努力とプライドの話


最近英語圏の人と会話をしてから、英語を勉強したいなという気持ちが強くなった。
元々推しに英語圏の人がいたから英語の勉強はしたいなと思っていたけど、最近は英語で話せる友達がほしいと強く思うようになった。

でも、自分の英語能力は赤ちゃんレベル。
こんなのも分からないの?と笑われた中学生の頃の記憶が邪魔をして私のやる気を奪っていき、「どうせ、私には出来ないよ」と心のどこかで思ってしまう。

Hello talkというアプリがある。元々入れていたのだが、しばらく動かしていなかった。
久しぶりに動かしてみたら数名だが、Helloと挨拶をしてくれた。
その中の1人の方が、自分の勉強方法を教えてあげる!と電話で教えてくれた。
とても優しくて良い人だった。
話している内容は、とにかく英語に触れろ!ということで、やり方は人それぞれだが、書くことや読むことも大切だけど、それより話したり聞いたりするのが英語を話せるようになるには大切だと個人的には思うよって話をしてくれた。
そして何よりは楽しんで勉強をすること。

その人は毎日毎日、日本語にふれて、毎日話して自分の頭でちゃんと理解をして、日本語を自分のものにしていた。

私には努力が足りない。
話せる人は、分かる人は、出来る人は、他人が思っている数百倍は努力をしている。

今でも思い出すのが、私が訓練校に通っていた時、校長先生が休みの日、みなさんはどのくらい勉強をしましたか?と言っていた。バレるといけないので、校長先生の詳細は言えないのだけれど、校長先生は過去に凄い成績をもつ人だった。
10時間は勉強をしている。と言ってクラス中をざわめかせたのは今でも鮮明に思い出せる。
世界は凄いスピードで進んでいるからそのくらい勉強しないと置いていかれると言っていて、出来る人は私たちが無意味にボーッとしている無駄な時間に努力をしているんだなと思った。

私自身人と話すことは意外と好きだ、人の話を聞くのはもっと好きだ。
でも、それは全て言葉が分かるから面白いのであって、言葉が分からないとまるで宇宙人と話している気分になる。

聞いていて気になる話題にも、その話詳しく!と聞けないし、もし聞けたとしても言っていることが分からないと、結局宇宙人と会話しているのと同じだと感じる。

簡単な言葉で話そうとしても、言語が分からないことによる恥や、私の中のちっぽけなプライドのせいで、いざ話そうとすると頭が真っ白になって話せない。
いつも中学生の頃のそんなのも分からないの?という笑い声が私の邪魔をするのだ。

分からないことは恥ずかしいことではないと自分でも分かっている。
でも、「私の英語がおかしかったら教えてください」と相手に言うのはめちゃくちゃ勇気がいるし、また分からないの?と笑われるのが怖いのだ。
そんなちっさいプライドが私の邪魔をして、今までの人生でも生きづらいと感じることが多かった。
でも、このままでは何も変われないと分かっているし、英語を話せるようになって友達を作るなんてもってのほかだ。

もし貴方が言葉が全く分からない状態で、いきなり知らない国に飛ばされたらどうする?どう思う?何をする?と言われた。

私は死ぬ気で言葉を覚えるか、
もういっそのこと全てを諦めて死を選ぶかもしれない。

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