物の話

存在を忘れたらゴミ同様。

今、部屋の片付けをしている。
私は物が捨てられない。だから思ったことをここに書いておく。
いつかまた物に困った自分が見た時に、この感覚を思い出すように。


私はフリマアプリでいらない物を売り、梱包作業をしていた。
8個くらい一気に売れて、部屋をゴチャゴチャにしながら作業をした。
梱包はゴミが出るし、袋やプチプチなどを探しているうちに部屋がゴチャつく。
ゴミが出たら即捨てて、必要な物は使い終わったら即仕舞う。これが出来たら部屋はゴチャつかないだろうが、私はそれができず、毎回部屋がゴチャゴチャになる。

そして、全ての梱包が終わった時。やっと、ゴミはゴミ箱へ、必要は物は元の場所に戻すのだが、その日はある事件が起きた。
なんと机の上に置いていた買ったばかりの推しのチェキを間違えて捨ててしまったのだ。

チェキなどのカード類は折れないように補強して送ってくれる。いつもなら中身を出してちゃんと仕舞うのだが、気力がなかったのか、はたまた面倒だったのかは不明だが、買ったばかりの推しのチェキは買ったままの状態で机の上に無造作に置いてあった。
新品のそれは、見た目は完全に、小さな白い厚紙だった。

梱包作業を全て終えた頃。遅くから始めた影響で、深夜3時過ぎになっていた。
眠くて眠くて、仕方がなかった。

完全に脳死だった。
机の上がプチプチの残骸や、ビニールの残骸で、いつもよりゴチャゴチャだった。
おまけに、ハサミやのりも仕舞わずそのまま机の上に置いてあった。
眠くて仕方がなかったから、いつもならゴミでも必要な物が混じっていないか確認をして、捨てるはずが、ハサミやのりなどの明らかにゴミではない物を除いて、何も考えずに、ゴミ箱へ全て入れた。
そこに、新品のままで中身も確認されていない、推しのチェキもあったのだ。
気づいた頃には時すでに遅く、捨てた日から2日が経っていた。
ゴミはもうとっくに回収され、燃やされていた。

それに気づいた時、後悔と悲しみが一気に襲った。

しばらく経ってから、物は忘れてしまった瞬間、もうそれはゴミと同様なのではないだろうか。という考えが頭に浮かんだ。
捨ててしまったチェキに気づいたのは、本当にたまたまで、同じチェキが読みかけの本から出てきた時だった。
そのチェキを見て初めて、「あれ?もう一枚買ったはず」と気づいたのだ。
きっと同じチェキを見なければ、捨てたことにも気付かないで一生を終えていたと思う。

私の部屋には物が凄く多い。
物が多すぎて、整理をするのが億劫になる。
そろそろ片付けないと部屋のキャパオーバーだなと、危険を感じてから重い腰を上げるのだが、どれを残し、どれを捨てるかを選んでいる時。「これ、そういえばあったな」と、見るまで存在を完全に忘れている物達が、大半を占めている。
それは果たして本当に自分にとって、必要な物だったのだろうか?
存在を忘れてしまっていたのなら、ゴミ同様なのではないのだろうか?
推しのチェキを間違えて捨ててしまった日から、そう感じることが多くなってきている。

本当に大切な物なら仕舞っていたとしても頭の片隅の何処かではきっと覚えているはずだ。
久しぶりに見て、懐かしいからとか、可愛いから、そのうち使うかもって、存在があったことさえ忘れていた物に言い訳をして、捨てるという行為から目を背けていたのかもしれない。

私にとって本当必要な物が、分からなくなっている。
物が多すぎて、どれが本当に大切だったのかさえ、忘れてしまっている。

存在を忘れてしまった物はゴミ同様になることも知らず、私は今日も特に必要のない物を買っている。
給料の半分以上を使い、存在を忘れ、ゴミになるかもしれない物を買っている。

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