ふくしまの怒り

 早春。原発事故が起きた。

 2011年3月28日の晩、私は郡山の焼鳥屋で地元のビビさんと一緒に、絶品の豚レバー串をアテに酒を飲んでいた。小さな、ネットにも情報がほとんどない、地元の人しか知らない店。指3本で握った拳大のレバがごんごんごんと3個。噛み切った断面はまさにレアなフォアグラ(肝臓だから同じだけど)。

 突如、ビビさんが私のことを指差して、店中に響き渡る声で

「こいつ、東電の奴」

 と言ったのだ。

 その瞬間、店の空気がザーッと音を立てて冷たくなった。3組6人の客が、私のほうを見ている。そのうちのふたりは、今にも私につかみかからんばかりの勢いだ。私は、突然のビビさんのイタズラにうろたえた。

「いや、東京から来ましたけど、東京の方から来たわけで、東電の人間ではなく記者でして、むしろこの状況を伝えたいと……」

「本当か」

 つかみかかろうとするふたりのうち、怖い方の男性が、うなるような低い声でそう言った。本当です、ひどいよビビさん、と私は答え、だんだん店の雰囲気は元に戻って行った。

 東京は、札束で福島をひっぱたき、原発をつくり、前の県知事がトラブル隠しに怒って原発再稼働を許さなかったときに「さっさと電気を送れ」と圧力をかけた。2003年のことだ。

 だが、これだけのことをやられてもなお、ふくしまの怒りの焦点はいまひとつ定まらない。どんな形で、誰に怒りをぶつけるべきか、制度的にあいまいにされてきたのだ。わざと。地元の唯一の権利行使は「同意」であった。危ないと思えば、同意しないことで原子炉の稼働やプルサーマルを止められた。しかし、同意して再稼働する原発は、福島にはもうない。

 あのときの焼鳥屋には、確かに「怒り」があった。私自身の姿が「東京」であり、そう見えたはずだ。だから、ふくしまの人たちは、怒りをぶつける敵を見定めるべきだったと思う。だがしかし、ふくしまの飲み屋に紛れ込んだ東京者が袋叩きにあったという話すら聞かないのである。

 鋭い目つきで私をにらんだあのお兄ちゃんはいま、どうしているのか。

 ふくしまは、戊辰戦争の次の戦いに、また負けたのか。

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