見出し画像

タイトル回収

 家康が『吾妻鏡』の愛読者であることは、ある程度知れ渡っているが、まさか最終回の冒頭で、次回作の主人公がこのような形に登場するとは思いもしなかった。
 実は筆者もそれに近いようなことは想像していた。『青天を衝け』の家康、つまり北大路欣也が『鎌倉殿の13人』の中盤くらいにゲストナビゲーターとして、しれっと登場し、

 「こんにちは、徳川家康です。実は私、『吾妻鏡』の愛読者なんですー。」とか言って視聴者を振り回すのかなと思っていたら、逆だった。確かに前作の登場人物が今さら姿を晒すより、次回作の主人公が最終回にバトンを受け取る方がはるかに、すわりがいいだろう。
 そういえば松本潤も、三谷幸喜の過去作『わが家の歴史』という近現代史に登場し義時に該当する義男を演じていたのも偶然ではない。

 最後のイベントだというのに、承久の乱は、放送開始から20分も待たずに終了してしまった。藤原秀康(星智也)も処刑されることもなく、平九郎(岸田タツヤ)が自害するシーンもなくその息子たちが処刑されるシーンもなく唐突に終わった。承久の乱で武功を挙げたはずの朝時(西本たける)もその場面はない。「じじい、うるせえんだよ」は良かったが、武功の代わりだとすればそれはあんまりだなとは思う。
 『草燃える』では尾上辰之助演じる後鳥羽は、最後まで人非人であり続け、劣勢になればなるで開き直り、平九郎(柴俊夫)や朝盛(氏家修)に姿を現すことなく切り捨て、見苦しい後鳥羽に悪態をつく愛妾をも側近たちに斬殺させる。隠岐島に遠島される時も憎々しいほど清々しかった。松也版はその逆だ。秀康たちを見捨てることも躊躇し、「私は武芸にも通じておるわ!」と御簾を突き破って出陣する気負いは見せるるものの、結局は卿二位兼子(シルビア・グラブ)に思いとどまさせらせ、罪人として隠岐島に流される。しかも急に姿を表した文覚(市川猿之助)に頭をかじられるというオチもつく。残酷さもなく人非人でもなく清々しさもなく人間らしかった。それにしても新平家物語では清盛と年齢が近い設定だったはずなのに、実際は生没年未詳なのでやはり文覚は自由度が高い。
 壇ノ浦と同じというわけではないにしろ、承久の乱が最終回のメインメニューではないことをつくづく思い知らされる。
 ただ『草燃える』では大演説の露払いにさせられていた京に攻め込む発案を広元(栗原英雄)と康信(小林隆)がきちんと出したことは良かった。こちらの方が正しい。承久の乱の直後に没する康信のナレ死は省略されたが、「老骨にムチ打って参りました」と棺桶に片足を突っ込みながらの主戦論の展開は、明らかに『草燃える』の「一刻も早く出陣すべきです」のオマージュで、きっと華々しい最期のようなものだったのだろう。
 それに多数の意見だとは思うが鶴丸(きづき)が生きていたことはホッとした。平盛綱となった鶴丸も生没年未詳なので殺したらさすがに鬼と思われるだろうが、子供時代に八重に助けられたのは川だったが、生還した場所はやはり宇治川だった。

