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サブタイトルの二重の意味

 結局義経(菅田将暉)は故郷である平泉にも鎌倉の兄(大泉洋)にも「帰ってきた義経」となり、サブタイトルのまんまの顛末になってしまったが、本作品のサブタイトルに二重以上の意味が込められているのは今回だけではない。「許されざる嘘」も義経だけではないし、「幼なじみの絆」にも「義仲と巴」、「小四郎と八重」という二重の意味を込めていた。この二重の意味が実は本作品の主題を読み解くキーワードなのかもしれない。
 義経の話を続けると、いわゆる「源平もの」を覆すやり方は相変わらずで、『義経記』にしかないような「安宅の関」などは全面無視だが、それでも弁慶(佳久 創)の「立往生」や義経の最期の形跡だけは残す(出し惜しみはするが)。サービスの一つかもしれないが、自刃や「立往生」をあえて映さないことや、「来た道」を通るように小四郎(小栗旬)に指示したことなど、その戦略で大陸に渡った伝説が実効されていた希望だけは残すが、その反面生存説はないだろうと皆がわかるようなフラグも残す。妻子を殺したこと、小四郎に遺言を残すために時間を稼ごうと弁慶を死なせたこと、そして秀衡(田中泯)が迎えにきたことで退路を断っているからだ。その小四郎に残した鎌倉攻略案も、海から攻めるような内容で150年後の鎌倉幕府滅亡を想起させる。しかも放映日の5月22日はその日であることも出来すぎているではないか?

 堀河夜討ちから端を発した静(石橋静河)の舞や衣川の合戦での義経と妻子の最期の新解釈は意外に新鮮だった。静と妻が仲が悪いシーンを観たのも始めてだ。これまで義経の正室はあくまで”河越重頼の娘”で母方が比企だということはあまり取り上げられていなかった。『吾妻鏡』で静を持ち上げるのは比企をよく思わない北条の対抗意識だとも言われている。いわゆる「義経もの」や「源平もの」でもお互いが気を遣っている場面が多く、正直不自然にも見えた。三谷幸喜からしても男性に都合のいい妻と愛妾に描かれているように見えたのか、三谷なりの新解釈を示したのだろう。原作者の永井路子も静をレジスタンスの舞姫と評価し、最期まで連れ添った妻のことも「見事な生き方」と絶賛するように、点の辛い義経よりもむしろ彼女たちを推している。ただ静のことはともかくとして妻の最期に関しては普段は自己犠牲の美徳には懸念を押していた印象だったのにそれを一面的に肯定する永井の方に、名誉男性的な目線も感じてしまう。ということで、この点に関しては三谷に軍配を上げたい。義経自身も静が子供を救えなかったことを「あいつらしい」と責めないところも、義経と静が風来坊同士だったことを意味しているのだろう。ただ里(三浦透子)が夫に最期まで尽くしたことを美化に終わらせなかったことは注目に値するが、義経が冷静になった時点で幼い娘を殺した場面も映さなかったことには、やや逃げを感じる。それにたった1話で静の舞と衣川の合戦を盛り込んでしまったのはいくらなんでも強行軍過ぎる。源平より鎌倉幕府に重きを置いた『草燃える』でも1話分「静の舞」に取っていた(その割には衣川の合戦は回想シーンにしてしまったが)。枠の取り方以外の違いと言えば、『草燃える』では比較的『吾妻鏡』のセオリーに徹しているところだ。当初静は鶴岡八幡宮での舞は固辞し、舞の内容も省略することもなく、政子が静を弁護するところも同じくし、静の母、磯野禅師も登場し、生まれた男児を取り上げる役割も果たしてしまう。ところが『鎌倉殿の13人』の方は、「静御前の名をかたった偽物」にする新設定がある以上、静の母を出すことは出来ない。仕方がないので、静の母の役割を誰かが背負わなければならなくなり、静を守ろうとする役割は政子(小池栄子)や妹(宮澤エマ)ということになるが、男児を取り上げてしまう役割は、何を隠そうあの善児(梶原善)ということになるではないか。そして舞を固辞することなく、比企の妻(堀内敬子)が姪の里を庇いたいがために静を挑発したことで、結果的に名乗らせてしまう。「信じていただけないのなら証をご覧に入れましょう。」と己の方から舞うと主張するのだ。ただ残念なことに、

