ふくしまの言葉

 2011年3月27日。
 私は、郡山駅前からタクシーに乗った。
 もっとも、東北新幹線も東北本線もまだ動いておらず、前日から磐越西線が運転再開していたのみ。私は自分で運転して郡山に入り、壁がひび割れだらけの駅前のビジネスホテルに泊まっていた。石油の供給が途絶していたため、シャワーの出るホテルを探すのも手間だった。

 なじみのない街の取材でタクシーに乗るとき、運転手氏と必ず喋ることにしている。街の様子、昼飯や飲みに行ってうまい店。事件取材で入るときは、それとなくどう思っているか探りを入れる。その街の市民の意見の最大公約数が聞けるからだ。

 ところが、その日は違っていた。
 運転手氏と、話がかみ合わないのだ。質問した答えがなんだか的外れ。
 上の空なのだ、と気がついた。
 原発事故から2週間。福島の人たちは我慢強いから、決して本音をよその人間に言わない。
 だが、本当に恐怖を感じているのだ、と気がついた。彼がぽつりと言ったのだ。

「ゆうべ、前の県知事がラジオに出て、『俺ならこうする』と喋っていた」

 度重なる福島原発のトラブル隠しに業を煮やし、再稼働を認めず日本中の原発を止めたことのある前知事。原発にはどんな問題があるか、賛成・反対両方の論者を呼んで、100人の県幹部職員に学ばせ、議論させ、最終的には自分で決定していた熟議政治家。しかし汚職で失脚していた前知事は、立場を忘れてどうやら口を辷らせたようだった。

 だが、運転手氏にとっては、その言葉こそが求めていたものだったのだ。

「俺がやる。心配しないで、俺の指示に従え」

 外はものすごい強風。吹きっさらしの中を、通学の高校生たちが自転車で走っていく。どうなるか、誰にもわからない。彼ら郡山の人たちはものすごい恐怖の中、自分を保っていたのだ。

 そして3年がたった。
 福島では、県民みんなで立ち上がり、前に進める言葉を、まだ誰も発していない。
 何が起きているかを正確にとらえ、そのデータをもとに、みんなの議論で磨かれた言葉が、まだない。

 その言葉が早く生まれてくること、それが私の望みだ。

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