側近で能員の息子たちも防戦するが、力尽きる。
 指揮は小四郎や平六だが、実行部隊は五郎(森田順平)や平六の弟(柴俊夫)だ。五郎は容赦がなく笑いながら若狭局(せつのこと)の兄弟に手をかける。北条らしい五郎に比べると、平六の弟は三浦らしくないので、
「一緒に蹴鞠をした仲間じゃないか!」と良心に訴えられ躊躇するが、三浦らしい兄の
平六に「討つのだ、平九郎。」と促され、泣く泣くかつて仲間だった比企一族の一人を討ち果たす。

そして追い詰められた女たちに向かって小四郎がゆっくりと歩み寄り両手を開いた。
「一幡君をこれへ。女たちの命はお助け申す。一幡君をこれへ」
重子も若狭(白都真理)も一幡を渡すわけがない。
「恨みますぞえ。北条殿。尼御台に申してくだされ。私たちの霊魂はそなたたちに災いを
しましょうぞ。末代までも呪いましょうぞ。覚えていなされ。」
重子、若狭、一幡を抱いて炎の中に散った。

鮮やかなクーデターだったが誤算があった。
頼家の脈が正常になったのだ。
口から漏れた言葉は「わ・か・さ」

小四郎は陰謀の後のことを考えている。
「お亡くなりになってからでは遅いのだ。今のうちに京に使者を走らせ早めに既成事実を。千幡君を征夷大将軍に任じる宣旨と従五位下に叙すると発表する必要があるのです。
よろしいですね?そのように取り計らうので姉上もご承諾頂けますね?」
小四郎の冷徹さと行動力を今さら目の当たりにして呆然としながら
「頼家の命は死んだと同じことかもしれない」と陰謀に流されていく。

そして比企邸には頼家危篤の知らせが入った。
能員は時政に直談判しようといきまいてねじ込んできた。以外にも時政は招きたかったような態度に出た。頼家の容態がはかばかしくないことを伝えながら今迎えの輿を用意をさせていることも、また筋道を立てて若狭と一幡をお世継ぎと御台所の扱いで輿を立てるとまで持ち上げてきた。能員は舞い上がった。

 三谷幸喜も『草燃える』の比企能員があまりにポンコツなことに納得がいかなかったのか、能員の北条へのせめてもの抵抗の表現を試みたらしい。一幡が必ずしも優位ではないことを能員自身に理解してもらうために、『草燃える』では全く登場していなかった公卿の母が正室だったという設定を設けたり、北条の敵役に徹底させたり苦肉の策を講じていたようにも思う。

 『鎌倉殿の13人』では例の関東28ヵ国と関西38ヵ国の分割案を採用し、提案をしたのも小四郎ということになっているのだが、この分割案を

 「鎌倉殿は一幡様ただお一人」と能員に拒否されたことで、小四郎は
 「拒んだのは向こうでござる。これで比企を滅ぼす大義名分がたった。」と

 そして一幡の命だけは助けてほしいという姉政子(小池栄子)には真顔で「誓います」と約束しながら泰時(坂口健太郎)には「生きていれば必ず災いの種になる。母親ともども…頼朝様ならそうされていた。」と真逆なことを促す。

 そうは言いながら小四郎は比企を好んで討伐したかったわけではない。ギリギリまで比企との共存を望んでいた。だから時政も息子が共存を望んでいたことを察し、「おめえも諦めの悪い男だな。」と「最後の機会」を引き受ける。

 『鎌倉殿の13人』で、この「最後の機会」を設けたことで時政と能員のマシな対峙にはなったのだろう。かつて頼朝の挙兵を見送ってしまったことを後悔し踏み切った時政を素直に認めるのだ。だがお互いが分かっているようにリスペクトはそこまでで、「最後の機会」は和議は幻だと確認するための手続きだったことを思い知る。

建仁3年(1203)9月2日
時政の方から和議を申し込んで来た。妻の道(堀内敬子)が鎧を用意しようとすると、
「丸腰で行く。肝のすわったところを見せてやる。」とつい見栄を張ってしまい、そのまま比企館を後にする。

この後は『草燃える』と同じで武装した時政が待ち構えていた。
 「待っておったぞ能員。」
だが『鎌倉殿の13人』の能員は『草燃える』の能員のようなポンコツではない。
ありとあらゆる手法を駆使して逃れようとする。

「こちらに付け、損はないぞ。」と接触し味方に付けたと踏んだからこそ北条の誘いに乗ったのだが、その平六は「三浦を見くびってもらっちゃ困るな」と比奈の盗み聞きのおかげで既に筒抜けになっていた。
「比企能員、謀叛の罪で討ち取る」ー『草燃える』での能員の誅殺は時政の無言の命令で行われるが、『鎌倉殿の13人』では無言はなく小四郎自身の命で行われる。
手を下すのは『吾妻鏡』に即して両作品とも仁田忠常だ。
それでも能員は逃げる。忠常は背中を斬るが、さらに逃げる。