 第45話「八幡宮の階段」が退場だと思っていたトウ(山本千尋)がなんと最終回まで完走していた。
 「鬱屈と恩愛の狭間で生きる」暗殺を生業にする戦災孤児トウは『草燃える』で松坂慶子が演じる小夜菊のオマージュである。養父の目を潰した小四郎(松平健)への復讐と憎悪だけを原動力にして生きる小夜菊はトウの合わせ鏡。平九郎たちを斬り捨てる後鳥羽を罵る小夜菊は側近に斬殺されるが、両親の敵であり師でもある善児(梶原善)を殺すことで復讐を果たし、暗殺に失敗し脱出し思わぬことで御所に辿り着き、実朝(柿澤勇人)を失った政子(小池栄子)の自害を阻止することになり、生きていてはじめて命を与える側になるのだ。『草燃える』の茜と小夜菊、『鎌倉殿』の八重とトウ、茜は壇ノ浦に沈み、八重(新垣結衣)も川に沈むが鶴丸の命を救う。
 小夜菊は承久の乱で壮絶な死を遂げるが、トウは実朝を失った政子の命を救う。今度は政子がボスになると、戦災孤児たちの護身のための武術の師となる。小四郎(小栗旬)がいなくなれば自分の命の恩人である女性に人を殺させたくないという気持ちもあったのではないか?
 「武芸を教えてあげてほしい、どうせ戦のない世の中になったらあなたもひまになるでしょ」と。
 だが政子は知るまい。兄の敵である善児を殺したのはトウである一方、息子の頼家にトドメを刺しているのも彼女だということも。政子の寿命が尽きるのも遠くないことを考えれば決して知ることはないだろう。本人が告白しない限り。

 「平六(山本耕史)はイアーゴだった」と三谷は公式サイトで何度も語っていた。
 小四郎は何度も裏切られた意趣返しに、「お前は今、一度死んだ」と「裏切る平六」を殺した。
 「この先太郎を助けてやってくれ」と言われ
 「まだ俺を信じるのか」と言いながら「これからも北条は三浦が支える」とも言う。
  これは、小四郎の死後での北条と三浦の未来を暗示した会話でもある。
 平六は、小四郎の死後に再び裏切る。自分の息子政村に家督を継がせるために、先妻の息子泰時(坂口健太郎)を廃嫡させることを目論むのえ(菊地凛子)と烏帽子親である平六は組むが、謀反が発覚し、それを政子が阻止し、のえを島流しにするのだ。しかしのえの謀反は冤罪であると告発するのは泰時自身なのだ。平六は長命だ。1239年まで長らえ、その3年後には泰時は寿命を終え、その5年後に宝治合戦は勃発し三浦は滅亡する。
「御成敗式目制定により泰時が政治を行う間は鎌倉では御家人の粛清は一切起こらない」つまり泰時の死の5年後のことも暗示しているのだ。結局は平六は死ぬまで裏切りはするがつっかえ棒として支えてもいる。
「いつかお前を超えてやる」は「とうとう俺ははわぬしを追い抜くぞ」のオマージュだが、藤岡弘、版の平六は決して本心を明かさない。乾いているからだ。

 本稿のタイトルに据えたように、タイトル回収こそがこの作品のキモだ。
 タイトルの「13人」は、頼朝死後に発足した「十三人の合議制」を構成した御家人を指していると視聴者に思わせていたが、実はそうではなく、頼朝死後に粛清された”13人”だったのだ。最終回が終わったことで、その話は盛り上がっているが、疑問点も多い。この13人は小四郎に粛清された人々だと多くの人に思われているようだが、 果たしてどうなのか?まず全成(新納慎也)を殺すように命じたのは頼家(金子大地)で小四郎ではない。それに実朝暗殺も小四郎が関与していたことは政子にバレていないはずだ。小四郎と政子が定義していると思われる「13人」は、必ずしも小四郎に粛清された人々だと限定しているわけではない。実朝は病死ではないけれど、小四郎に粛清されたとは思っているわけではないだろう。
 もし限定しているのだとすれば、頼家のこと以上に、政子は実朝がなぜ殺されたのか改めて小四郎を問い詰めるはずだからだ。政子の見解では北条に粛清された者もいれば北条以外の者に殺された者(全成、実朝)もいるということではないか?
 一番疑問に思われているのは一幡のことである。もし小四郎が恣意的に一幡をカウントしなかったのなら、頼家もカウントしないはずなのではないか?それとも一幡のことは念頭になかったのか。
 本当に『鎌倉殿の13人』は、(実質的な)鎌倉殿(が粛清した)の13人なのか?
 ごまかされた印象も受ける。

