長男が産まれた

ぼくは嫁が大好きだ。一緒にいて何をしていても楽しいということは、夫婦にとって最も良い関係にあるのだと思う。いつもお互いに相手を笑わせようとしている。相手が笑えばつられて自分も笑う。そして気付けば寝る時間になってしまう、ということが最近しょっちゅう起こる。幸せなほど体感時間が短くなるという、相対性理論である。

そんな嫁の努力がみのり、妊娠して、コロナ禍を経て、長男が産まれた。未だに写真でしか見れていない。コロナ禍もあるが仕事のせいでもある。営業はいったい何を見積もっているのか。内容次第で費用変わるに決まってんだろ。営業で話詰めてないまま技術に渡して、内容の詰めを技術にやらせんじゃないよ。それでプラス100万かかるとして客を説得できんのかよ。労務費をなんだと思ってんだ。
失礼、話が脱線した。でもこういう、仕事でむかついたときに嫁が支えてくれていたのだ。もちろんその逆もあった。果たしてそれが、子供を育てながらどれくらいできるのか。
そもそも子育てする中で出てくるであろうイライラは、誰がどう処理するのか。パパママ学級の類いは受けてないし、お互いの親も簡単には来られない。嫁は弟さんの世話で少しは経験あるが、ぼくは末っ子なので未知の世界だ。
ほかの動物に比べてヒトという種は、産まれた直後の周囲の危険が少ない等の理由で、比較的未成熟で産まれる。そんなとても弱い存在を、とても弱いからこそ、ぼくらが育てねばならない。やるしかないのだ。

30数年前もぼくらの親は、そうしてぼくらを育て始めた。あぁ、父が亡くなったことが、今またとてもとても悔しい。あなたは世界一の父親だった。最期に伝えた通り、あなたのような親になるために、ぼくもスタートラインに立てたよ。どんな考え方で育ててくれたのかは今はもう分からないけれど、たっぷり愛情を注いでくれたことは分かるよ。
「どんなときでも味方をしてくれるのが親なんだ」って言ってくれたけど、本当にずっとそうだったね。きっとそれが根本なんだよね。

これで二人きりの時間は一時休止となり、三人家族の時間が始まる。ぼくはどんなときでも子の味方であり、嫁の味方であろう。そして、いつでも二人を笑わせるんだ。二人が笑えばぼくも笑う。それでいい。それが一番いい。

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