忠常は斬った手答えがないことを気づく。鎧を着込んでいたのだ。ここで能員が広常事件の時も鎧を着込んでいた設定が伏線だったことを視聴者は改めて気づくのだ。

 「諦めの悪い男」である能員は、意外にも命乞いはせずに、最期まで捨て台詞を吐くのだ。北条は(頼朝の)挙兵に加わり、比企が二の足を踏んだ思い切りの悪さが命運を分けたと謳う時政に
 「北条が選ばぬだけのこと。そのおぞましい悪名は永劫消えまいぞ。」の言葉を残す。
「やれ」と命じたのは小四郎、トドメを刺したのは忠常。

 比企の館の急襲はあっけなく炎上の場面もない。『草燃える』では能員の誅殺の指揮は時政で、一幡や一族の誅殺の指揮は小四郎が指揮を取っていたが、『鎌倉殿の13人』での能員の誅殺の指揮が曖昧になっていた。命ずるのは小四郎だが、時政は実行部隊の指揮者のようになっている。なので比企の館の襲撃の指揮者は泰時になり一幡をどうするかもあやふやになっているが、一幡の去就には諸説あるのであえてそうしたのだろう。
 せつ(山谷花純)を斬殺したのはトウ(山本千尋)だが、殺し損ねたトウを引き抜いたのは善児(梶原善)だ。善児は自分が殺しづらい相手を引き抜いたトウにやらせるために育てたようにも見えた。理由があってのことだとは思うが、本作品の女性には実名は創るが役職等は明記されないことが多い。頼家の側室でかつ一幡の母は、最期まで『吾妻鏡』での名称である「若狭局」すら明記されない。 それでもせつは一幡を護ろうと短刀を手にして泰時に立ち向かう意思のある女性として描かれるように、僅かだが三谷のリスペクトは感じる。  
 だがせつの兄弟たちが殺されるシーンは省略され、五郎(瀬戸康史)が殺戮するシーンもなく、小四郎への報告に終始するのみだった。             

 頼家の回復と出家について触れておくと、『吾妻鏡』も『草燃える』も『鎌倉殿の13人』も、いずれも三者三様だ。『吾妻鏡』では建仁3年(1203)9月5日条に頼家は病気が回復し、かろうじて命を長らえ、同日に比企が滅亡したことを知り、憤るが、9月7日条に出家させられる。
 『草燃える』では頼家の容態が戻ったのは建仁3年(1203)9月3日条、『吾妻鏡』より2日早く回復したことになっている。だが回復していくいくにつれ周囲がおかしいことに気がつき憤り爆発することは『吾妻鏡』と同じだ。そして母から既に将軍家は千幡が継ぐことになっていると伝えられても、「いや違う。鎌倉に届くまでは俺が将軍だ。今のうちにこの鎌倉を焼き払ってやる。」と跋扈するが、頼家の抵抗は虚しく、9月7日条に頼家は強制的に出家させられる。変更は回復日が2日間延長されたのみで、他はほぼ『吾妻鏡』と踏襲している。

 『鎌倉殿の13人』は『草燃える』と違い、『吾妻鏡』による頼家の容態が戻った日を変えているわけではない。にもかかわらずイメージがガラッと変わる印象を受けるのは何故なのか?それは本作品では8月末日に容体の戻らぬ頼家を北条家が勝手に出家させていたからである。だから頼家は『吾妻鏡』と同じ日である9月3日に意識が戻り、思わず頭に触れたことで自分が出家されられていたことを悟るのだ。
 
 さて「諦めの悪い男」という副題の件に移るが、最近の傾向とはいえ、ダブルミーニングどころではなく、逆に「思い切りの良い男」なんてどこにいるんだよ。という話だ。
 丸腰だと言い張り鎧を着込む能員といい、「これで比企を滅ぼす大義名分がたった。」と言いながら比企との共存をギリギリまで引っ張ってしまう小四郎や、偽書状をたとえ小四郎に捨てられてもまるで現在の技術があるごとく大量に復元させる平六や、故人でありながら今でも弟を呪縛から解放することのない三郎宗時、そして黄泉から蘇った頼家が、「諦めの悪い男」なのだが、その一方、本作品で唯一「思い切りの良い男」は時政なのである。
「その思い切りの悪さがわしらの命運を分けたんじゃ。北条は挙兵に加わり二の足を踏んだ。」という台詞がそれを物語っているが、初回から今まで一番変わらない人物は時政であり、一族と所領が一番だと言い切るあたり、一貫性だけは残っているのだ。


北条小四郎義時(松平健)と伊東十郎佑之(滝田栄)by『草燃える』

   その父に比べると小四郎はある意味矛盾の塊なのである。
 能員が朝廷の許しを得て一幡を鎌倉殿の座に付けようとすると
 「鎌倉殿は亡くなると決まったわけではありません。」と指摘する。しかし北条だって同じようなことをして実朝を鎌倉殿の座に付けてしまうではないか。

 それに「そこまでして北条の世をつくりたいのですか?」と比企を滅ぼすために比奈を利用していることを泰時に咎められると、「当たり前だ」と返し、兄が残した「北条がてっぺんに立つ」 という言葉が戻ってくるが、それは
 「鎌倉あってこそ北条」と父に言っていたことの反復だろうか?