 ラストシーンは義時と政子の会話になるということは、既に三谷本人が文藝春秋等で幾度も宣伝している以上、小四郎を手にかけるのは政子なのだなと皆薄々わかっていたはずだ。しかも政子が視聴者に悪く思われない形で、おそらく手にかけるというよりは介錯に近いのだろうことを意味している。
 このラストを想像するに、ある小説が思い浮かんだ。ア行から始まる名前のベストセラー作家が鎌倉幕府について描かれた2つの作品、1冊目は頼朝の死で幕を下ろす作品で、2冊目はその姉妹編というか続編で、義時の死で終わる作品だが、いずれも主人公である政子が手にかけているのだ。そしてやはり政子のイメージを悪くしない描き方なので、ここまで書いてしまえば著者の名前はバレてしまうとは思うが。一応はネタバレに配慮してみた。

 このラストは前話との対比であり、弟に命を与え奪うという最古の女神という称号を政子に付与している格好になり少しやり過ぎたと思ったのかもしれない。
 政子のイメージを悪くさせまいと気を使う一方、弟がこれ以上罪を重ねないためだけの行為だと、美化し過ぎてしまうのではと懸念を感じたのかバランスを取ったのだろう。そこで政子が頼家の死因を知らないことを思いついたのか、悪く言えば姑息だ。

運慶(相島一之)は琵琶法師の代用だったのか?
 『草燃える』のラストシーンで、琵琶法師となって小四郎の前で「平家物語」を語り継ぐ架空の人物伊東十郎佑之(滝田栄)の姿が今も目に焼き付いている。そしてそれに該当するのは誰なのか、この1年間そのこだわりを捨てきれなかった。最初は小四郎の兄三郎(片岡愛之助)を殺した善児が最後に琵琶法師となって小四郎の前に姿を現すのではないかと思わされてきたが、考えてみれば善児が小四郎に意見を言うことなど無理な話なので、途中で断念したところ結局は運慶に辿り着いたという話だ。
 当初は芸術家である運慶の存在は、鎌倉幕府というスポンサーがあってのことと思っていたので、まさか十郎になるとは想像だにしなかった。だが次第に小四郎が冷酷な謀略家(本編ではそうでもないと思うけど)に変貌するにつれ、フィクションとはいえ運慶も反比例のように叛逆のアーティストにとして開花を遂げる。
 第45話「八幡宮の階段」の末尾で「偉くなったなあ」と運慶が呟いたときには思わず、なんだ…『草燃える』の十郎は善児でもトウでもなかった。運慶だったのか?と思わず言いたくなった。
  確かに運慶の言ってることは『火の鳥鳳凰編』の我王に近いし、運慶と小四郎は我王と茜丸のようにも見える。

 これこそが小四郎なのだと運慶が彫った邪神像は架空であるが、運慶を捕らえた小四郎がどう出るか固唾を呑んで見守った。小四郎が側近に十郎の眼を潰せと命じるように、あるいは茜丸が役人に我王の残った片腕を切り落とせと命じるように…。
 だがそうはならなかった。自ら斬ろうとするが既に寿命が尽きそうな小四郎には無理だった。とはいえ運慶の没年月日は1224年1月3日、小四郎の没年月日より約半年早い。
 連行された運慶はどうなったのかそれは気になるところだ。本編の運慶はピカソを連想するような趣になっている。邪神像などまるでゲルニカそのもので反戦芸術家にも思えるがちょっと眩しすぎる。運慶が成功者だということにやっぱり引っかかるのだ。運慶も我王も十郎(というより滝田栄が)も仏師であるが、本編では運慶の底辺の苦しみが描かれていない。そういえば『草燃える』のオープニング映像には運慶の仏像が鎮座ましましていることもつい思い出してしまうのだが…。

補足
   公式サイトの登場人物にはりく(宮沢りえ)が残っていることもありまだ出
  番はあるのだろうと思われているので、りくの再登場に対して別段皆驚かない
  だろう。
  「9年ほど前に亡くなりました」と泰時が伝えるように時政没後9年後、つま
  り今この時は小四郎が亡くなる1224年ということにもなるのだが、りくが実
  施する時政の派手な13回忌の場面はないことも意味している。りくが見せた時
  政への思いや意地がそれを物語っていたとも言えるのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?