アウトプットできる人でもありたい
何かをより深く知る、あるいは整理するために考えや感想をアウトプット(≒言語化)することが重要なことだと、最近よく感じます。
でも私の性格は元来めんどくさがりやで、言語化の作業は重要だとしても労力を要するため、したくないとも思います。
見事に昇華出来る人との違いはなんだろう?と考えたときに、出来る人は言語化の過程で事象の輪郭を鮮明に捉えていくのを有意義に感じられているんだと思いました。
おそらく私にとって、その作業は自分の意見・感想にルビを振っていくようなもので、抽象的なものを紐解いていくことにさしてポジティブな印象がありません。
「なんかようわからんけど、この作品良いなー」
「なんかこういう時間も良いよな」
「なんか好き」
上記について言語化するコストに対価が見合っていない、とすら思ってしまう時があります。
そうは言いますが、作品を作ること・クリエイティブであることは、人生を豊かにする、私にとってそうありたいと願う人物像の一つです。
なんとなく受動的に生きていくよりも、必需でないことに一生懸命になることの方が良いんじゃないかとも思うわけです。
そうなると、クリエイティブであることは何かしらをアウトプットすることなのですから、言語化する力もあった方が良いじゃんということになります。
なのでnoteに記事を書いた次第です。文章を好んで書いてきた人生ではないので、続けられるものか分かりませんが、瞬間芽生えた向上心の残滓だと思ってください。
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