障がい児を育てる人へ~わが子の障がいを受け入れ、楽しく暮らす方法とは?
私は、重複重度の障がい児を育てる親でした。
支援学校を卒業して、福祉的就労(生活介護)に行き始めた秋に、突然亡くなりました。
そんな私の経験と、社会福祉士としての仕事の経験から、わが子の障がいを受け入れ、楽しく暮らす方法を書きます。
わが子の障がいを受け入れるには、誰でも、5つのプロセスが必要
ちょっと言葉が遅かったり、歩き始めるのが遅かったり、髪の毛がなかなか生えてこなかったり・・・、そんな小さなことでも気になるのが親心。
ましてや、「障がいがある」と医師等から言われた日には、その場でトンネルに落ち、もう二度と以前の人生にはもどれない絶望感に打ちひしがれる・・・。
「朝、目がさめたら、ただの夢だったらいいのに!」。
何度も何度も、そう思う。
私も苦しみました。
苦しみ、考え、ちょっと楽になり、また苦しみ、考え、ちょっと楽になり、そして、
「うちの子、重度の障がい児だけど、なにか?」とまで思えるようになりました。
キューブラー・ロスという心理学者は、死の宣告を受けた患者が最終的に死を受容するのに至るまでのプロセスを5段階で示しました。
キューブラー博士は死の宣告を受けた患者のことを言っているのですが、障がいの子どもを持った場合でも、やはり「健常の子どもではなく、障がいの子であったと言う喪失感から考える」と同じようにこのプロセスが必要なのではないかと思います。
5つのプロセスとは、否認~怒り~取引~抑うつ~受容です。
このプロセスは入れ替わることなく必ず隣あり時には重なり合ってもいるといいます。
あなたが、障がい児の親だとして、あなたは、今、どの段階でしょうか?
さて、1つずつ5つの段階についてみていきます。
1.否認
「子どもに障がいがある」と宣告を受けた親は、まず衝撃と不振という反応を示した後、すぐに事実を否認します。
「そんなわけない! 嘘に決まってる!」。
私も、まったく信じられませんでした。
2・怒り
その後、怒りの感情にも触れ、時として周囲に当たり散らします。
わけのわからない怒りがこみ上げてくるのです。
3・取引
そしてどうしてもそれが事実だと知ると、例えば「どんなことでもするから、子どもを直してほしい」という取引の段階が訪れます。
4.抑うつ
それでもなお事実は免れないとわかると、抑うつ感情が起こってきます。
体はだるく、何もする気がおきず、すべて悲観的に考えてしまいます。
「人生、終わりだ・・・。子どもと一緒に死んでしまいたい」。そんな感情がわくのも、この頃です。
5・受容
そして最後に受容するようするようになる、とキュープラー博士は言っています。
あなたは今、どのプロセスにいるでしょうか。
振り返ってみれば、私もこの通りのプロセスを経て受容することができました。
この5つのプロセスをあらかじめわかっていることは、
必ず自分も子どもの障害を受容し自分なりに考えることができて楽しい暮らしを実現することができるという未来への希望とも取れます。
私は全くこの理論を知らなかったのですが、あまりに絶望的な出来事があった時、全てこういうプロセスを経て立ち直っていくのではないかと、今は思います。
「うちの子、障害児ですけど、何か?」と堂々と言える、生きていくためには、「時間がかかる」ということ、そして「自分を成長させる」以外には、ないのではないでしょか。
「受容」とは、「あるがまま」をよしとする、ということ
「受容」という言葉、昔からあまり好きではありません。
「あるがまま」をよしとする、ということ、だと聞けば、しっくりきます。
あなたが、苦しみの末に、手にする「あるがままをよしとする」という思考は、その後のあなたの人生をしあわせで満たしてくれます。
障がいのある子どもだけでなく、まわりの人をも、そのような目で見ることができたなら、自分勝手な理想や期待を押しつけず、不満も抱かず、自然体で生きていけるからです。
そして、そんなあなたをまわりの人は、魅力的な人だと感じるはず。
なお、私の息子は19歳である日突然亡くなったのですが、この時は不思議とキュープラー博士の5つのプロセスは、ほとんど経ることがありませんでした。
健常の子どもを亡くすことと、障がいのある子どもをなくすことは違うのかもしれませんし、予め受容のプロセスを踏んできた私だからかもしれません。
子どもが亡くなった時のことはまた別の記事でも書きますので、よかったら読んでみてくださいね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、また。