「しずやしず、しずのおだまきくりかえし、昔も今になすよしもがな」の前の
「よしのやま、みねのしらゆきふみわけて~」は省略されたことだ。

 それでも白拍子の舞を始めてダイナミックに表現されたことも 三谷にも元々静御前に思い入れがあるからだろう。自作『王様のレストラン』のヒロインの名は磯野しずかなのだ。

 「女子の覚悟です」と静を押す政子は『吾妻鏡』や『草燃える』とさほど違いがないが大姫(南沙良)はせっかく大人バージョンになっているのに、出番は少なくなっている。『草燃える』の当時は子役だった斎藤こず恵演じる大姫は、静が出産する前に逃そうとしたり父を「天罰が当たる」とまで罵倒したり、静にだけ自身の寿命は削りたいと明かすまでの大活躍だ。おそらく義高の時はさすがに『吾妻鏡』のように逃亡を企てることは出来なかったのでその分のお釣りだ。

義経(国広富之)と頼朝(石坂浩二)

 主題のまとめは、やはり頼朝の弟との別れ、そして小四郎の覚醒ということになるが、頼朝が義経の首桶に話しかけるシーンは、どうしても第9話「決戦前夜」の2人の黄瀬川での初対面エピソードで「よう来てくれた!」と義経を抱きしめ本当に涙を流す頼朝の姿だ。まだ流人であり所領も兵も無かった頼朝は小四郎に「お前はわしと坂東ならどちらを取る?」と問うたあの頃、言葉に詰まった小四郎に「とどのつまりわしは一人ということじゃ」と返す頼朝の前に天真爛漫な義経が現れたので思わずかの対面に至ったのだ。それと同時に『草燃える』の石坂浩二が義経の形見に慟哭するシーンを思い出す。もっとも『吾妻鏡』では、腰越の浦に届けられた義経の首実験をするのは、侍所別当の和田義盛(伊吹吾郎)と所司の梶原景時(江原真二郎)で『草燃える』でもそれを踏襲している。しかし義経の首は腐らないように酒漬けにされているものの既に腐り果ててただの肉塊と化していたので義盛も景時も尻込んでいたというのが実情であり、『鎌倉殿の13人』のように首桶に話しかける余裕はなかったと思われる。よって石坂版の頼朝は奥州征伐で全国制覇し、衣川の館を訪れ、義経の何本もの矢を見つけると、弟(国広富之)の最期を回想する。
 義経は燃え盛る中で妻子を手にかけ、自害する。泣き崩れる頼朝、見つめる小四郎。一段落すると平泉に在りし日の義経の館、衣川でやっと別れの挨拶を交わす。義経の形見の矢を抱きしめて、始めて涙を流すのだ。「九郎、九郎…」と慟哭するのみで語りかけることはない。大泉版に比べると、肉親にはより厳しく接することに徹底し、初対面で涙を流すのも、あくまで政治的な涙であり、それは、相手が坂東武者でも肉親でも同じであった。義経の才能に対しての嫉妬も激しかった。大泉版はそこまでの徹底さはなく、坂東武者たちへの不満もあったのか、義経との初対面の涙は演技ではなかったのだ。

衣川で慟哭する頼朝

 小四郎の闇落ちについては、おそらく『草燃える』を観ていなければ、もっと衝撃を受けただろう。
 秀衡の死で、ついに奥州征伐に乗り出すことになる頼朝の命令が下る。秀衡の息子たちの仲を裂いて義経を討ち取らせ、そこで平泉に攻め入る口実を作れと。
 「生かして連れて帰るな。災いの根を残してはならぬ。だが決し
  てじかに手を下してはならぬ。」
 「我らが攻め入る大義名分を作るのだ。勝手に九郎を討ったこと
  を理由に平泉を滅ぼす。あくどいか。あくどいのう。」
 確かに小四郎は、頼朝の命を受けて、静が産んだ男児が殺されたことをわざと義経に伝えることによって鎌倉への憎しみを増幅させ泰衡(山本浩司)が義経を襲撃するに至ったことに成功するが、それはあくまで戦術を考えただけで、義経と平泉を滅ぼす戦略を立てたのは頼朝である。本話ではまだ小四郎のパワーゲームの始まりに差しかかっただけなのだ。
 丁度静が男児を産んだ同じ時期に、松平健が演じていた小四郎の対応を思い出す。『草燃える』では小四郎が義経と奥州征伐に関わった設定はないが、それ以上の凄みがあった。静が産んだ子は男児だが、大姫は静の子は女の子と見聞し、自分以外の人間を遠ざけたが、静の母は静と自身の保身を考え小四郎に事実を伝える。小四郎はすぐに政子(岩下志麻)に伝えたが政子自身はこのことは黙ってどうにか女の子で通して助けようと言うが小四郎はそれを却下し頼朝とそっくりなことを言うのだ。