 思い出すのはほぼ同じ時期に『草燃える』の小四郎が高らかに宣言したことである。かつての親友でありながら生涯対峙し続ける伊東十郎佑之(滝田栄)に

「何があるべき姿だ。梶原景時、比企能員、仁田忠常、同じ御家人殺し会いがあるべき姿だと?20年前俺たち平家の軍勢を打ち破り坂東武者のためにつくりあげた鎌倉の姿はこれだったのかよ。」
と問い詰められるが、次のように返す。

「十郎、俺にはようやくわかってきたのだ。そもそもあの旗揚げは何のためだったのか?なぜわぬしら平家側と戦わなければならなかったのか?好きな女の親や一族を敵に回してなぜ戦をせねばならなかったのか?今になって兄貴が考えていたことがわかってきた。旗揚げの意味がはっきりしてきた。兄貴が佐殿をかつぎだしたのはただ単に忠誠を誓ったからじゃない。あの戦は源氏のためではない。あれは源氏の旗揚げではなかった。俺たち坂東武者の旗揚げだったのだ。俺たちが自らの足で坂東の地に立ったのは必要な戦だったんだ。そのために佐殿を武家の棟梁として担ぎ出したのだ。あくまでも源氏は借り物。」と。

さらに続ける
「そうだ。借り物。俺たちが主体なのだ。この坂東の土に生きる武者が主体の戦だったのだ。」

「確かに先の御所が生きておわす間はこの鎌倉は源氏が持っていたかもしれん。だが今は違う。この鎌倉を制覇するのは源氏ではなく俺たち坂東武者自身なのだ。俺たちの中で最も力がある者が鎌倉を治める。」

「倒さなければ倒される。力がこの鎌倉を制するのだ。その渦中にいる以上、俺は死力を尽くして戦うぞ。武士にとって力は正義だ。」
 
怪物に変貌していく小四郎を目の当たりにした十郎は絶句するしかなかった...

『草燃える』の小四郎は、普段は本心を明かすことはない一方、視聴者(十郎)には明かしてくれる傾向がある。だが『鎌倉殿の13人』の小四郎は今の所本心を明かす形跡がないので判断がしにくい。できたら読解力のない筆者にももう少しヒントをくれたらありがたいのだが…

補足
  『草燃える』の比企能員を演じているのは佐藤慶、『鎌倉殿の13人』の比企能員を演じているのは佐藤二朗、言わばダブル佐藤である。
  佐藤慶は時政役である金田龍之介の引き立て役をやらされていてほとんどいいところがない。
 二人とも悪役俳優としてならし佐藤は大河ドラマ出演13回、明智光秀、武田信玄、
坂上田村麻呂、新井白石を演じ、金田は10回、土岐頼芸、隆光、毛利敬親、天海大僧正などを演じている。
 本来佐藤は巨悪や、主人公に立ちはだかる宿敵を魅力的に演じているが、能員は北条に全然立ちはだかってないし全くかなわない。本当に損な役回りだった。ちなみに遺作は『カイジ 人生逆転ゲーム』だった。
 尚、比企能員は史実では比企尼(頼朝の乳母、伊豆で20年間仕送りしていた)の甥で猶子だが『草燃える』ではなぜか婿養子になっている。それでいつもつるしあげをされている理由の設定なのだろうか...
 そういうこともあって妻の重子の方が存在感があった。
「恨みますぞえ、北条殿...」の最後の台詞はそこらの辞世よりはるかに記憶に残る。
 『鎌倉殿の13人』での能員の妻、道を演じる堀内敬子にも存在感があった。あの小狡い夫が焚き付けた範頼(迫田孝也)を擁護しそうな時に全力で阻止し、最期は娘を逃げ延びさせようと身を投じる。普段演じる役と違い激しい役だった。
 尚、『愚管抄』によると能員は阿波国の出身らしい。
 そういえば
 「お前さんは坂東生まれじゃねえから分からねえだろうが坂東武者ってのはな、勝つためには何でもするんだ。名前に傷がつくぐれえへでもねえのさ。」
 という時政の台詞にもあった。

 建仁3年(1203)7月25日条京都で修行中だった全成の子、頼全が父の陰謀に加担したという疑いで源仲章(生田斗真)の手引きで誅殺された。このことは『吾妻鏡』にも残っていたのに、『草燃える』での頼全の誅殺について源仲章のことは取り上げられなかったのだ。それがあるとないとでは18年後の事件に関しても全く違ってくるではないか。
 「すぐにでも比企を攻め滅ぼしてください。首を刎ねて大きい順に並べるの。」
 「全成を殺し、頼全を殺した比企は全滅して当然よ。」
前者の台詞は『鎌倉殿の13人』で後者は『草燃える』だが、どちらも全成の妻である。
「誰も恨んではいけないよ」の全成の生前の言葉が虚しく響くのだ。

          



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