 「男の子だったんだから処刑するしかないんだ。御所(頼朝)の
  命令なんだから」
 「御所は源家の棟梁として家の乱れは鎌倉の乱れになるとそう思
  われているんだ」
 「御所は冷たいとか冷酷だとか言われるけど御所の立場になった
  ら情を殺してまで守らなければならないことがあるんだってこ
  とを、大きくなってから殺すよりも赤子のうちに息を止めてお
  いた方がずっと罪も軽いんじゃないか」
 小四郎は政子にも「あなただんだん御所に似てくるわね」と言われる。さらに「いつから冷酷になったの」と言われても「思いやりだけじゃこの世は生きていけないんだ」と返すのだ。
 結局小四郎自身が頼朝に報告し、藤九郎(武田鉄矢)が静の子を由比ヶ浜に埋めることになる。

この時点では松平版の小四郎の方が小栗版の小四郎よりはるかに怖しかった。最初の妻茜(松坂慶子)が壇ノ浦に沈んだ時にこの小四郎の魂が死んでいたこともある。
 『鎌倉殿の13人』でも『草燃える』でも頼朝は小四郎にスパルタ教育を施し、自身の実質的後継者として育てていることは間違いない。松平版の小四郎に比べれば小栗版の小四郎は善人にしか思えないし、良心の呵責も十分残っている。なので今はまだ物足りなさは感じるが、今後の闇落ちに期待している。

補足

  『吾妻鏡』にも記されているように工藤祐経(坪倉由幸)は静が舞う際には鼓
 を打つが、17話で「私が生きていく所ではない」と小四郎に告げて去ったことの
 整合生はどうなるのだろう。いつから戻ってきたのか?その答えはあと2話くら
 いでわかるのだろうか?

   静の地上の舞と秀衡(田中泯)の天上の舞は演者も同じ舞踏家ということも
  あり義経に呼応していたのだろうか?史実通り頼朝は秀衡の死の直後に奥州征
  伐に乗り出すが、生きていたら勝てないなと思わせる説得力があった。秀衡役
  はいつも大物枠だが田中泯こそベストオブ秀衡だと確信した。

   19話「果たせぬ凱旋」の堀川夜討、もう一人の黒幕行家(杉本哲太)の寂し
  いナレ死、『吾妻鏡』でも居合わせていたこともあるので、これまでその解釈
  がなかったことが逆に不思議だった。軍才は皆無だったが、アジテーター、フ
  ィクサーとしては超一流だったことは間違いないし、行家がいなければ源氏の
  旗揚げもなかっただろう。ただどう擁護しても、これまでの「散りゆく者の美
  しさ」のような描写は無理なので、ナレ死で正解だろう。三谷自身は自作の似
  たような登場人物はいるので決して嫌いではなかったと思う。

   義経の鎌倉攻略案を受け取った景時(中村獅童)、これも景時の死亡フラグ
  と言いたいが、攻略案の原本を取っておくような愚かな真似をするはずがない
  と思う反面、後世の人間のためにあえて残すのか?150年後の鎌倉幕府滅亡の
  壮大なフラグとして。

   「三浦を味方につけておく、親父ではなく息子の方だ。あいつは損得の分か
  る奴だからな。」これは義経の鎌倉攻略案の補足だが和田合戦のフラグなの
  か?それを言えば19話で義経追討で京に攻め込もうという話が出たときにも似
  たようなことがあった。義経の強さに皆が尻込んでしまい、小四郎がつい平六
  (山本耕史)にすがるような目をすると、渋々それに答える平六。
  「ここで立たねば生涯臆病者のそしり受ける。坂東武者の名折れでござる!
   違うか!」 と。
   この場面は明らかに承久の乱のフラグである。

   男児を取り上げる善児の姿に、誰もが千鶴丸のことも思い出す。生まれた子
  を取り上げるのはやはり善児なので、頼家(万寿)の子、一幡を取り上げるの
  は善児なのだろう。それに小四郎が秀衡の息子たちの仲を裂こうとしたときに
  それを阻止しようとした六男の頼衡が善児に殺されたが、普通に考えれば、そ
  の役割は義経を支持していた(知名度もある)三男の忠衡のように思えるのだ
  が、その点も疑問だ。

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